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善悪という色メガネ

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日記
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nakamura 2013-5-25 19:26

 結論から言えば、善悪という観点にとらわれて社会や政治、人を見ると本当の姿は見えないということである。私たちはとかく善悪の観点に左右されがちであるが、それは政権側が国民を支配しやすいように作り植えつけたものにしかすぎず、真理ではない。マスコミも善悪の観点にとらわれているから被害者、加害者の区別に走るあまり、被害者の状況や心理をとらえるばかりで加害者のそれらに目をつぶってしまう。沖縄基地における米軍のレイプ、住居不法侵入の事件はあとをたたず、いつも被害者の立場にたつばかりで米軍の置かれた状況にはまったく触れられない。だからこの事件はいつも繰り返されるばかりである。

 そろそろ善悪の彼岸をこえる観点が必要である。戦争の問題、従軍慰安婦の問題、政治家の靖国参拝、イジメ、体罰の問題など単に問題を広げただけで終わってしまうことが多すぎる。やがて蒸し返され、マスコミのネタになるばかりである。物理化学的な視点から出来事を分析したほうが解決の方法も見出せるし解決も早いのである。例えば、戦争はなぜ起こるのか?ということになるとほとんどが資源問題であり、特に食料不足に起因することが多い。原因がはっきりすれ経済支援、食料支援をしてあげれば戦争は防げる。北朝鮮の脅迫外交だって相手は金政権が倒されることを恐れての脅迫なのであるから、米国が一時的に平和条約を締結してやればおとなしくなるのである。ところがここにおかしいところがある。実はアメリカは北朝鮮のような無法者を必要とし、存在を利用しているのではないか?警察が暴力団や悪人がいるからメシが食えるように。

 物理化学的な分析をすると、人生の問題だって、人生に良いとか悪いとかありはしないし、単なる出来事だと悟れれば(なかなかむずかしいことだけど)意外と簡単にかたづけられることが多い。66歳になってそんなことがわかったような次第です。

幸福度の方程式

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日記
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nakamura 2013-5-25 8:23

 ジューン・ブライド(5月の花嫁)という言葉があるように、今は最高に良い季節です。自然に恵まれた我が家ではサヤインゲンの実を収穫してサヤの中から豆を取り出したり、大根を収穫して干したり、芽を出さなかったトウモロコシの種を蒔き直したり、虫に食われたキュウリやウリの苗をもう一度植えたり、楽しい作業に追われています。一ヶ月前にウコッケイのヒナを4匹いただいたのでその子供達に餌をやるようになり、楽しみが増えました。

 心臓の大手術をした者にとって、冬は辛いことが多くありました。歳をとった上でのことでしたから風呂場の冷気や布団の中に入って体が温まる時間の長さや戸外に出た時の寒さなどが身にこたえました。この季節にはそんなことが一掃され、すべてが楽しく感じられて、春になるだけでこんなに変わるものかと不思議に思えます。

 冬来たりなば春遠からじ、という言葉が西欧にありますが、これには東洋的な響きを感じます。時間と空間を越えた世界があります。そこで私は(幸福度の方程式、その答えは0に導かれる)、と思案したのです。四季の変化が少ない地域、例えば熱帯地や酷寒地に住む人達にとっては暑さ、寒さ、暖かさの感覚は少ないでしょうが四季の巡る地域の者にとっては大いにあります。冬の寒さを知った者ほど春の暖かさは身にしみるのです。空腹を知った者ほど食べた時の満足感は強く、愛に飢えた者ほど愛を受けた時の幸福感は強いのです。それらを方程式に導けば、マイナスの度合い・数値が強ければプラスの度合いは強く、プラスの度合いが強ければマイナスの数値が大きくけっきょく終わりは0になるとう図式なのです。

このように考えると、どんな生き方をしてもどんな人生であっても結局はO(空無)に帰着し、同じことであったということになるのです。それぞれの人生は他人にとやかく言われることではないし、言えないのです。万人の人生は平等でありどんな生き方をして良い、ということであり、私たちは一般常識の規定から解放されるのです。(楽は苦の種、苦は楽の種)と言うことわざがあるように一つの状態がいつまでも続くことはないし、逆に悩みや苦しみに囚われている人はそれがリバウンドした時の解放感がいかにすごいかに期待すべきです。学生時代を思い出すと、試験が終わった日の解放感がいかにすごかったかわかるように。

(みんな悩んで大きくなったあ!)

