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神は生命力の中にいる。

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日記
執筆 : 
nakamura 2017-12-30 5:48

 今週の木曜日に、エホバの証人の布教者と話をした。彼はわたしに(聖書は実際に何を教えていますか?)という小冊子の中味を音読させ、ページの下に書いてある質問に従って尋ねた。

 「宗教の教師たちがどんなことを唱えたので、多くの人たちは、神は冷たい方だと思うようになりましたか?」

 「悲惨なことが起こると、それは神のご意志だ、(彼らが)言うからです」

 わたしは自分の手に持っていた小冊子のページの中から答えた。

 「そうです。よくおわかりになっていますね」

 彼は満足気に応えた。

 この講習は王国会館の集会においても同じ手法である。

 日本共産党の支部会議、その学習会でも、綱領や中央委員会の報告内容を音読させ、質疑をする。わたしはそこに上意下達の構造を知り、奇妙さを感じる。この町のカラオケ会、障害者の会、年金の会などにも通っているから同じ構造を知った。本来であれば自分の日常生活への疑問や悩みなどが基本でそのことから出発すべきであるが、運営者はいつも御かみの意向を窺うような姿勢(上からの目線)である。

 「神とは地上のエネルギーを総まとめにしたものではないでしょうか?エネルギー=質量×重力、ですよね?」

 わたしは布教者に尋ねた。

 「そうです。その方程式は知っています」

 「地球上で一番重い物は何でしょうか?」

 「・・・・」

 彼は考えた。

 「それは地球なのです。つまり地上で一番強いエネルギーは地球そのもの、つまり自然なのです。あなたたちは人は神の子だと言うけど、人は自然の子でもあるのです。自然も人もそのエネルギーつまり生命力をもらっている。それは守ってくれているとも言えるが、自然が人間の面倒をすべてみてくれるというのではない。人は塵から産まれたとエホバ神が言った。神は塵の一つ一つの面倒を見ているのではなく、全体を見ていて、様々な動植物を作って、生きよ、育っていけ、と言っているのではないですか?」

 「おお、素晴らしい話です。ぜひ、入信して私たちの力になってください」

 別れ際に彼は言い、彼の妻とともに私に(ありがとうございました)と言った。

 女が好き、酒が好き、バクチが好き、な私が入信することも許されることもないであろうが、わたしにとって彼らとの対話は自分の考えを試せることもあって非常にワクワク感の出るものである。出会った布教者が理系に強い者であったこともわたしに知的な収穫を与えてくれている。

 今年はチップ農法を知り、(年金の会)に入り、エホバの証人とも知り合い、親しい友達が出来て、良い年であった。来年はそれが実を結んでいくにちがいない。無農薬百パーセントの野菜を作り、いろんな会の仲間に売り、チップ農法を普及させていき、日本共産党の官僚主義やエホバの証人の教義に改革を与えるかもしれない。

 今年もこのHPを読んでいただきありがとうございました。来年は読者とのやり取りが出来るように考えたいと思います。

永山則夫さんの死刑を弔う。

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日記
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nakamura 2017-12-25 20:22

 わたしと同世代の人は連続射殺魔として彼の名前を憶えているであろう。四人もの警備員をピストルで撃ち殺し、逮捕され、死刑囚として刑務所で生きていたが、20十年前、死刑が執行されたのであった。今日がその日から二十年目であることから鎌田というルポライターが今日の朝刊に、「根は今も」という題で彼の事や今の時代を書いている。わたしは懐かしさと同時に自分の時代が終わったことを感じた。

