ブログ - 201403のエントリ

傑作とは問題提起をする作品である。

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2014-3-1 18:44

 小説「片割れ」に取り組んでいますが、半年間も筆が止まったままで先に進まないのです。散歩中や農作業中に思案したりしましたが、どう書けば良いのかわからなくなってしまった。何を書きたかったのか?はっきりしていたはずではないか?ストーリーも決めていたじゃないか?なぜ書けないんだ?それがわからなくなってしまった、と言うことだ。

 作家でもないのだから放棄してもいいのだが、気持ちに芯が入らない。なにかにひたむきに取り組んでいる時にこそ満足感は唾液のように口の中を満たすのだが、これではそんな気持ちにはならない。いつまでもだ。死ぬまでこんな状態なんて耐えられない。

 今、わかった。

 作品を書くということは現在の生活と自分を客観視し、そこに作品のテーマと素材を考え探すことだ。自分と他者の立ってる位置を知り、確認することで行き先もはっきりさせることなのだ。禅の修業ににているが、これでわたしの人生はだいぶ救われている。どうしようもなくなって若者が通行人を車で次々と跳ね飛ばすニュースを耳にしたりするとあれは昔の俺だったかもしれない、と思い返したりするし、そんな人達に何か助言でもしてやりたい。(敗残者の講演会)など実際に開いてみてはどうだろうか?

 傑作小説は書き出しで、問題提起をしている。カミュの「異邦人」?きょう、ママンが死んだ。もしかすると、昨日かもしれないが、私にはわからない。養老員から電報をもらった。ーどういうこと?自分の母親が死んだというのにこの他人事のような言葉。それに死んだのが今日だったのか昨日だったかもはっきりさせない作者。この非常識さは何を言いたいのだろうか?

 (自分が殺される日、サンティアゴ・ナサールは、司教が船で着くのを待つために、朝、五時半に起きた)ーマルケスの「予告された殺人の記録」。ー自分が殺される日を予感できる人間なんていないはずである。この書き出しは何を意味しているんだろう?と不信に思いながら読み進めていくと、あの男が殺される、という噂にまでなっているのに誰も止めることが出来ず殺されてしまう。この不条理を書き出しで暗示していることがわかる。

 わたしの作品は書き出しの部分から道を反れてしまい、書いてる側も緊張感を失ってしまい、迷路に迷い込んでいたのだ。本道に戻り、題名の「片割れ」で何を言いたいのか再確認し、書き進めていくことにした。

 次の文章が浮かび、道は決まった。?(遊民)のママは言った。「そんなことじゃ出て行くはずがないじゃない。わかってるでしょう?兵糧攻めにするのよ」

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