ブログ - 20200116のエントリ

相模原殺傷事件。

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2020-1-16 8:40

  四十年前は、相模原市に住んでいたので相模原という言葉はなつかしいが、この事件は恐るべきものである。身動きも出来ず、言葉も出せない要介護者を45人もナイフで切りつけたというのだから、どのように考えたら良いのかわからないが、もしかすると、私やあなたたちが心の中で起こしているかもしれない。

 前のブログにも書いているが、ある老女を介護した時の経験が自分にはある。二本の杖でよちよち歩きをし、車の乗り降りには腰を支えてやらねばならない、突然、倒れると起き上がれず、頭を打ったりするのであった。用事もないのにメールや電話が自分にひんぱんにかかってき、朝の四時や夜の十時にかかってきたこともあった。おはよう、おやすみなさい、今、何してる?などたわいのない内容であったが、しきりに気持ち悪いという言葉を出すので、誰のことか?と考えていると私のことであった。普通の女からは、嫌らしい顔をしてると時々、言われるが、気持ち悪い、という言葉は初めてであった。

 そのあたりが理解出来ないのである。

 気持ち悪い、と思うのであれば、何故、恋人でもあるようなメールやで電話をおくるのであろうか?

 わたしが好意を持たれていると判断するのは自然な成り行きである。

 気持ち悪い、というのは、体を支えてやる時に胸や腰に触れることをさしているのだとしても、それは自然なことではないか?

 そこで考えるのは、介護される側は介護する側に対して想いや考えを持っているということである。それは勝手な場合もあり、介護する側の視点でみると納得できない場合があり、今回の場合がそうである。

 だから、殺傷事件の若い容疑者はそのあたりのストレスが溜まって、要介護者たちを社会の邪魔者、だと考えるようになったのであろう。たぶん、彼は介護される側から感謝の言葉をあまりもらわなかったのではないか?コミュニケーションがうまくいかなかったというより、要介護者がそれをとれる精神状態ではなかった、と言えるのではないか?

 健常者と障がい者という視点で考えれば、障がい者がいるから、健常者の立場でいることができるのであり、支える者は支えられてもいるのである。

 会の集まりの中で、その老女が倒れても、わたしは手を貸さないようになった。他の者たちが支えてやっているがわたしは知らぬ顔をしている。でも、自分が支えてやっていた時は、支える満足感があったが

それがなくなったことを少し寂しく感じた。

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