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今年の夏は、すごく短かった。いつもの十分の一くらいの期間にしか感じられない。なぜなのか考えてもわからない。相変わらず、屋敷の草刈り、野菜作り、年金の会のマージャン、障害者の会のカラオケ、カラオケ教室、散歩、小説の執筆、産直店の出荷など定番の生活をし、出会う人も同じだし、この町から出はしなかった。以前は小倉の風俗店に行ったり、海に素潜りに行ったり、バイクでツーリングをしたり、ラブホテルに入ったりしていたが、それらがなくなったのだから、変化に乏しくなったわけである。時間は単調に流れ、流れている感じさえしなかった。
時間の感覚、エネルギーとは活動量に比例するのではないか?
山道を散歩しても、オニヤンマ、クワガタムシ、カブトムシ、カミキリムシなどにも一度も出会わなかった。彼ら、私の友達もどこかへ、消えてしまった。除草剤に殺されたのだ。
昨日は、今日もそうだが、シトシト雨と蒸し暑さの一日であった。座椅子に寝て、扇風機にあたっているのも、ウツになるので傘を差して散歩に出た。薬の飲み過ぎで体が少し、ふらついていたが、修行をしなければいけない、と考えて家を出た。団地を過ぎ、山道に入ると、誰とも出会わず、一人旅になる。細い道は上り下りが激しく、石ころだらけで暗い。時々、猪の喘ぎが耳に入る。坂道を下ったあたりから、一匹の蚋が私の体を刺そうとして付きまとっていた。体の周りをぐるぐる回り始めた。帽子で追い払っても、寄って来る。どこまでも付きまとう気であるようだった。
折り返し点に池に着いて、踏み段に腰を降ろしたが、蚋は私の体の周りを一生懸命、周り、隙を狙っている。帽子で払い落とそうとしたが、近頃、目が悪くなって命中しない。水を飲もうとして、バックの中を探ったが、ペットボトルを忘れてきたことに気づいた。やばい!水分不足で血液が濃くなると、血管が詰まり、脳梗塞をおこしたり、熱中症になる可能性があった。
急いで帰ろうと立ち上がった。元の道を辿りながら、川の橋に水飲み場があったことを思い出して行ったが、竹の樋から、水は出ていなかった。喉が渇いている上に、先ほどの虻はまた、体の周りを飛んでいた。家に帰りつくまでは一時間はかかる。焦った。道の端の木の葉に残った水滴を見つけ、啜ってみたがみずの量ははとんどない。
頭がふらついた。水分不足で倒れるかもしれない。それは死を意味する。急ぎ足で歩いていたが、汗をかくのは良くない、と考えたが、一刻も早く、水を飲まなければならなかった。坂道を上り、下りながら、プレハブの別荘に近づいてることを知ったが、そこは無人であら。そこを通り抜け、戸建ての団地に入る頃、脚に留って刺そうと構えた虻を帽子で叩き落とした。足で踏んづけると体の中は空っぽであった。だいぶ、飢えていたようであった。道の傍に、ミカンの木があった。手を伸ばして萎んだ実をかじると、酸っぱい汁が出て、飲み、
助かった。
情欲とは不思議な現象である。目で見て判断し、感じれば脳に伝えて、興奮を下腹部に伝達する。簡単に述べるとこんな順序に従って装置が作動するのであるが、どんなことに興奮するかは微妙である。性器や乳房を見て、あるいは体臭を感じ取って興奮するのであれば単純な動物的原理であるが、人間の場合は少し異なる。肩から食み出たブラジャーの細い紐、尻に浮き上がったビキニ・パンティのライン、スカートに包まれた臀部の肉感、それに少し前まではスカートの裾から覗く下着(シミチョローシュミーズのレース模様)、スカートの真ん中から顔を出すパンティ・恥部などであり、女の場合だって、浴衣姿の男の臀部に括られた帯であったり、ビキニ・パンツであったり、勃起したペニスであったり、男の場合と変わりはしない。
ただ、フェティシズムやチラリズムになると高度な感性に変わり、芸術家の感性に近づいてくる。故意や見よがしぶりなしぐさであっては効果が薄れる。うっかりと覗いてしまったことは日常の言動の中であっても驚き以上の効果を生み出す。先日、ある会合の時、終わって帰ろうとすると、女が畳の上り口に屈んでいた。後ろに立っていると、尻のベルトから、黒いレース状のパンティの紐が見え、驚いて見入っていたことがあった。パンティをはいている体を想像し、興奮してしまった。
レースのシュミーズをファッションにしたスカートも一時、流行ったが、わたしはまったく興奮しなかった。見てくれ、のポーズであったからだ。やはり、何気なく、ついうっかり見せてしまった時の効果の方が
強いのである。ちょとだけよ、と言わんばかりの露出が良いのである。
小説や絵画においても、醜悪感に転じるような部分は料理の薬味のように少ししか出さない。それは少しでだけで十分な効果を出し、鑑賞者に訴える力を持っているからである。その意味でチラリズムを味あうも者、また、それで誘惑しようとする者は芸術的感性を持っていると言える。