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日記
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nakamura 2013-4-20 3:34

「ソ、ソ、ソクラテスかプラトンかあ?み-んな悩んで大きくなったあ!」

このキャッチコピーは昭和40年代に流行したものです。当時わたしは東京で遊学していて、青春のまっさかりでした。野坂昭如氏の抑揚のある節回しに聞きほれ、自分の悩みも吹っ飛ばしてくれそうでした。耳の端に入るたびにパワーアップしたものでした。

あれから半世紀たった現在、日本人は世界でもっとも表情のない国民になってしまいました。海外留学していた若者が帰国し日本企業に就職したもののこの会社・国では精神的に耐えられないといい、海外に出て行くケースが増えています。つい先日、仕事を終えて帰宅する勤め人にチラシを配ったことがありますが、一人一人の顔を見ましたがその表情におどろきました。妻帯者であればこれから帰宅し夕食、風呂、家族とのくつろぎが待っているはずですがその気配がまったくうががえず会社生活の延長線上のような表情なのです。しかもこの町はまだ自然がじゅうぶんに残っている地域なのです。

これはいったい何なのか?と考えてみました。上記のキャッチコピーはドモリ口調でソクラテスとかプラトンを口に出しながらそんなむずかしい名前の西洋人がいたらしいけど彼らだって悩んで成長していったんだよ、どんな人間だって悩んだり苦しんだりして成長していくものさ、それでいいんだよ。と訴えているのです。ところが半世紀後の今はまったく変わってしまった。(悩んではいけない。苦しんではいけない。泣いては悲しんではいけない)そんな時にははやめに病院にいって治してもらいなさい)ヒキコモリやニートになってしまいますよ、という風潮なのです。すべてがこの世とうまくいってなければいけない、

という考えなのです。

日本人はそんな一般常識に支配されて自分の感情さえもすっかり失い、怒ることも泣くことも悲しむことも笑うこともなった。産まれた時からテレビの洗礼をうけ墓場までコマーシャルの笑顔に同調するのが喜びになってしまった。

(書を捨て街に出よう)じゃないが(テレビを捨て街に出よう)

駅前広場にベンチがあれば椅子に座ってビールでも飲み、近くにいる人に話しかけてみようではないか!笑いあい、世間話をし、議論をし、喧嘩をし、歌を歌い、人間の根源的な感情を取り戻してみようではないか!

マムシ(蝮)草って私のことよ

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nakamura 2013-4-5 20:25

夕方になるといつも散歩していますが、気になる草が道端に生えていました。頭上高くヒノキが茂った下で、暗がりに頭部の曲がった花みたいなものが立っているのです。高さは40センチくらいです。カラーという花に形は似ていますがそれより目立たず、陰気な感じです。

今日は車を出して散歩道まで行き、スコップで掘り取ってきました。量販店の園芸店舗に持って行って、店のオバサンに見せ、花の名前を尋ねました。(マムシグサだと思いますが、ネットのサトイモ科で調べれば載っているでしょう)という言葉を聞いて帰宅し、パソコンで調べました。

ありました!

なんと、(マムシグサという名前で日陰を好む。葉や茎には毒があるので注意すること)と書いてあるではありませんか。珍しい花だから産直の店に出せば売れる、と考えていたわたしの邪な夢はくじけました。毒のあるものを置けるはずはありません。

庭先に置いたマムシグサを眺めました。その名の通り、垂直に立ち上がったマムシがカマクビを下げ、獲物に跳びかかろうとする姿勢がありました。反面、その姿は寂しくつぶやいているように見えました。(ぼく知らないところに来たみたい。電車の音は前のすみかと同じだけど、ここはいろんな木や花が茂っているいる。日の光が強すぎるから嫌だな。これからどうなるのかしら?)なんて。

さて、どうしたものか?毒のある花を産直の店が買ってくれるはずはないし、もとの山に戻すのも面倒だ。庭の日陰にでも植えておくこうか?でもこの家には日陰の場所は少ない。

マムシグサは庭のスイセンやチューリップ、クロカスなどの鮮やかな花々を目の前にしてポツンと孤立して見えました。恐い名前をつけられたうえ、人の手で育てられた華やかな花たちの中に入れられるのは場違いなのしょう。

でも、もしかしたら?

と考えました。

マムシグサは自分の姿をマムシに似せることによって敵を近づけず、身を守っているのではないだろうか?(擬態)という方法で。そうだとすれば相当な知能の持ち主である。食虫植物がいるようにかれらも生き延びることに必死なのである。

そしてこの草は世の中のことを人間と同じように知っている。マムシ、という恐い蛇がいて人間や動物たちに怖がられている。だからその姿に似せていれば少しでも敵を遠ざけることが出来る、と。

さらに人間は自然界においても特殊な種族で、自然や自分達を破壊している。自分達を守るためには人間を破滅させなければならない、とも。

 

 

岡垣町議会、議長との対話

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日記
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nakamura 2013-4-2 13:17

4月1日にS君と二人で議長を訊ねた。私たちは海老津駅南口開発に反対している者です。

    議長室には彼と局長、新入り職員がいて、私たちと対談をしました。

中村 (議長にうかがいたいのです。町民といっしょになってこの 町を良くしていこう、とお考えですか?)

