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絵画でも写真でもそうであるが、陰影を失うと素材の存在感が無くなり、あるいは薄くなる。近頃、街中でも電車の中でも暴力団、ヤクザらしい者の姿を見なくなった。彼らはサングラスをかけたり、時には腕の入れ墨をちらつかせ、あるいは変わった服装をしたりして人目を引き、ほら、怖いだろう、俺はお前たちとは違う人種なんだ、と誇示していたのだが、野良犬、野良猫、ホームレスが消えたのと時期を同じくして消えてしまった。昔、わたしがNHkの集金の仕事をしていた時、ドアの前から、NHKの受信料のご相談にお伺いしました!と言うと、ちょと待ちない、と部屋の中からこたえ、おもむろにドアを開け、寒い冬にランニングシャツ一枚の上半身に唐獅子牡丹を見せながら、なんな?とわたしの眼を見据えてきたものであった。時には老いて皺の混じった肌の入れ墨を見せたり、半身不随になった老男に会ったりした。わたしは最初は驚いていたが、しだいに怖くなくなってきた。
暴追放のせいで彼らは社会の表面から去ったのであろうが、風俗や歌謡曲、映画、舞台から、(怒り)(反抗)が消えている。街中の人々の表情からも怒り、同時に活気が消えてしまった。怒りは生きる上において大事なことなのである。戦争反対、セクハラ、パワハラ、マタハラは犯罪である、という言葉が暴力の退場とともに増える一方である。
わたしは日本共産党の集会の場でも発言した。あなたたちは戦争反対をいつも訴えるが、軍備はいらないのか?戦争は本当になくなるのか?そこから議論すべきではないか!と。すると、戦争反対は決まったことであるからそれに従うべきである、と返って来たので、(俺はそれに賛成してはいない)と言い返してやった。
5年前に心臓のバイパス手術を受け、成功した。12時間の大変な手術だったので執刀医には感謝している。心筋梗塞を起こして死にかけていた自分が、今では一時間半の山歩き、農作業、カラオケ教室、パソコン教室、障害者の会、年金の会などに通い、ウコンのおかげで性欲も十分に回復している。
さて、70歳からの、第二の人生が待っているのだ。株で儲ければ、東京に行って、青春の跡地を訪ね、大学時代の悪友に会い、女と遊び、海外旅行をし、自分なりの(聖書)の執筆にとりかかろうと考えている。
今月の初めに喘息にかかり、インフルエンザにもかかった。毎月通う病院の看護婦から、予防注射を受けた方が良いですよ、と言われながら、(肺炎でも起こして死んでも良い)と応え、失笑を買っていたが、ついにお迎えが来るかと高を括り、放置していた。同時に便秘も続くので。検便で大腸がんの検査も出していた。
風邪は治り、癌にはかかっていなかった。
いつでも死んでも良い、と考えているが、従軍しながら命拾いした父がよく言っていたように(付録の人生)なのである。あの時、あと二、三時間遅れていれば死んでいたわけだから、自分の命のしぶとさに驚き、感謝している。退院時に医者から、酒は絶対ダメですよ、と言われながら、ほとんど毎晩酒を飲んでいる。命を拾ったわけだから、(命拾い)とはよく言ったものでる。
ケンタッキー・フライド・チキンの奇形鶏をネットで見て、ショックを受け、人と自分の未来を知ってしまった。肉の量を増やすために遺伝子操作をし、四つ足、五つ脚の鶏を生産し、フライドチキンにして客に食べさせていると言うが、生命を冒瀆するその商法に資本主義の根本を疑ってしまう。あんな悲惨な、怖いことまでして利潤の追求をしなければならないのか?でも、私たちは添加物だらけの食品をほぼ毎日食べて生きているではないか?コンビニで弁当やお茶を買って飲食することは当たり前のことになっているし、スーパーで買う物、レストランで食べる物、果ては水道の水にまで有害な添加物が入っていて、癌や認知症の素因を作り、子孫にまで悪影響を与えているのである。
その方向に対して、わたしはほんのわずかな抵抗をしている。チップ農法による無農薬、無肥料の野菜作りである。今は、夏野菜の準備をしていて、10畝にチップを播き、発酵菌が土を食べ、地面の下に浸食し、養分を作っていくのを待っている。今は、白菜、カリフラワー、大根、ホウレンソウが育ち、とても良い味わいを出してくれている。無農薬、無添加100パーセントの野菜作り、出荷を目指している。
今のところ、毎朝、目が覚める。私は無職であるから、しなければならないというものはない。起きても起きなくても良いわけだから、出来るだけ暖かい布団の中に居たいと思って、長寝をしようとするが、トイレに行こうと立ち上がり、パンを焼いてコーヒーを飲む、そんなことをしてるうちに私の一日が始められる。
(行く川の流れは絶えずして、元の水にあらず)という鴨長明の随筆を思い出す。これはまさに哲学である。その言葉のとおりでであり、時間がエネルギーであることを言い当てている。わたしの一日の動きでも前と同じ状態はありえない。空間の中の物の変化が時間を産み、エネルギーになる。エネルギー不滅の法則があるように地球に重力がある限り、エネルギーは消えない。
