ブログ - 202001のエントリ

サド・マゾは消えた?

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日記
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nakamura 2020-1-31 7:16

  猥褻行為とセクハラは似たような言葉であるが、ニュアンスは明らかに違う。一方がいけないことだが、してみたいというワクワク感みたいのがあるが、他方は明らかに犯罪であり罰せられるという法的意味合いが強く、万引きは犯罪です、とスーパーなどでも流してるのと同じである。万引きはそれで良いとして、セクハラという表現は、人間心理の微妙なあやを切り捨ててしまい、人間性をすごく狭めている。

 また、サド・マゾという言葉が死語になりつつあり、その世界や行為は世間に顔を出せず、消滅してしまったのか?二十年前まで、流行っていた、ロウソクを垂らして、鞭で打つ、という代表的な行為は禁句になっているようだ。そんな行為をされて快感を覚え射精をするほど興奮する人種は今頃、どうしているのであろう?マスコミ世界でさえ、タブーになっているのであろう。もし、記事にしてしまえば(暴力行為)のほう助であり、それをあおるということで罰せられるかもしれない。

 私の想像ではそのうち、盗視罪、という罪名が出来て、いやらしい目で見た、見られた、を監視カメラに取られ、盗撮のように軽犯罪法の一つに加えられるのではないか?そうなると、わたしは最初に捕まってしまうかもしれない。ああ、恐ろしい世の中だ。

有刺鉄線を張る。

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日記
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nakamura 2020-1-30 19:57

  有刺鉄線は、このホームページの冒頭写真にあるように、レアを象徴するものです。その写真を観たある女は、これを冒頭に出すなんて・・・、と言って、変わり者と言いたげな口調でしたが、私は今でも気に入っています。

 今日も、竹の子山に行って、三区画目のエリアに有刺鉄線を張ってきました。百メートルの有刺鉄線を五個も使ったので、およそ500メートルほど張ったことになりますが、山ののり面での作業はずり落ちそうになったり、縛るワイヤが切れたりしてイライラ、苦しい時間でした。上下二段に三十センチほどの間隔を作って張りましたが、自分がイノシシの立場に立ってどうやってもぐりこもうかと考えながら、すすめました。すでに竹の子は、5、6本ほど掘り食われていて、毎年、収穫の90%は持って行かれていましたが、今年はそうはさせません。

 彼らは掘り」かたもうまく、夜にどうやってあんなに器用に掘るのか不思議でなりませんが、有刺鉄線にぶつかってどう反応するのか見ものです。オカシナものがあるぞ?と考えて近づき、棘に鼻を刺されておわてて逃げるか、乗り越えて入り込むのか見ものです。

 三区画目に有刺鉄線を張ってもすべての土地の四分の一にしかなりませんが、来月から芽を出す竹の子が自分の手に入るかどうか楽しみです。

親を選べない子、子を選べない親。

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日記
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nakamura 2020-1-28 11:06

  先日の毎日新聞に、変わった記事が出ていた。それは時代を象徴し、あるいは時代の中で生まれたのであろう

 ある母親の、小学生の息子が、友達をつれて帰ってきたので家の中に入れ、友達を迎えた。おやつを出したりして友達をもてなし、夕食を食べさせた。ところが、その友達の中に、息子や友達とはまったく関係のない男児がいたことが後にわかった。その子は時々、そんなことをして食べ物にあずかっていて、その子の両親は仕事が忙しくて育児放棄をしており、そんな放浪者みたいな子を最近、見かけるという。

 わたしはその記事を読みながら笑い、悲しくなった。

 まるで、野良犬ではないか?犬でさえ、自分の子供はきちんと育てるというのに。

 その記事は、わたしが今、とりかかっている小説に通じ、私の幼い頃にも通じているのである。私の母親は、今でも理由がわからないのであるが、まだ立ち歩きの出来ない私を家に独り置いて出かけ、わたしが小学生になると、夏休み、冬休み、春休みには、親類先に何か月も、わたしを預けたのであった。