議長 (その質問には答えられません。わたし個人の意見はこの場では出せません)

中村 (あなたと個人で話してるわけではありません。議長の職務において聞いているのです)

議長 無言。

S君 (では他の場所で話しましょうか?)

議長 無言。

中村 (議長、あなたは自分の職務を放棄するのですか?)

議長 (先ほども話したでしょう?わたしには色んな顔がある。家に帰れば父親としての顔があり、仕事場に行けば社長としての顔があり、車を運転してる時には運転手の顔がある)

中村 (ここでは議長としての顔があるわけですよね。だから、こうして話をしてるんじゃないですか)

議長 無言。

中村 (町の仕事は町民の生活と安全、健康を守ることですよね?)

議長 (そうです)

中村 (ところが現実は金比羅山のヒノキを数百本も切り倒して自然破壊をしてるじゃないですか。ヒノキの下の地面で夏を待っていたセミやカブトムシの幼虫達は行き場を失い殺されてしまったわけですね。ヒノキの葉は黄砂や1pm2.5を付着してくれたわけですが人間が吸うことになったわけですね!その責任をどうとってくれるんですか?)

議長 (無言)

中村 (あなたは私たちが議会の傍聴に行ったら、帽子を脱いでください、お茶をのんではいけません

     、書類を渡したらいけません、などと上から見下ろした発言ばかりじゃないですか。納税者が                       来てる んだから、皆さん忙しい中、ご足労です。私たちは真剣な議論をしますから良い町づくりをし   

      ましょう、くらいのことを言うべきじゃないですか)

 議長 (あなたが議長になれば良い)

中村 (そんなことではないでしょうが、話にならない。もう一つ言いたいのはこの文面です)

    中村は封筒の中から書類を取り出し、彼の前に出した。ご意見箱への返信として来た物であった。

中村 (わたしが先ほどから言ってる要望の答えが、「ご意見としてうけたまわります」ですか?あまりに も不誠実じゃないですか?あなたにお返ししますので書き直してください)

議長 (わたしは小学生みたいに書き直すのですか?)

S君 (誰が税金を払ってるかわかってるのか!この封書の切手代もコーヒーの金も税金から出てる          

    んだ。納税者に申しわけがないから俺はここでその代金を払う!)

    彼は言って、1万円札をテーブルの上に置いた。

局長 (そんなものは受け取れません!)

    彼は言って金をS君に返した。

S君 (いや、取っておきなさい!)

   彼は言ったが金は取った。、わたしは話にならないと考えてS君に帰ることを促した。二人は出口のドアから外に出た。

 

 以上が概要です。

 その場でいろんなことが発見できました。

 議長は議員でありながら自分の支持者にしか興味はないし、自分の利益しか念頭にない。開発は議会で承認されているのだからいまさら反対するのはおかしい、と考えているようです。ここで不信感を持つのは投票の中味は本来利害関係の入らない純粋なものであるべきですが、町会議員、町長、町職員、開発参加業者、それら地縁血縁者など自分達の生活、金が潤う連中が投票し、利権を漁っているということです。コンクリート行政、自然破壊が手っ取り早いやり方だということです。

こういう連中を相手に話しをすることは腹が立つというより、疲れるだけです。署名運動においても旅館を営業しているところに町から電話が入り、そんなことはするな!と圧力がかかった事実がある。

(悪代官とはまさにこの連中のことである)

 

電車の音には心がある

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nakamura 2013-3-23 23:10

今、住んでいる家に越してきて半年ほどになります。友達に(電車の音がうるさくて気になるよ)と言われましたが、わたしは逆に(心)を感じるようになりました。さきほど22時半頃、庭にでて立ち小便をしていると、博多のほうに向かう電車がそばの海老津駅を離れてゆっくりと加速をつけていました。車体をライトに明るませ、パンタグラフをキュウキュウ鳴らし、フエーと息をついてガッタンガッタン(さあ、もうひとふんばりだ)と言いながら消えていきました。