わたしは、厳しい母親に育てられたこともあって、独立心が強かったが、老境において、下級老人になってしまった。人に依存して生きるなんて大恥じであるが,依存しなければ生きていけないかもしれない。そこで、自分を正当化するのであろうが、(人は自分の力だけでは何一つ出来ません)と聖書にあるように、どんな金持ちでも権力者でも自然の恵みがなければ、そして百姓がいなければ生きていくことは出来ない、と考えるようになった。つまり、すべての生命は依存し合い、そして物質でさえも単独では生きていけないのである。
食物連鎖の構造においても、一つの種が欠けると全滅するわけであるが、多くの種を神が造った、と創世記にあるように、雑食性がある限り、そうはならないし、一つの種しか食べない種は早く絶滅するのである。
最初に生命が産まれた頃は動物と植物の区別はなかった。どちらでもある生命が活動していたが、ある時期から区別が生まれ、別々の道を歩むようになった。植物の道を選んだものは動かなくても生きていけるが、動物を選んだものは動かなければ生きて行けなくなった。植物の中でも野菜は人に美味しい味を与えるようになって、栽培されて生きる道を選んだ。依存である。雑草は独立心が強く、人間など頼りにはしないが、土には依存して養分をもらっている。
けっきょくどんな生命も連鎖の構造の中にいる限りは依存しあっており、それが生きる事なのである。良いとか悪いとかは言えないのである。
前のブログで、NHKを反面教師だと書いているが、内部に反抗勢力がいないことが逆に組織を弱くしている。単なる一集金人であったわたしが会議の場において、批判的意見をしゃべっていた時、あいつは気違いだという職員もいたが、NHKのことを考えて言ってくれているとか自分たちが言えないことを代弁してくれている、と言う反応があった。こんな事態になったからにはNHKの労働組合も立ち上がって、変革を訴えるべきなのにそんな気配もない。
日本の政界においても、二大政党が闘っていた時代からみて経済も外交も弱くなっているし、本当の意味での左翼・右翼もないに等しい。
ある知人の男性の癌が再発し、手術を受けることになった。
癌細胞は誰でも持っていて、健康時は、正常細胞とバランスをとっている。が、正常細胞が変異を起こして癌細胞になって増え、バランスを崩したのである。免疫療法とは癌細胞を正常細胞に戻す治療である。これを人間世界に転じて考えると、組織に反対勢力があった場合、彼らの意見が正論であった場合、意見を聞いて改革すれば良いのであるが、主流派はそうはせず、反対勢力を潰し、結局は組織自体がつぶれてしまうことが多い。主流派と反主流派が拮抗してるのが良い状態である。正常細胞が強くて、癌細胞と拮抗していれば癌にはかからないし、癌細胞は正常細胞と拮抗することによって正常細胞を強くしているのである。
今の時代は、本質を見失った者が多すぎる。こんな、老女がいる。イベントで皆が食べた弁当の容器を拾い、きれいに洗って再利用している。これに対して、汚いとか残りのおかずも拾っているのじゃない?とか批判するのである。これだけプラスチックやビニールによる環境汚染が問題になっている時、それは良いことだから自分たちもやろう!という方向には進まず、排除するのである。
おかしな時代であるし、おかしな日本である。
23年間、NHKで、集金人として働いたことは、私の人生の中核をなしたことがわかる。BS放送へ飛躍するために強い人材を必要とした時代で、好待遇を得て、戦場で取立人として戦った。NHKも良い番組を提供していたし、委託契約の仕事で福岡西部をバイクで走り回り、労働組合で書記として動き回った。
今では、ある集金人が絶えず言ってたように(受信料泥棒)をしていたのか?と振り返ることがあるが、それはNHKの現体制で働く場合であると思う。裁判で受信料支払い義務が明確されたからには良い番組を作らなくても金は入るのである。これがNHKにとっては良いことかもしれないが、堕落・腐敗の原因となった。年金機構にみられるように、勝手に年金を引き下げつづけ、職員たちは組織の改革・改善もせず、(年金ドロボウ)をやり続けるのと同じ構図である。公共の組織をはじめ、こんな組織が生活困窮者を食い物にしていることは許せない。(NHKから国民を守る)と言っている立花氏の言葉は的を得ている。NHKは国会議員の子弟を入局させたり、職員の子弟をいれたりして、地縁・血縁関係で組織をバベルの塔みたいに強力にしている。日頃から、政治家のやるように利益供与を繰り返しているのである。