 今でも、幼児の頃の出来事を鮮明に憶えている。庭先に出て地面を這いながら、母を叫び求めた体験は決して忘れない。泣き続けて横隔膜が痙攣し、息が止まりそうであった。私がドモリであるのはそのせいであろう。女狂い、と若い頃に呼ばれたことは、母を追い求める原体験に根があることが自分でもわかるので、それを作品化したいのである。

 人は、職業や居住地、結婚相手、移動などいろんな自由があるのに、親の選択、子の選択、血筋の選択は出来ないのである。遠い将来には選べるようになるかもしれないが、すべたがうまくマッチするわけではない。今は、世襲制が強く、どんな親の元で産まれるかによって、将来はほとんど決められてしまう。

 でも、逆境を乗り切れば、すごい人物になることができる。この私だって、その可能性が0というわけではない。

障害者の認定基準。

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nakamura 2020-1-23 4:25

  わたしは身体障がい者・4級の認定を受けて、およそ10年になる。税制や交通費、障害者の会への助成金などで優遇を受けていて、ありがたいことであるが、認定の基準に疑問を抱いている。医師の診断書を福祉課に提出し、それが県から国へいって審査されるわけである。認定される人はともかく、されない人もいる。二本の杖をつきながら歩き、突然倒れる人が病名が付けられずに認定されないことを例に取れば、認定の改正が必要だと思う。

 わたしは10年前に心臓のバイパス手術を受けたが、心臓の一部に不完全な個所があるということで認定を受けているが、日常生活にはほとんど問題はない。血液をサラサラにする薬など毎日、10錠ほど飲んでいるので、頭のふらつきなど、出ることがあるが、少々の重労働などはこなしている。酒も飲んでいる。このように健常者と全く同じ生活や仕事をしている障害者は少なくない。はっきり、いえばこれは社会保障費の圧迫になっており、政治もそれを知っていて基準を厳しくしているが、法的な改正には至っていない。

 医者の認定は必要であるが、労働が出来るかどうか?社会生活が出来るかどうか?に判定の基準を変えるべきではないか、と思う。精神障がい者の場合もそうであるし、障害ということは文化的な部分にまで広げて取り込むべきではないか?例えば、アニメーション・ダンスの中に障がい者の歩き方を昇華してみるとか?それは障がいを晒しものにするという反論が出るであろうが、違和の中に文化の芽があるという発見になるのではないか?

優生思想のまちがい。

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nakamura 2020-1-19 11:11

  相模原殺傷事件の植松被告は、優生思想を信じ、口もきけない障害者は社会のじゃまになる、と考え、犯行に及んだ。さきほど、ネットを読むと、彼が介護をしても要介護者から感謝の言葉もなかった、と話していることが分かり、私の想像していたとおりであった。ありがとう、という言葉があれば彼は犯行を計画し、実行することは無かったであろう。

 優生思想はダーウイニズムから始まり、優勝劣敗、強者生存、適者生存の考えで、ヒットラーのナチズムにも用いられ、数百万人のユダヤ人を殺した歴史がある。

 わたしは(働かないアリ)の本を読み、(動的平衡)の考えに至っている。全部を働くアリに変えても、働くアリの中から働かないアリが現れて、けっきょくその比率は同じであるという真理が働くのである。だから、障害者たちを排除しても、健常者の中の差異や格差は残るので、排除することは無意味である、と考える。

 また、障害者がいるから健常者がいるのであり、健常者がいるから、障害者がいるのである。それを優劣で区分するのは、光は優れていて、影は劣っているというようなもので、見当外れである。

 わたしが植松被告と考えの交流が出来れば、そのことを訴え、読者の方にも理解して欲しいと思う。

セクハラにみる男女の色模様。

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日記
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nakamura 2020-1-19 8:45

  セクハラ、という言葉は魔性をもっている。それは男女関係の微妙な色模様をはらんでいるからであり、前述したように、セクハラだと、女から公言されただけで男は社会的地位や名誉を一瞬にして失う場合があり、恐ろしい呪いの言葉となった、といっても過言ではない。幸い、わたしは地位も名誉のない老人であるから、訴えられる場合は少ないと考えながらも、警戒するようになった。