特急電車が元気いっぱい、走り去ることもあります。まるで中学生の子供のようなさわやかさです。

コンテナを30台も引きずる貨物列車が重苦しげに走ることもあります。大きな息を響かせています。またあの電車だな、と気づいて時計を見ると夜の11時過ぎです。その喘ぎがあまりに人の人生を思わせるので駅に寄った時に(貨物列車の時刻表はありますか?)と聞いてみると(ふつうの電車の走る合間をぬっているので特にありません)という返事でした。

ほぼ15分くらいの間隔で電車は走ります。わたしの部屋から50メートル先ほどの高台を一日中走っていますが、自分の友達のように思えます。

宇宙の鼓動

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nakamura 2013-3-23 22:24

昨年の5月に入院し、心臓の冠動脈にステントを入れてカテーテル治療をしました。1時間後に心筋梗塞を起こし、緊急治療をして、死なずにすみました。心臓血管外科でバイパス手術をするしかない、という医者の判断で大きな病院に行き、心臓にできた瘤の修復、弁の入れ替え、バイパス手術をし、3週間ほど入院しました。10ヶ月後の現在、心臓の収縮力は常人の80パーセント弱に回復し、日常の生活が出来るようになりました。胸の中心に縦に手術の跡が残っていますが、麻酔がかかっていたために手術の記憶はいっさいありません。

あの手術は今でも偉業だと思い、心臓外科医は驚嘆すべき者だと感心しています。胸の肋骨を切り開き、人工心臓と人工肺にどのように接続して心臓にメスを入れたのかわかりませんが想像するだけでも身の毛がよだちます。暴力団でもヒットマンでもしり込みするような仕事だと思い、執刀医に(恐くなかったですか?)と聴いてみると(若い頃はそんなこともありましたが、患者さんが感謝してくれるのでそれがわたしの支えです)という返事が返ってきました。

時々、自分の心臓の具合が気になります。右の手首に指を当てて、脈が規則正しく打っているか不整脈がないか自分で診てみることがあります。脈拍はいつも90ほどあって速いのです。これは心臓の打つ力が十分ではないので速く打つことで血液をすみずみまで流そうとしているのです。

心臓、っていう臓器は不思議なものですね。ふつうは気にかけない存在だし、肺みたいに自分で吸ったり吐いたりも出来ない。頼みもしないのにかってに鼓動をくりかえし、止まった場合は叩いたり電気ショックを与えれば動き始めるという。これは何のなせる業なのか、想像が出来ない。人間をはじめすべての動物は心臓をもち、心臓の鼓動とともに(生)を受け、その停止とともに死んでいく。

現在、この時間に、地球上の数十億の人間達、無数の動物達が心臓の鼓動を打ち、宇宙に響いていることを想像すると言葉がでない感動を覚える。超人的あるいは神のなせる業だと考えるのはわたしだけでしょうか?

金で動く時、心で動く時

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日記
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nakamura 2013-3-23 21:24

わたしは岡垣町の海老津駅南口開発に反対しています。そこに道路を作ったり地下道をつくったりしても利用者が少ないことは目に見えています。血税をドブに捨てる、というよりコンクリート行政で自然を破壊するだけです。町の議会に傍聴に行きましたが、結論として町長、議員、職員達は金(自分達の生活)のために動き、町民の目線がないことがわかりました。5千人の反対署名があることは忘れているようです。議論の内容もあらかじめ作られたデキレースで、真剣さがないから緊張感もなく退屈というより疲れるいっぽうでした。

そこで(金で動く時、心で動く時)というタイトルに思いついたわけです。こんなわたしはこれまで働き、つまり金で動いてきました。心で動いたこともあります。それは両親、恋人、友達、息子たちのための場合で、皆さんと同じです。今のわたしの行動はまったく金にはならないし、人のために動いているわけでもありません。自然な行動です。

道路をつくるために、金比羅山のヒノキが数百本もなぎ倒され、地面が削られて赤土がむき出しになっています。山の五分の一はなくなるでしょう。山の入り口と頂にあった神社の鳥居、二体とも倒されました。ユンボのエンジンの音が朝早くから夕方まで一日中響いてきます。自然を破壊する音、響きは騒音というより気持ちがおかしくなりますね。この騒音は二年間続くそうです。

人は生活のために働き、金を稼がなければならない。これが今の時代、資本主義なのです。(心で動く時)は金と生活に余裕のある時ですし、わたしには今その余裕が少しありますからこんなことが言えるのでしょう。(金で動かなければならない人)のためにも(心で動くこと)を少しでもしたいと考えます。

動物に魂はあるのか

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執筆 : 
nakamura 2013-3-9 8:59

中公新書・金森修著「動物に魂はあるのか」を半分ほど読みましたが、西洋の哲学者の書いた著述の紹介が多く論点が絞られていないので中断しています。このテーマについては私も関心が深かったので自分なりの考えを書いてみたいと思います。