 永山さんは当時、青森から集団就職で上京し、底辺の労働をしていたが、19歳で無縁の人を殺した。事件は大きく報道されたが、彼は独房の中で多くの本を読み、貧乏が自分を殺人に走らせたと考え、評論(無知の涙)や小説(木橋)を書き、(木橋)は新日本文学賞をとった。わたしは大学卒業後、臨時工の仕事をしていて、東京・東中野にあった新日本文学学校に通っていて、(木橋)の合評会に出ていた。(殺人者が文学賞をもらう資格はない)と生徒からの意見があった。わたしがその作品を読んだ時、何と拙い文章であろうと反発を覚えていたが、読み進むうちに作者が独房の中で故郷を思い、母親と駅員の不倫の現場など思い出して描く熱意に心を打たれた。子供の描く絵と同じく、拙ければ拙いほど作品は生き、輝きを放っており、わたしは殺人者であるから書く資格はない、とは言い切れないと考えた。

 彼が賃金奴隷であったのであれば、私は受験奴隷であった。どちらも青春を時代に売り渡し、幸せではなかった。ある時、私がビルの建設現場でコンクリート破片や木の屑を集める仕事をしていた時であった。仕事を終え、飯場で夕食を済ませて、ある部屋の前を通りかかって、驚いた。大広間に四十人近い子供がきちんと並んで寝ていたのであった。何事かわからず、関心も消えて通り過ぎたが後になってわかった。集団就職で上京し、建設現場で働いていた中卒者たちが早めに寝に就いていたのであった。遊び盛りの彼らが3K(きつい、汚い、危険)の仕事をしていたことに思いついて、わたしは胸を打たれていた。

 永山則夫さんはその子供たちの中の一人であったのだ。(無知の涙)の中で、貧乏が自分を殺人に走らせた、と書いていたがわたしは理解出来ず、言い訳だと考えていたが(木橋)を読んでの感動は忘れられなかった。

 ルポタイターの鎌田さんは大学卒業後、トヨタ自動車に季節工として入り、自動車組み立て労働をしながら、(自動車絶望工場)を書いた。わたしは日産自動車に季節工として入り、自動車組み立て労働をしながら世に出ない小説を書いていた。

 

 

スマホは聖書になった。

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日記
執筆 : 
nakamura 2017-12-23 22:55

 昨日はSさんから電話が入り、13時にいつもの衣料品店の駐車場で待ち合わせ、車の中で論議をすることになった。論議、と言っても彼にとってはエホバの証人の布教活動なのであり、私にとっては、宗教及びエホバの証人の研究である。わたしは(人間や神の行うことは間違いが多く、AIが神になりますよ)と訴えるつもりであった。

 Sさん夫婦は約束の時間に駐車場にやって来た。わたしは後部席に乗りこみ、Sさんと隣り合わせに座った。彼は聖書の内容の全体を知るためにはこの本が良いのです、と言って(聖書は実際に何を教えていますか)と言う本を私に開かせ、第一章から朗読することを求め、わたしは読んでいった。日曜礼拝と同じように、下段に質問と答えが用意されていて、答えは読んだ文章の中に書いてあるのだった。彼は質問し、わたしは答えたが、(神に関する真理とは何ですか)などの質問に対しても(求めつづけなさい。そうすれば与えられます)と言ったようなありきたりの答えしか書いていない。

 わたしは言った。

 「モルモン教は一夫多妻を行うが、あなたたちの宗派はそれを淫行と言って否定している。同じキリスト教で使っている聖書も同じなのに何故そんな食い違いが起きるのか?」

 「モルモン教徒は聖書を読んでいないからですよ」

 「物理化学の法則や方程式にはそんな間違いは絶対に起こらないから、わたしはそちらの方が真理だと思います」

 私の言葉に彼らの反論はなかった。

 「聖書に法則や方程式は無くても金言やしんごんじみたものがあればそれは真理でしょう」

 私は言い、(求めつづけなさい。そうすれば与えられます)と言う言葉は(求めよさらば与えられん)と言う言葉で記憶していたことを思い出した。

 電車の中でも、待合室でも歩きながらでもスマホを見ている者が多数を占めるようになっている。(金欠病で苦しんでいますがどうすれば良いでしょうか?)と打ち込めば、(働いてみますか?どんな仕事が希望ですか?)と返事が返り、仕事を探してくれるだろうし、(一人ぽっちで寂しい)と打ち込めば出会い系サイトを紹介してくれるであろう。