NHK側では、反対勢力の切り崩しの計画もすでに整っているはずである。私達の労働組合は受信料不払い・支払い凍結で戦おうとしたが、勝てなかった。城の石垣を一つ一つ取り外していくのは至難の業である。NHK側に改革勢力がいれば助かるが、たぶん今の政界と同じで、自分が美味しい飯を食ことを考える者ばかりであろう。
立花氏はNHKへの取り組が終わると、政治活動から手を引く、長くいる世界ではない、と言っているが、それは的を得ている。魑魅魍魎の暗躍する世界は(堅気・カタギ)の住む世界ではない。
N国党、立花氏の話をユーチューブでみた。NHKの不正経理の担当をしていて、精神的におかしくなり、内部告発をして、いじめられ、やめた、と言う。よくわかる。わたしは単なる集金人で、月に一度しか、出局しなかったが、清らかなイメージとは異なる世界をみて、驚いた。不正・不祥事の内容を具体的に書けば際限がないので、大局からみると、あまりにも閉鎖的であり、マスメディアでありながら外部との風通しが悪い。例えば、受信料の問題でも良いが、NHKを訪問してみよう。受付で内容を告げると、そばのソファで待たされる。受付のそばのエレベーター前には制服姿の警備員が立っていて、IDカードを見せないと通してくれない。通れたとしても各部門の場所の表示はしておらず、どの階のどこにどんな部門があるかわからない。迷路になっている。屋上にはヘリポートがあり、建物は要塞のように頑丈である。他国との戦争が起こればまず放送局が狙われるからである。
会計検査院が立ち入る前に、内部の監査があり、いい加減な書類はつくるな、という指示がある。それに従った頃に検査院が入るのであるが、管理職と検査院の職員がいっしょに酒を飲んでいたという話を聞いたこともある。その後に不正行為や不祥事がマスコミに出され、内部監査や会計検査院はどんな検査をやっていたのか?と疑問に思わせられた。
集金の仕事を始めた頃、全体会議で(受信料制度のある国とない国とではどんな違いがありますか?)と局長に質問すると背後関係を調べられ、遠回しにそんな質問はするな、と釘を刺されたことがあった。
言論の自由のない組織にいると、元気がなくなり、顔色も冴えなくなる。NHKの番組に出て来る職員の顔はまさにそうである。俺は会長になってやる、電波を一方的に流して金をとる方が儲かる、と言っていた職員は、N国が放送にスクランブルをかけると言っていることに対してどう思うのであろうか?
N国党が国会施設内部の受信料を払わないと言っている、と今日の朝刊に載っている。
NHK内部では、今後、どうするか?もめているはずである。良心的な職員はすでに退職したり、左遷されているから、残党は、自分の飯が食えれば良い、という者ばかりであり、民放に変わるとか有料放送に変わるなどと言った改革派は隅に追いやられてるにちがいない。この組織も官僚主義であり、例えば営業部が不祥事を起こしたら、他の部署は自分達は関係がない、と捉える。放送部などは、受信料制度の意味を知らず、集金などしたことがないので払うのは当然だと人ごとの様に考える者が多い。
本当の危機感がわからない。直接、集金業務に関わっていれば(入局時に二週間ほどさせるらしいが)視聴者の気持ちや生々しい実態がわかるのであるが、個人の委託契約に丸投げし、最近は不動産屋などに法人委託をしている。わたしはこのホームページの(城山峠)に小説として実態を書いている。今、あの仕事を振り返ってみると、高収入であったが、なんと酷い仕事、取り立て屋みたいなことをやったと、心を痛めることがある。
改革の姿勢に変わらない限り、崩壊するしかない。不払い者や滞納者を裁判に訴えたとしても、その数が数百万件(十年前のことであるが現在もそれほど減っていないはずである)であるから、一件ずつ訴えた場合、その労力と費用は膨大なものであり、次から次へと不払い者が増えれば追いつくはずはない。
もう少し、まともな番組を作っていれば守ってやりたくもなるが、ニュースのトップにアベの顔をすごく目立つように編集して放映している限り、守ってやりたくはない。
今回の参議院選で、NHKから日本を守る党、の立候補者が当選した。わたしにはショックであった。なぜなら、自分がその政見で立候補してみたいと考えていたからである。彼は元NHKの職員で市議をしている人であるが、政見放送でNHKをぶっ壊す、とまで言ったのだから、度胸のよさに敬服する。
私は23年間、NHKの契約・集金の仕事をやってきた。今は国民年金で生活する下流老人であるが、時々、あなたは受信料で給料をもらって来た身分でありながら、NHKを批判するとは何事か?と、言われることがある。そうではない。受信料を払ってくれた人のお陰で生活して来たのであり、NHKに対しては契約取りの部分で多大な貢献をしたと思っている。