歴史は動物から人間に変化したわけですから、動物にも魂はあります。しかし、動物と人間はとりまいている環境がすごく違うので人間的な観点から見た魂ではなく(自然)に基づいた魂なのです。人間のそれよりはもっと純粋で厳しいものです。かれらは唸りや叫びまたは体から出る波動やテレパシーでそれを表現し、理解します。だから嘘や偽りはありません。人間は言葉や表情で現すのでごまかしがあります。人間は子供から大人になる期間が長いので、その間家庭や学校で昔の人間の生活や考え方・文化などを学び情緒や感性をみにつけ、人間特有の魂・心を育てていきます。動物は考え込んだり物思いにふけったりしていると敵に攻撃されて命を失うので、魂にひたることは生体のシステムとしてありえないのです。もし自分の子供が殺されて悲しみにふけっている親鳥がいたとすれば敵の格好の餌食になってしまいます。だから魂があっても発現できないのです。人間は自然界で一番強いからその余裕があるというわけです。

それに自然の動物界においては精神障害や依存症は成立しません。ここに現代の人間の精神の病の根源があり、自然界のなかにその治療・回復のヒントが潜んでいます。

以上は野生の動物について述べたわけですが、ペットの犬や猫は人間以上に心があります。同時に人間並みの精神障害にもおちいります。野生の動物にはありえません。

(魂)という言葉はキリスト教にもとづいており、それを信仰しているかいないかで左右されているので偏向性があります。信仰しない者は邪教徒でありサタンなのです。(動物に心はあるか)というタイトルのほうが適切ですし、(物質には心があるか)というタイトルも面白いと思います。風に震え声を出すトタン板や風に擦れあう竹林のそよぎは心を現していますし、音の表現で成り立っているのは音楽の世界です。ベートーベンの第九などは思想そのものを訴えてきます。

自然を見習い、もっと自然を知り、自然から知恵を学び取ろう、というのが教育の原点であり、私たちが向くべき方向なのです。自然を破壊することは人間を破壊していることです。

一寸の虫にも五分の魂、という言葉が東洋にあります。東洋思想からこのテーマに取り組んだほうが

もっと理解できるのではないでしょうか。

鳥といっしょにキャベツを食べる日

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日記
執筆 : 
nakamura 2013-3-8 2:57

700坪の土地に引っ越してきて4ヶ月ほどになります。晴耕雨読の生活を送りながら、この土地で余命を終えると思えば感慨深くもあります。畑地は100坪弱あって、今は毎日夏野菜に向けてスコップやクワを振るっています。天地返しをした畑に石灰、牛糞、鶏糞、米ぬか、化学肥料を混ぜ込みました。トウモロコシ、ネギ、ホウレンソウ、枝豆、大根、ミズナの種をまき、ショウガとジャガイモを植えました。畝の間で繁殖した雑草をトウグワでかきとり、種をまいた畑に自家水の水をかけました。我流で始めた畑作りもなんとか波に乗り、今後は畑を休ませることを考えました。畑地の半分を一年間休ませるわけですから、夏と春に収穫となるので4分の1が対象になります。そこは収穫の後ですからスコップで耕し、石灰をかけて、黒いブニールをかぶせます。昨年の10月にタマネギを植えたのですがマルチ栽培にしなかったためにすごい面倒をつくってしまいました。タマネギより雑草が元気よく伸び、タマネギは雑草の中に埋もれてしまい、除草するのに苦労しました。水や肥料がやりにくくなるので直接植えたのですがそれが失敗でした。苗ものは基本的にマルチ栽培にすべきですね。

鳥の被害が増えました。絹さやインゲンのサヤがいつまでも出来ないので不思議に思っていると、鳥が花を全部食べていました。花の部分がすべて食いちぎられているのです。次に気づいたのはキャベツの葉が虫食いだらけになり、無残な姿をさらしているのです。青虫に食われたと思ったのですが食べ方がどうもおかしいのです。よく観察して見るとまだら状に食われているのではなく筋だけを残して食われているのです。野鳥がつついて食べたのです。が捨てるのはもったいないので食われた部分を切り捨てて、中の部分を生で食べました。

鳥達が外の葉を食べ、私が中味を食べたわけですから、いっしょにキャベツのご馳走になった、というわけですね。これが共生なのかなと思いました。柿の枝に止まったカラスや鳥達は耕した畑に降りてきて、地面の中にいた芋虫や蛾のサナギを探しているのですが今年はそれらをほとんど見かけません。人間の起こす環境破壊のせいですね。

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