 エホバの証人たちがいつも聖書を持ち歩き、不安や疑問があったら開いて相談や助けを求めるように今はスマホが聖書になってきている。

 「やがて、AIが神にとって代わりますよ」

 私が言うと、「AIもけっきょくは人の造ったものです」

 Aさんは応えた。

 「パソコンやスマホは正確に打ち込めばほとんど間違いなく答えてくれる。知性が純粋培養されたものですよ。だから人間を超えていきます」

 わたしは言って、それが神になっていく、と信じた。

 

愛さえなければ。

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nakamura 2017-12-8 13:31

 この言葉は三島由紀夫の小説(愛の渇き)に出てる言葉であるが、わたしは若い頃に読み、今でも心に強く残っている。

 昨日、近所のA君宅を訪れた。彼はその前に私の家を訪れたが、わたしが不在だったので家に戻ったと言う。彼は週に一度はわたしを訪れて、愚痴をこぼす。この町の人間はすっかり表情を失ってる、若い頃はみんな元気があったのにとか、老いた母の足腰が立たなくなって心配だ、下の世話が大変だとか話し、私も身障会やカラオケ会、年金の会、パソコン教室に行った時の出来事を話す。二人とも孤独で、金がない、世の中を批判的に見ていることが共通している。

 彼の貧しい家に上がると、コーヒーを入れ、石油ストーブで焼いた芋を出してくれた。母親は84歳で、奥の間に寝ていて、(お母さん!起きなさい!ご飯、食べてないやろがね)と彼は声をかけ、古いアルバムを開いてわたしに見せてくれた。モノクロ写真がほとんどであったが、酒屋をしていた母親の実家の叔父や叔母たちが純な笑顔でわたしを見返していた。わたしはその時代を知っていたので、彼の今の人は表情がない、という言葉に同感し、写真で以前の日本人を感じるたびに私は強く胸を突かれた。彼の父がカメラを持っていたせいであろう、彼の幼少時の写真はわたしのそれの十倍くらいはあった。

 彼が毎週みたいに撮った母親の写真がアルバムに入っていて、わたしはその愛情の深さに驚いた。自分の恋人にでもそこまでする男は少ないであろうが、彼は女には関心がなく六十歳過ぎても独身である。母親が恋人以上の女なのであろう。

 わたしは自分の母親が寝たきりになった時、別の家に住んでいたこともあって週に一度も訪れなかった。

 母は孤独死してしまった。母はどこか遠ざけたい人であったが、死に目に会えなかったことが悔やまれた。

 A君にとって母親が起き上がれないことがよほどショックだったのだろう、時々、涙ぐんだ。昔の家庭の出来事を話し、何度もに母に声をかけて起きるように呼び掛けた。

 (中村さんが来とるんよ!あ母さんは中村さんのお母さんと町営の風呂によう行ったやない!)

 彼は立ち上がり、母親のベットのそばに行った。

 わたしもついて行った。

 母親はベットの中にうつ伏せに寝ていて、起き上がろうとしていたが起き上がれないのであった。

 わたしは白髪のない黒い後頭部を見た。

 そこで軽いショックを受けたが理由はわからなかった。

 一日たって、わかった。

 私の母が孤独死し、医者が検死をしてる時、わたしは母のベットに行った。体が五倍くらいに膨れ上がり、顔も別人に見えた。わたしは立ちすくんだまま、後頭部の髪の生え際のうねりを見て、母であることを確認したのであった。

 その生え際がA君の母親のそれと重なってよみがえったのだ。

 愛さえなければ苦しまずにすむが、愛があれば苦しみも減るのである。

 A君の母親のことが心配になり、(俺に出来る事があったらしてあげる)と言うと、彼は私の手を握って、また涙ぐんだ。彼の身内も死に絶え、遠方に散っていて、頼る者がいないのである。趣味も山歩きと酒を飲むことくらいしかない。