目覚めぬ朝が来たとしても、わたしの死体の腐敗、白骨化の変化によって、時間はエネルギーを持ったまま永遠に生き続けるのである。
毎日、寒い日が続き、空は薄暗くて、気分が落ち込むことがある。これで春が来、夏が巡って来るのだろうか?と不安になる。
あの日の夏のことは忘れないし、思い出すたびに心を支えてくれるのがわかる。わたしの体の中に入ったタコちゃんは今頃、どうしてるか知らないが、わたしと共に生きていることは確かだ。
津屋崎の勝浦の岬がわたしの勝手な漁場であった。地の島を目の前にして、潮が良く引いたの大潮の日に出かけた。水中眼鏡とシュノーケルをつけ、素潜りをした。浅瀬の海の底は差し込む陽光が金色に光り、無音の中に神秘的な景色を砂地に展開していた。わたしはアワビやサザエ、魚を探しながら漂っていた。岩場におかしな現場を見た。穴の入口に手の平の半分くらいの薄い石が立てかけてあったのだ。横に倒れているのであれば自然であるが、(立っている)ことに不自然さを覚えた。そばに空の貝殻が散乱している。ピンときた。タコの巣であろう。私の気配を察して、穴の入口に塀を立てたに違いない。私はすぐに浮上して、息をたっぷり吸った。潜ると、穴に手を伸ばした。柔らかい感触を得た。タコの体の一部を握り、引っ張り始めた。タコは岩肌にぴったり張り付き、掴まるまいとした。数分、格闘した末、タコは根負けして手の中に入って来た。
あまえも賢そうだけど、賢くなかったんだな。石の塀などしなければ見つからないものを、知恵を回し過ぎたために食べられてしまうことになった。
こんなこと、今、思ってるのはあの時のタコかもしれない?
相撲行司の式守氏がセクハラ疑惑を持たれ、引退するかどうかでもめている。セクハラは今や世界的に問題化され始めているが、マスコミ関係者や有識者たちはセクハラの加害者のことは悪行として取り上げる。が、その本質に迫ろうとはしない。それは自分(男性)の仕事を失う可能性が大いにあるからである。
(レア)と時々呼ばれるわたしは敢えて取り上げてみたい。無名であるがゆえに許される特権である。
先ず、善悪の基準を外してみたい。そうしないと本質に迫れないからである。女のセクハラだって現実的にはあるのだが、数が少ないのでほとんど取り上げられることは無い。それに女が相手に好意を持っている場合は、逆に歓迎されるので、セクハラかどうかの判定基準は微妙である。セクハラをする男たちは、自分のことをどう想っているのか、試すこともあってやるのである。それが執拗になると訴えられる。やめておけば良いものをつい手が出てしまう。(この手が悪いのよ!)と手を叩かれてまだ続けるのはリピドー(性欲)のせいである。女にだって当然性欲はあるのだが、ベクトルが逆なのである。押すエネルギーと引き込むエネルギーのちがい、つまり重力と引力の関係であり、実は同じエネルギーなのである。リンゴが落ちる、とみるのか、地面に吸い込まれた、と見るかは、観察者の目線がリンゴより下にあるか上にあるかで異なってくるのと同じである。
女にだって魅力があるから、セクハラを受けるのであり、まったく魅力がない場合はそばに寄って来られることもないであろう。地球に重力がある限り、生物は生き続け、セクハラも戦争もなくなりはしない。
先ほど見ていた夢は、これは夢であると知りながら、見ていた。五年前まで住んでいた大きなボロ家の中で、近所の子供たちと遊んでいる夢であった。部屋がたくさんある家で、母が昔、学生の下宿屋をやっていて、私はその広い座敷で産まれたようであった。渡り廊下のそばに池があって、魚が泳いでいて、十年前まで色とりどりのドイツ鯉を私は飼っていたが、夏のある日、酸欠を起こして死んでしまった。悲しかった。
幼い頃は近所の子供たちの家に行って、かくれんばをしたり、お医者さんごっこをしたりして、遊び、6,7歳になると、パッチンや石蹴り、縄跳び、ビー玉でインキョと言う遊びをした。親たちはどこの家も仕事に出かけていたので、自由に遊べた。かくれんぼをする時には気に入った女の子と押し入れの中に隠れ、抱き合い、性器をいじったりした。乱交みたいのもやった。
近頃は幼い頃の夢をしきりに見るようになったが、幼少の頃は夢のストーリーを自分で操ることが出来た。隣の家の女の子に会いたいと思えば、自分の体が宙に浮いて行き、畳の上でセックスをし、目覚めるとパンツが精液にまみれていた。
先ほども、幼馴染と思われる子供たちが俯いて遊んでいた。これは夢だなと私は思い、これから自分の欲望のままにストーリーを進めようと考えながら、夢を中断させたくないと判断し、けっきょく、目覚めてしまった。
そして、いつか目覚めぬ朝が来るであろうが、その時は夢の世界に住んでいるかもしれない。