 ある老女がいる。夫を二十年前に亡くしてから、すっかり元気になり、男漁りを始めて、とまわりからも本人からも、色気違い、といわれ、いうようになった。再婚したいのであったが、良い男に恵まれず、結局はいつまでも男を求める人生になってしまった。

 ある80歳の男と知り合い、二度目にはいつものようにホテルに行った。ところが、男の方のセックスが強すぎて、いやになって、避けるようになった。別れる、と伝えたがが男の方は、しつこく、家の周りをうろついたり、電話を掛けてきたりして追いかけるようになった。警察に相談し、男が彼女に近づかないように、警告してもらった。しばらく、ストーカー行為はなくなった。ところが、半年後に男は認知症にかかり、介護施設に入り、紙おむつを履く状態になってしまった。

 それを知った彼女は驚くと同時に、男が不憫になり、介護施設を訪れたが、男に刺激を与えてはいけないと言われて、会えなかった。そこで、彼女は男の実家に行って、自分が男の世話をしたいと彼の妹に話したが、受け入れてもらえなかった。男は妻を失い、独り身であった。

 それから、どうなったか?は私は、知らないが、ここに男女関係の不思議さがある。嫌いになったり好きになったりする、そんな関係性の変化で、セクハラになったり、愛されたということになったりするのである。男女間系の微妙な変化や色合いを、法廷で、証言したり、訴えたりすることができるであろうか?時間は凄くかかる上に、あの時は愛していたのに、この時は嫌いになっていたから、セクハラだとか微妙なことを喋り始めれば一つのドラマの舞台ができてしまう。

 そればかりか、解決のつかない、男と女の永遠のテーマ、その迷路にはまりこんでしまうのである。当人同士が解決するしかなく、法廷は調停役でしかない。

相模原殺傷事件。

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日記
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nakamura 2020-1-16 8:40

  四十年前は、相模原市に住んでいたので相模原という言葉はなつかしいが、この事件は恐るべきものである。身動きも出来ず、言葉も出せない要介護者を45人もナイフで切りつけたというのだから、どのように考えたら良いのかわからないが、もしかすると、私やあなたたちが心の中で起こしているかもしれない。

 前のブログにも書いているが、ある老女を介護した時の経験が自分にはある。二本の杖でよちよち歩きをし、車の乗り降りには腰を支えてやらねばならない、突然、倒れると起き上がれず、頭を打ったりするのであった。用事もないのにメールや電話が自分にひんぱんにかかってき、朝の四時や夜の十時にかかってきたこともあった。おはよう、おやすみなさい、今、何してる?などたわいのない内容であったが、しきりに気持ち悪いという言葉を出すので、誰のことか?と考えていると私のことであった。普通の女からは、嫌らしい顔をしてると時々、言われるが、気持ち悪い、という言葉は初めてであった。

 そのあたりが理解出来ないのである。

 気持ち悪い、と思うのであれば、何故、恋人でもあるようなメールやで電話をおくるのであろうか?

 わたしが好意を持たれていると判断するのは自然な成り行きである。

 気持ち悪い、というのは、体を支えてやる時に胸や腰に触れることをさしているのだとしても、それは自然なことではないか?

 そこで考えるのは、介護される側は介護する側に対して想いや考えを持っているということである。それは勝手な場合もあり、介護する側の視点でみると納得できない場合があり、今回の場合がそうである。

 だから、殺傷事件の若い容疑者はそのあたりのストレスが溜まって、要介護者たちを社会の邪魔者、だと考えるようになったのであろう。たぶん、彼は介護される側から感謝の言葉をあまりもらわなかったのではないか?コミュニケーションがうまくいかなかったというより、要介護者がそれをとれる精神状態ではなかった、と言えるのではないか?