 母親の事より、A君の取り乱した精神状態が心配なのである。

 家に入れて、一緒にご飯を食べたりしゃべったりすることになるだろうが・・。

 

神歩きー5

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nakamura 2017-11-27 6:22

 昨日、エホバの証人の信者からケイタイに電話がかかり、会って話をした。夫婦連れであった。わたしにとっては自分の考えを試せる機会であり、面白かった。わたしは逆に布教する側でもあった。

 彼は創世記から、禁断の木の実、バビロンの捕囚、ノアの洪水、バベルの塔、と聖書を開いて、話してくれた。わたしは聖書は文学として面白く読んでいますと言い、寓話や比喩が文学的だと付け加えた。まさにその通りであった。神が作家であり、キリストは神の子と言われるように神の分身・主人公なのである。このように捉えるとよくわかる。

 神が天と地を作り、あらゆる生命を作られた、と彼は言うので、(そんなに力があるのであれば宗教戦争やイスラム教徒のテロなどなぜ防がないのか?)と問うと、彼らは沈黙した。

 (あなたたちの信者は何人いますか?)と問うと、世界的に相当な数がいる、と答えるので、(物理化学の法則は地球始まって以来、全人類、あらゆる場所で通用する。それには到底かなわないですよ)と言うと、(その法則は聖書にも書いてある)(それは言語で書いてるので不確かな部分があるが数式はあらゆる国に通用するのです)と反論した。

 二時間ほど議論が続き、妻の方はわたしの回りくどい話に少し、苛立ったようであったが、夫は冷静で、重力やエネルギーの法則なども知っていた。

 (あなたたちはキリスト教の側から説明し、わたしは物理化学の方から説明するけど、真理を追及すると言う点では一致している)

 と言うと互いに納得した。

 一週間ほど前のニュースを思い出していた。(量子コンピューターが出来ました。これまでは1と0

の組み合わせの記号だったけど、は1でもあり、0でもあるという考えに基づいています)という内容だった。これはまさに(シュレディンガーの猫)の論理である。毒ガス装置のある箱に入っている猫は(生きてもいるし、死んでもいる)のである。

 どの世界も二項対立で成り立っている。

 (あなたたちは邪教とかサタンとか言うけど、それは神が必要としているのですよ)

 (・・・・・・・・・・・・・・)

 (神の正しさを証明するためには対立物を持ち出すしかない。アメリカがイラン・イラク、北朝鮮などの敵国を絶えず必要としているように)

 私は言い、彼らは黙っていた。

 別れ際に夫の方が、(今度は権威について話します)というので、了解した。

 

神歩きー4

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日記
執筆 : 
nakamura 2017-11-23 6:02

 エホバの証人は布教のために、いろんな家庭を夫婦や子供連れで訪ね歩いている。庭の花々に眼を向けながら、(この世は天国)だと訴えんばかりに満面に笑顔をうかべている。彼らを知ってる者達にはすぐにわかる。

 わたしはその笑顔を羨ましく思いながらも、入信することはないと信じている。年収の一割が寄付金として必要だと言われ、それは(満面の笑顔)からみれば決して高いものではないと考えるが、入信すればわたしは(わたし)を捨てなければならない。若い頃、いろんな希望を抱いていたが何一つ達成出来ず、単に生きることしか出来なかった人生であった。が、入信すれば戒律としてとがめられるものが多くなり、わたしは無頼漢に近い男でこれまで放縦な自由を満喫してきた。常識外れの考え方をし、酒色にふけり、煙草を吸い、怠惰や反抗にふけり、時には喧嘩をし、万引きもした。

 小説を書くことで自己を可能な限り、見詰め、探求した。なぜ、あなたは(自分)にそんなにこだわるのか?と問われたこともあったが、もっとも身近な自己を探求することは死ぬまで飽きることのない楽しみでもある。