仕事を始めた頃、未契約先を回ると、すっかり信用したような顔で接して頂き、逆にこんなに簡単に受信契約をして良いのか?と、疑問さえ生じさせた。そして、受信料制度が成り立っている限り、日本人は変わらないと考えた。長いものに巻かれる、その精神を垣間見たからである。
その頃はNHKスペシャルを始めとして、良質の番組を提供していたが、訴訟で勝ち、法的に受信料を取れると判断したので、どんな番組を流しても経営上の問題は生じないと、決断している。ほとんど、テレビは観ないが、たまにNHKに回すと、生気のない職員ばかりが顔を出し、チャンネルを消してしまう。
大阪維新の党が国会議員が受信料を払わないのだから、自分たちも払わない、と表明したのが一週間前である。これから、どうなるであろうか?BS料金もっ含めると月に二千円にもなる受信料を、皆さん、払っていくつもりですか?わたしは障害者であることと低収入のお陰で免除になっているが、払っていれば支払い拒否をするであろう。口座払いを止め、担当者が取り立てに来れば、裁判に訴えてくれ、と言う。滞納者だけでも百万人は、当時、いたのでNHKは滞納認定から廃止に変え、汚名を消そうとしていた。百万人を提訴するには相当の金がいるので、NHK側は見せしめの裁判しかしない。また、わたしはどんな不正をNHKがやって来たかはじゅうぶん知っているが、それはしっかり準備してかかることである。
ともかくこの参院選の結果を見て、自分の意見をきちんと言える国民が増えて欲しい。そうすれば政治だって変わっていくのある。
反社会勢力という言葉がいつの間にか生まれ、マスコミに登場するようになった。なんとなく胡散臭い言葉だと考えながら、社会に定着し始めている。何かおかしい?言葉の背後に黒子みたいのがいて操っている?と時々、考える。国家や社会が変わる場合は何時の時代にも言葉から変わっていくのである。スケベ、変態、男女、造反有理、反権力、反抗心、田舎者など色んな言葉が消えていき、性的少数者をはじめ、新しい言葉が次々に登場して社会を変えていく。この流れはどこに向かっているのか?という疑問も浮かぶ余地がない。怖いことである。
反社会勢力とは、基本的には社会の秩序を荒らす暴力団を指している。義侠心という言葉で組織を繁栄させてきた彼らも資本主義に洗脳され、弱い者いじめの詐欺集団に転化してしまった。彼らを利用している人がいる限り、彼らが消えることは無い。一時は銀行が高利貸しに資金を融資していたこともあったのである。
年金難民、年金餓死者が出始めて、食べるものが無くなり、デモや抗議行動を繰り返すことが考えられる。そんな場合、彼らを反社会勢力と名指しして、抑圧するのではないか。以前であれば、反権力闘争と呼ばれていたものが、反社会勢力とすり替えられて権力側の攻撃対象にされはしないだろうか?大いに、心配されることである。
改革や革命は、先ず、反抗から出発するのである。
今年になって、二つの文学賞に応募していたが、二つとも一次予選で落ちていた。歳男だから、もしかすると?と期待していたが、落胆した。
もう一つの文学賞に応募する予定であった。偶然、知り合いの男性の母親が二度も文学賞をとり、下読みをしていると聞いていたので、彼を通してその母親に作品を送り、評価をしてもらった。
1応募規定の枚数より、少ない。
2小見出しは要らないのではないか?
3句読点がきちんと連続して打っていない。
4視点は一つにした方が良い。
以上の評価が彼を通して、返ってきた。
1はそのとおりであった。
2は作者の自由ではないか?
3は連続していなくてもかまわない、
のではないか?(内容がわかるように点から先の行を変えてみました)
4は視点は登場人物のそれが入ることもあるので統一の必要はないのではないか?
など、考え、これが下読みの基準であればずいぶんあやふやだと感じた。小説の文章になっていない、何を訴えたいのかわからない、誤字が多い、などであれば評価の基準としてあっていると思うが、2,3、4の項目は首を傾げざるを得ない。再読してもう一度評価内容を知らせるということであったが、三週間も音さたなしである。ネットで下読みの世界のことを調べると、読み手のフィーリングとあうかどうかでほとんど決まる、と書いてあった。なるほどと思った。相当の分量の作品を読まされるであろうから、首切り仕事になってしまうことはわかる。ネットの文章では,一次予選で落ちた作品が最初の書き出しの部分に手を入れただけで、その次には受賞したとのっている。1作品に対して、一人の下読みがいるのであろうか?それであるなら、どんな下読みにで出会うかによって運不運が決まってしまうことになる。出版社側もベストセラーになるかもしれない作品を逃してしまうことになる。
来月に、先ほどの下読みの人の受賞した文学賞に応募する予定であるが、結果はどうなるであろうか?