 健常者と障がい者という視点で考えれば、障がい者がいるから、健常者の立場でいることができるのであり、支える者は支えられてもいるのである。

 会の集まりの中で、その老女が倒れても、わたしは手を貸さないようになった。他の者たちが支えてやっているがわたしは知らぬ顔をしている。でも、自分が支えてやっていた時は、支える満足感があったが

それがなくなったことを少し寂しく感じた。

セクハラの産まれた時代。

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nakamura 2020-1-15 7:29

  セクハラとは、単純に定義付ければ、性的加害行為であろう。およそ三十年くらい前からひんぱんに使われ、メディアに登場しない日はない。それほど重要な反社会的行為なのであるが、被害者が加害者に好意を持っているか持っていないか、あるいは訴えられるか訴えられないかで決まる親告罪でもあるので判断がむずかしくなる。ただ、アナログからデジタルに変わった時代の落とし子みたいなもので社会の仕組みを大きく変えつつあることは間違いない。同性婚、性的少数者、障がい者を含め、人権意識と関わり、時代の転換を象徴している。これに反抗する者は排除されるしかない。 

 だが、デジタルの落とし穴も考えなければならない。曖昧さ、矛盾、対立を考慮に入れられない考え方は本質を見失い、本来のベクトルから外れてしまう。つまり、性欲とは本来、何なのか?という根源であり、否定できないものなのである。それは、正しい性行為、が基本ということなのであり、愛し、愛される関係から言動を起こすべきというべきなのであろうが、人間と言うデリケートで複雑な種族から読み取るのは難しいのでつい、うかつな言動を起こしてしまう場合が生じやすい。

 性欲はエネルギーの一つであり、否定することはできないし、否定すれば生物は絶滅するしかないのである。これを考えて、セクハラ問題はもう一度、検証されなければならない。つまり、余裕と幅を持たせ、男女関係、人間関係を潤滑のあるものにしないとぎくしゃく・びくびくし、表現や報道の自由が大きく制約され、社会の活性を失ってしまう。

 四十年前までは、痴漢、いたずらで片づけられていたものが、立派な犯罪にされ、社会的地位まで失ってしまうようになった。言論の自由や文化も制約され、たえず監視され、自らも自分を監視しなければならなくなった。

偽善者。

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執筆 : 
nakamura 2020-1-14 6:31

  わたしはキリスト教会に通わなくなった。

 信者から電話がかかってきたが、献金が出来なくて後ろめたくて、行けません、とメールを送ったが、それを読んでないようで返信は来なかった。それまで、教会や信者に対して、どこか不信感があった。わたしは、信者や牧師に生活が苦しいと訴えていた。それなのに、洗礼を受けると、待ってたように献金袋が四つも来た。月に千円ほどの献金はしているのに、それ以上、貧乏人から金をとるのか?

 彼らはキリストの言葉を心の中に入れてはいない。日常生活に戻ると俗物になるのであろう?キリストは貧しい者からでも献金させろ、と言っているか?

 教会に通っても、わたし自身は変わらなかった。ホームレスみたいな老女から、駅への道を聞かれたが、嫌な気分になって教えた自分であった。不倫をしている信者もわかった。四年間ほども聖書を学び、キリストについて考えたはずなのにこのありさまである。

 最初から、食い違いがあった。仏教では、仏は自分の中にいると考え、自己を検証するがキリスト教は神を自分から離れて置き、神が自然も人間もつくった、といって、信仰することは、神と契約をむすぶことなのである。そのあたりが日本人にはすっきりわからないであろう。信者たちは熱心に教会に通っているが信者の数は増えない。かれらは悩みを訴えて皆と共有したり布教活動をすることはないので、自分だけの世界に籠ってしまっている。自己満足である。牧師さえも、布教活動はしません、困窮者たちには寄付をしています、といって金で片づけている。いわば、金持ちのための宗教なのであり、わたしのような貧乏人の行く場所ではなかった。

 

不思議な正月明け。

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日記
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nakamura 2020-1-12 7:45

  話し相手がいないので、昨日は知り合いの老女の家に行った。前日に、町の通りで出会い、立ち話をし、夜に電話を入れたが出なかった。海老津駅南開発反対運動の時の仲間で、結婚相談所を開いていた人で、おだやかで頭の良い人である。