 信仰とは自己放棄である。そうでなければイエスや仏を信じることは出来ない。エホバの証人のパンフレットに書いてあるように、夫婦は尊敬し合い、両親を尊び、淫行をしてはいけないし、盗みや人殺しもいけないのである。

 四日ほど前の毎日新聞に(共依存の倫理)というタイトルが書評欄に掲載されていて、現代人は(他者の問題にばかり注目する、自己を喪失した病人)と書いてあった。テレビのニュース・ショーやスマホ、噂話、他人の行動の監視に自分自身を奪われている現代人は多い。自分から逃避し、それらに一日を奪われている人は自分と向き合うことが辛いからである。それは過労死に至るまで働くことも(ワークホーリックー自己喪失)ではなかったのではなかろうか?

 神権や王権の抑圧体制からのがれるために人権思想が産まれ、民主主義に進み、信教、思想、言論の自由が認められ、個人主義の生活に至った。自己放棄とはその流れに逆行することであるが、個人主義が進み過ぎて、自己の人生に悩んでいる人が多い。家出人が届け出があるだけで八万人と言われている。届け出がない人を含めればその二倍は存在しているであろう。

 自己を捨て、神が絶えず自分に付き添っているという宗教があり、それに入る人が多いということは納得できる。絶えず神が自分のそばにいてくれて導いてくれる、これは家出人や自殺願望の人たちにとってはまさに、(救いの神)であろう。

 

神歩きー3

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日記
執筆 : 
nakamura 2017-11-23 5:34

 エホバの証人は布教のために、いろんな家庭を夫婦や子供連れで訪ね歩いている。庭の花々に眼を向けながら、(この世は天国)だと訴えんばかりに満面に笑顔をうかべている。彼らを知ってる者達にはすぐにわかる。

 わたしはその笑顔を羨ましく思いながらも、入信することはないと信じている。年収の一割が寄付金として必要だと言われ、それは満面の笑顔からみれば決して高いものではないと考えるが、入信すればわたしは(わたし)を捨てなければならないことを知っているからである。いろんな希望を抱いていたが何一つ達成は出来ず、生きることしか出来なかった人生であった。が、入信していれば戒律としてとがめられていた自由をわたしは満喫したのだ。常識外れの考え方をし、酒色にふけり、煙草を吸い、怠惰や反抗にふけり、時には喧嘩をし、万引きをした。

 小説を書くことで自己を可能な限り、見詰め、探求した。なぜ、あなたは(自分)にそんなにこだわるのか?と問われたこともあったが、もっともも身近な自己を探求することは死ぬまで飽きることのない楽しみでもある。

 信仰とは自己放棄であるし、そうでなければイエスや仏を信じることは出来ない。

 四日ほど前の毎日新聞に(共依存の倫理)というタイトルが書評欄に掲載されていて、(他者の問題にばかり注目する、自己を喪失した病人)と書いてあった。テレビのニュース・ショーやスマホ、噂話他人の行動への監視に自分自身を

 

神歩きー2。

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日記
執筆 : 
nakamura 2017-11-20 6:55

 四日後、エホバの証人は訪ねて来た。今度は美人の女を連れではなく、夫婦であった。彼の車の中で神について話した。彼は自衛隊で働いていたが、人を殺してはいけない、と言う神の教えに従って、38歳で退職した。外国では徴兵制があって、軍隊に入ることになっているが、信者の場合はどうするのか?と尋ねると、アメリカの場合は兵役の代わりにボランティア活動をして免れ、韓国では刑に服すると言い、実行しているという。

