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一夫一婦制度

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日記
執筆 : 
nakamura 2013-8-21 3:18

 人間の歴史をひもとくと次のことがわかります。古代において母権社会が短期的にはありましたが、その後は世界的に父権制がつづき、アラブ世界に見られる様hに一夫多妻制だったのです。日本においてはご存知のように平安時代において正妻を持ちながらの妾制がありました。

 ここでわたしはこの考えが男性優位だと批判するフエミニストを念頭においてはいないと言います。生物学的な根拠を基本概念においています。雄は精子を多くの雌にばらまいて、多様な種をつくるDNAが仕組まれているのです。単細胞の分裂で種が増えるのであればそのほうがが無難であり、雌雄分離の必然性は無く、一種で良かったはずです。

 なぜし雌雄の分離がおこり、多種多様な種が発生していったかを検証してみようではありませんか。それは一種だと一つの感染症にかかった場合、全滅の危険があるからです。現在においてもエイズに感染しない民族がいます。それは過去にエイズに似た感染症にかかり民族が全滅にさらされる事態が起こり、それを避けるために免疫力が出来ていたからです。それに単細胞分裂だと競争原理が働かないために弱い種が出来てしまうのです。

 雌雄の分離を起こしたのは神の業でしょうか?不思議ですね。

 自然界は多種多様な種を求めているのです。はっきり言えば生物学的にみて、一夫一婦制ではなく、父権制・多重婚を求めているのです。動物界においてもトドにみられるように一夫多妻はあっても一妻多夫制はなく、一夫一婦制も少ないのです。人間界においては終身における一夫一婦制が一般的ですが、ここでわたしは労働契約におけるように有期の結婚契約を考えるのです。終身ではなく、10年という期間を定めた婚姻契約を考えます。10年ごとに婚姻の契約更新をするべきではないでしょうか?不幸な結婚生活がなくなり、離婚も少なくなり、ストレスによる家庭内暴力も減ります。契約更新をしない場合は自動更新ということでつづけます。それに一夫多妻、一妻多夫の制度ももうけるべきです。アメリカでは性同一障害者同士の結婚をみとめるようにもなり、時代は大きく変わっています。一夫一婦制ではやっていけない多様性の時代がそこまで来ているのです。

 数年前までわたしは小倉のソープランドに通っていました。月に一、二度くらいでしたが、女にモテないわたしにとっては貴重な世界でした。その世界がなければわたしは強姦罪か殺人罪で刑務所に入っていた可能性があり、そこで働いている女の人に送る言葉は(ありがとう)というものしかありません。わたしがもし女であって借金をし生活に困っていればその世界に飛び込んでいたでしょう。

 20代から62歳ころまで通ったわけですから数十人の女と出会い、いろんな経験をしました。学校では学べない多くのことを知り、真実に出会いました。

 タイトルの言葉は最期に会った女性が言ったものでした。真実であり、日頃わたしが考えていたことを彼女が言い、恋人を求めて通っていたわたしにとって致命的でした。つまり、ここにそんなものを求めてもありはしないわ、ということでした。

 店のHPでは30歳と書いてありましたが、何年たっても30歳なのでそのことを彼女に問うと、(ここは夢の世界ですからね)と笑い、化粧を落とせば50にちかいことが顔の皮膚の隙間に見えました。(あなたは貴重な経験をしている。ここに来る男たちの言葉や行為を毎日書いていけばすごく貴重な作品が出来て、まちがいなくベストセラーになるよ)わたしは良いことを言ってやったつもりでした。わたしは湯船につかり、彼女はかなり離れた場所でシャワーを体にかけていましたが、彼女は悲しげな顔になり、(そんな人間観察をしたら考え込んで、ヤんでしまう)と言ったので、(ヤンで?)の意味がわからなくてオウムがえしに聞くと、黙っていました。彼女には病んでしまう男がいる、と直感しましたがすぐには意味がわかりませんでした。

 (そうか?病んで、なのだな)とわかり、この仕事をしていれば愛する男をつくることはできないし、つくってしまえばこの仕事を止めないと彼に悪い。真剣になれば耐えられないのだ。