 ピンポンを押すと、カーテンを開けてわたしを見、家にあげてくれた。長話をしてると、彼女の女友達から三度も電話がかかって来て、最後の電話は一緒に昼ご飯を食べようという話になったので、わたしは辞して帰った。ただ、彼女の口から、主人は亡くなった、息子が早稲田を出て、孫は慶応を出た、田中君は母を連れて私の通う介護施設に来るが母親はいつもパジャマ姿なんよ、とと言う話が、前日もそうであったが、三度も出て、この人は頭の老化が始まり、わたしは自分も物忘れが時々、起きることを思い返した。

 もう一軒、障害者の会の仲間の家に寄った。たった今、あんたの家に行ったけど、おらんかった、と言い、玄関口で長い世間話になった。彼は庭仕事を長年やってきたが、脊髄狭窄症にかかり、脚が痛んで仕事が出来なくなり、生活が苦しい、と言いながら、金を稼ぐためにボートレースやパチンコにいくが損をするという。

 彼と別れ、町の閑散としたシャッター通りをバイクでゆっくり走っていると、向かいから少し変な老女が歩いて来た。骨ばった男みたいな顔つきであり、手ぶらで、古びた赤いセーターが変に不似合いであった。首筋からは冷たい風が入りようであったが、寒そうではなかった。何も持っておらず、ホームレスの印象があった。

 「すみません。のせてくれませんか?」

 といきなり言うので、おどろき、

 「このバイクに乗るんですか?後ろにボックスを付けてるから乗れませんよ」

 と言うと、

 「一つお尋ねしますが、海老津駅はどう行ったらいいんですか?」とたずね、

 「あそこの交差点を右に曲がって上って行けばすぐですよ」とこたえると、そちらの方に行ったが、金は持っているのだろうか?どこからやってきたのか?と、心配になった。

 いったん家に帰り、昼食をとり、さてなにをしようか?と考えて、いつもの山道を歩くことにした。

 一時間はかかるコースで誰とも出会わない山中である。膝が痛み始め、だいじょうぶか?と思いながら、ここで倒れたら野垂れ死にだ、と考えた。池に着いて休み、帰りは三度休んで、やっと団地の家の家並が見えて来た。

 「こんにちわ!おいちゃん!」

 向かいから全く知らない老女が声を掛けて来た。

 「こんにちわ!」

 と挨拶を返すと、前から知り合いみたいな口調でしゃべり始めた。

身も心も軽々としたあっけらかんとした感じがした。洗いざらしの綿パンと着古しセーターを着ていた。

 わたしがいくつに見えるか?と訊くと、以前もそんなことがあったが八十歳くらいと言い、ショックをうけていると、彼女が八十歳でわたしは年下なのであった。役場の傍の家に住んでるけど山が懐かしくなってここに来たと言った。英彦山のそばの添田町の生まれだと言い、近所の人としゃべると人の悪口ばかりだから嫌になると言った。

 今年は、暖かい冬である。毎年気温は三度くらいに下がるのであるが、今年は毎日十度以上である。その暖冬のように、老女は身も心もさわやかで軽々した雰囲気であった。

 彼女添田町にある雪舟庭園の話を始め、雪舟は生き倒れになってるところを救われ、お礼に庭園を造ったと言い、自分は柳川の生まれだと言った。先ほどは添田町と言ったはずだと私は考えた。わたしが柳川の古賀政男や北原白秋の話をすると、あの人も生き倒れになってたところを助けられた、と言い、この町の聞いたた事もない町会議員の名前を持ち出したり、彼女の家はわたしが戻って来た戸切にあると話が変わったりして、どうもこの人も頭が少しおかしい、と考えた。

 彼女は山奥までは行かずに、迂回して町の通りに戻ると言って、別れた。

 でももしかすると、わたしが生き倒れになることを恐れた山奥に向かったのではないか?と考えると、作品の展開が始まるようであった。小説の中の物語だと考えると、何かわからないけど、感じ取れるような気がする。正月明けの今年の予感が映ってるようにも思える。

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