 昨日、エホバの証人の王国会館で集会があるから、来ませんか?という電話があり、彼の車で行った。百人ほどが会館に集まり、話を聞き、賛美歌を歌い、神に対する好意的な意見を席からマイクで話した。私も歌い、話を聞いた。老若男女が幸福に満ちた顔で椅子に座り、聖書を手にし、一つの神で結ばれていた。二時間ほどで終わると、勧誘者はわたしを周りの信者たちに紹介した。ある老女は衣料品店の裏にある大きなお家ですね?と言って私の家を知ってた。わたしの近所の人の従弟がいて、彼はきちんとした身なりで神について冷静で安らかな表情で講演をした若者であった。初めて私の家を訪れた美女が私に笑いかけ、これは弟です、と言って隣の男性を紹介し、彼は内面から滲む笑いをわたしに向けて、よろしくお願いします、と言った。

 若い頃、(統一教会)に誘われて行ったことがあったが、70歳の今とは感じ方が異なっていた。こんな雰囲気の世界に入りたい気分であったが、わたしが観察者の姿勢は崩すことはないであろう。

 神は一つであるがそれに帰依する人間がちがうので色んな宗派、宗教が出来ると勧誘者は言った。異教徒たちを悪魔・サタンとみなして自分の宗派に入れようとしたり、悲惨な宗教裁判、宗教戦争を起こしたりした歴史、また、テロなどの現実世界は信者達あの満ち足りた笑顔の裏に必然的(二項対立)

出るものであると考えた。

 帰宅後、いつもの山道を幸福な気分で歩いた。急な坂道や石ころだらけの悪路で、体がふらつきそうになることがある。これは単に歩いているのではなく、歩くことで(祈っている)のではないか?と考えた。

神歩き?1

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日記
執筆 : 
nakamura 2017-11-13 6:05

 一昨日の朝方、玄関のチャイムが鳴った。いつも寄って行くO君か年金の会のM君だろうと予想して行ってみると、スタイルの良い若い女と初老のネクタイ姿の男が立っていた。

 「いきなりチャイムを押して迷惑をかけました。良いプレゼントがあるのですが、いかがでしょうか?」

 女優にしても良いような美女は魅力的な笑みを浮かべて私に言った。

 (エホバの証人)だとわたしは直観した。彼らは二人連れで訪れ、美女をマスコットガールに仕立てて訪問し、道を歩きながら、家の庭の花々に眼をむけながら、(この世は天国)だと言わんばかりの表情を浮かべながら、移動していく。

 「御覧のようにうちには果樹も野菜もじゅうぶんにあるのでプレゼントに不自由はしていません」

 「そうですね。広くて素晴らしい庭ですね」

 彼女は庭や木々を見回した。

 「ところでご主人、聖書を読まれたことありますか?」

 初老の男は静かに口を開いた。

 「宗教の考え方には興味がありますが、宗教団体には興味はありません」

 「そうですか、神についてのお話なら、(王国)に来られてお話を聞かれたら満足されますよ」

 「ものみの塔、の方ですね?」

 「そうです」

 「時々、こうして来られます。‥さんも来られました」

 「知っています」

 「一神教、ヨーロッパではキリスト教ですが、それは他の宗教を邪教、悪魔と呼んで攻撃しましたよね」

 「うちではそんなことはしません」

 「けど、キリストしか信じない一神教ですよね?」

 「そうです」

 「かれらが起こした宗教戦争、宗教裁判の被害者はベトナム戦争、イラク・イラン戦争、イスラエル独立戦争も含めて計り知れない数ですよ。原因は他宗教を廃絶する一神教にあるのです。それにその宗教を運営する牧師、ローマ法王などはその団体の寄付金で生活しているから神のためではなく自分の生活の為という意図を持っているのですよ。キリストはすごく純粋な気持ちで布教活動を始めたのですが人間がかかわると利害がからんで政治の世界と同じになるのです}

 マスコット・ガールの美女は絶えず笑みを浮かべているが、初老男は門扉を挟んで私に近寄って来て、真剣な眼になった。

 「わたしたちは他に仕事を持ちながら活動しています」

 「あなたたちの組織の運営はどんな仕組みになっていますか?絶えず(王国会館)に常駐している専従者がいるはずですし、ピラミッド型の組織になってはずです」

 「ご主人、次に約束してた家がありますので、この話は次にゆっくりさせてください」

 初老男は言い、二人とも背中を向けた。

 たぶん二度と訪れないだろうが、わたしは論争を楽しみにして待っている。

 