これまで一般農法(一時的に枯葉を入れる自然農法をやってみたが続かなかった)で野菜作りをし、石灰、堆肥、化学肥料を入れて作ってみたが、虫が増えて芽が食われ、何もできなくなった。特にフランスから土に混じって入って来たクビナガが大量発生し、畑はほぼ全滅していた。知り合いからチップ農法を教えられ、近所の建設会社で木を粉砕して出来るチップをもらってきて畑に入れ、半年前からチップ農法を始めた。水が要らない、肥料が要らない、もちろん農薬も使わない、そんなやり方で少しずつ効果が出ているようだ。長ネギ、ジャガイモ、大根、ホウレンソウ、カリフラワー、白菜など毎日、観察しているが、はっきり効果が出ているのは大根である。最初に播いた種は全部食われたので、遅蒔きになり、葉はまだ指の長さほどであるが、根が三十センチ以上も長い。これはあきらかにチップが発酵して出た菌が土を食べながら伸び、畑地を深く掘っていったからである。そこはスポンジ状になっているので水をやる必要はないのだ。山の木が日照りが続いても枯れないのと同じである。一般の肥料をやらないから、虫が寄って来ない。クビナガも肥料や腐敗物が大好きであったけど、それらがないので数が減った。
環境にも良い、経済的である、と素晴らしい農法だから少しずつ普及しているが、本格的には広まっていない。チップは普通の肥料と混じるとバッティングすることがあり、農法の転換で失敗する場合があるので専業農家は慎重なのである。
カリフラワーの葉が全体的に薄い色あるが、白い実は大きく美しく、長い葉に抱かれるようにして成長しているし、長ネギも元気よく、ジャガイモも以前より大きいようである。ネットで調べると、チップ農法は二、三年しないと効果が出ない場合があると書いてあるが、わたしのところは専業ではないので心配していない。
チップ農法による野菜が出来れば、親しい人にあげたり、売ったりして、農法を広めていきたいつもりである。無農薬100パーセントの直売所を開いてみたいとも考え、夢が広がる。
今日の午前10時に、Aさん夫婦と車の中で対談をすることになっている。彼は航空力学にも強く、私のつたない物理化学の知識にも助言を与えてくれる。彼はその宗教に入ってくれ、と言う事もなく、淡々と教え、私の質問にも答え、私の考えにも同意することがある。私たちは研究し合っているのだ。
私は聖書を勉強しながら、私であれば次のような聖書を書くであろうと想像する。
神は私たち、動植物を含め地上のすべてのものに命を与えてくれ、元気に生きるようにエネルギーを与えてくれている。エネルギーは質量×重力で現される。地上で最大の質量は地球であるから、最大のエネルギーは地球であり、それが神である。重力は地球がその圏内の大気を押し付けていることから発生している。ゆえに、地球そのものが神である。
地球は自転することで太陽の当たる半球が半日で変わり、昼と夜をつくり、毎日繰り返し、循環している。それは光と陰を産み、すべての現象に二項対立、反転対称形を作っている。自分が不幸であるからと言って、悩むことはない。不幸の裏には幸福が待っており、幸福の裏には不幸が待っているのだ。(楽は苦の種、苦は楽の種)である。不幸であればそれを喜ぼうではないか。幸福であれば気を付けるようにしなければならない。すべては神(二項対立)の意向なのであるから。
神は太陽の光や風でもあるのだから、すべての生物に公平に降り注ぐ。一人とか何人とかにではないが、神から救われるとか幸福が与えられるとか、その逆の場合は神を信じいかに強い関係をもっているかにかかっている。
これが書き出しになるかもしれない。
元旦を、竹の子山で、枯れ竹を燃やして迎えた。独りであった。枯れ竹があちこちに倒れかかっていて、中に入れない状態であったが、鋸で切り外しながら進んでいった。いつもはチェーンソウで切るのだが、重くてエンジンの掛かりも悪いので2,300円の鋸を買った。すごく切れ味がよく、孟宗竹を切るのに30秒もかからなかった。
枯れ竹を集めて、火を焚いた。晴天が続いていたので、良く燃えた。両手の指で丸めきれないほど大きな竹は、時々、砲撃音みたいな音を辺りに放って、燃え盛った。
年末から野菜を売った小金が入り始め、チップ農法の結果待ち、普及活動、年金の会の活動、カラオケ会の発表会など今年はやることが多い。何をやってもうまくいかなかった人生に転機が訪れてくれれば良い。
昨日の2日は岡田君と出会い、そこの枯れ竹をまた燃やし、しゃべった。(正月くらい飲んでもいいやろう)と、酒好きの彼は昼間から酒を飲んでいた。彼は手伝ってくれた。枯れ竹を切って、焚火の中に投げ入れる速さは私よりはるかに速かった。10歳も若い。
焚火に向き合って腰を下ろし、話をした。
「ノーベル賞をもらった利根川進さんの、(精神と物質)を読んでいるけど、人間のDNA を全部解析するにはあと7000年もかかるらしいね?」
私は言った。
「俺たちが死ぬまでにもわからんのよね」
彼は答えた。
「そうだ。俺たちがこうして焚火を囲んでいる光景だって、DNAに録画されてるかもしれないよ」
私は言った。