 

楽屋裏は日の出前。

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日記
執筆 : 
nakamura 2017-11-6 21:03

 警備会社で働いていた頃、格闘技家の前田日明の警備をしたことがあった。天井に一個の電灯がついただけの控室であった。彼はパンツ一枚の姿で独り、試合に備えて、気持ちを整えていた。時々体を軽く揺すったり、両肩を回したりしていたが、椅子に座りぢっとし始めた。沈黙と闇がリンクした。わたしは5メートルほど離れた位置で彼を見ていたが、自分が警護する立場であることをすっかり忘れ、彼を観察していた。闇の中にすごいエネルギーがオーラを放っていた。真剣勝負を控えていたのだろう、殺気が迫って来た。

 昨日、戸畑のウエル・戸畑と言う大型施設でカラオケ発表会があり、わたしは出演することになっていた。ステージで歌う10人前までが楽屋裏の待合室で順番を待っていた。音響機械があり、マイク渡しや進行係など関係者がいて、出場者はステージの方を観たり、小声で歌を歌ったり、緊張して黙り込んだり、仲間としゃべったりしていたが、そこも同じく天井にわずかな明かりが点いているだけの殺風景な闇であった。

 わたしはステージに進む段になって歌詞を思い出そうとした。が、頭の中は真っ白で何も無かった。ステージに立てば、目の前のモニター画面に歌詞が出ることを知っていたのでそれを見ることにした。歌い始めると、自分の手が歌詞の世界に合わせるように動き、(千鳥の舞)という物語の世界を演じ始めた自分を知り、安心して歌っていった。

 歌い終わると、カラオケの先生が立っていて、あなたを見損なっていたわ、と言ってくれたり、先輩が下腹に力が入っていなかったよ、などと忠告してくれて嬉しかった。

 帰宅すると、読んでいなかった朝刊を読んだ。9人を殺した座間市の殺人事件のことが載っていた。殺人者の楽屋裏は彼の一間の部屋であるが、9人の死体を箱の中に入れたまま、逮捕される前の日まで寝起きしていたのだ。金が目的だったとか、暴行が目的だったとか供述しているが、死体を埋めるとか川に捨てるとかしてなぜ証拠隠滅をしなかったのか不思議である。彼にとってそれは死体ではなく、幸福な生活を共にした記念品であったに違いない。命を共にした絆の象徴であったのであろう。

 私の部屋には4箱の昆虫箱、カブトガニ、ハマグリなどの貝が壁に飾ってある。アゲハチョウ、紋白蝶、カミキリムシ、クワガタムシ、カミキリムシなどが羽根や脚をピンと張ってまるで生きたもののように並べられている。40年前、東京から戻った時に採集したものである。

 私の青春を共にした大事な記念品なのである。それらは色も落とさず、当時に姿のまま箱の中で生き続けている。わたしは思う。殺人者は私と同じように、八人の女たちの姿を、出来れば、当時のままの姿で保存し、いっしょに生活していたかったに違いない。私の母が、自室で孤独死をしていた時、葬儀屋に頼んで死装束に包んでもらい、葬儀場に運んでもらったが、わたしは母の死に目に会い、母と一晩過ごしたかったといつも悔やまれる。

 生命が死んで物体物質に戻ると言う事は生命が生まれるのと等しい出来事なのである。昔、(水のないプール)というエロ映画監督の作品があった。そこでは女の下着を収集した男が部屋の中で、たくさんデザイン豊かなパンティやブラジャーに囲まれて、天国にいるような生活をいていた。彼は母の胎内にいるような気持であったのだろう。男は誰でも狩猟者・収集家のDNAを持っているが女には少ない。性同一障害を始め、時代や人間を見直す転換期に来ていると思う。

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