 彼女と出会う前のことでしたが(あなた、無理に体を弄られる女の気持ちってわかる?)本気になりかけた女からい言われたことがあり、彼女たちの心が読み取れました。まれに仕事が好きでやっている女もいて、わたしにとってはそんなタイプが良い時もありました。

 彼女たちはまさに、すべての男のものであるがどの男のものでもない、という不思議な存在ですが、では一般の女はどうなのか?一夫一婦制がどうなのかは、次回また書くことにします。

 

外国人の町長さん

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日記
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nakamura 2013-8-17 3:45

 昨日、住民投票が否決されたいきさつを説明しながら、岡垣町の住民宅を訪問しました。不在の家にはチラシを郵便受けに入れていきました。ある家の主人と庭先で出会い、彼からこんな話が出ました。(この町の政治を牛耳ってるのはS産業とM運輸ですよ。飲み会の席でも町長はその社長の下の席に座っていてぺこぺこしてる)ということでした。(なるほど)と思いながらいろいろ意見を交え、どちらもこの町の世帯は増えているのにシガラミの強さには閉口することで一致しました。最後に(日産自動車のゴーンさんみたいな外国人が町長にならなければこの町は変わらないですね)と言うと主人は笑いながらうなずいていました。

 シガラミのない外国人のほうが本当の街づくりや国づくりが出来るのではないでしょうか?

 いっそのこと日本の総理大臣をゴーンさんがやってみたら面白いのではないでしょうか?

動物界にレイプやセクハラはない

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日記
執筆 : 
nakamura 2013-8-4 2:45

 わたしの部屋から20メートル先は田んぼです。この時間もそうですが真夜中にカエルたちの大合唱(集団見合い)がなごやかに聞こえてきます。不思議なことに鳴かない夜は一匹も鳴いていなくて、鳴く夜は声を合わせ、掛け声やハーモニーまでまじえてにぎやかに明け方までつづきます。車や工事の騒音よりははるかに心地よい音楽です。卵からカエルになった6月頃はどこか幼くたどたどしい鳴き方でしたが、今は元気いっぱい自信に満ちています。

 そこで思いついたのです。(動物界にレイプはない)と。それは確かですが、なぜなのだろうか?人間界はほぼ日常的に起きているのに。答えは簡単でした。動物達のオスとメスは体格がほぼ等しいのに人間の場合は一回りの差がある。これは女性には子育ての期間があるのでその間運動がじゅうぶんにできず、体の発達が遅れてしまうからだろうと。それに動物たちは敏捷で身動きが素早いので襲われることはないと。

 そのように考えると人間の場合、女性はある意味で不幸です。人間が単細胞のアメーバから雌雄にに別れ、動物界、植物界に分かれていった進化の過程を想像してみるのです。単細胞のままであればメスをめぐっての争いもレイプもなかったのですが、雌雄に分離したためにそんなことが起こるようになりました。ところがいろんな種が増え、一つの感染症が流行っても全滅する恐れがなくなりました。それに雄どうしが絶えず競争し人間が強くなっていきました。

 このDNAの突然変異は誰の仕業なのでしょうか?

 神の仕業ともいえるかもしれませんが、人間はセクハラやレイプ事件を起こし男も女も難題を背負うことになってしまいました。これをなくすためには異性の仕分けがなくなれば良いわけですが変化の采配はとうぶんふるわれそうにありません。残念ながら男たちはあちこちに種を蒔きつづけなければならないようです。

 植物のように昆虫に頼るか風の流れで受精するようになれば事件は起こさないでしょうが、それではなにか物足りないのが動物ですね。

エア・コンのない生活

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日記
執筆 : 
nakamura 2013-8-3 18:58

 先日、福岡市内に住む知人との会話の中で、(ぼくの部屋にはエア・コンがないのよ)と言うと、(どうして?)と不思議そうに訊きかえされ、返事に戸惑ってしまいました。

 設置するくらいの金はありますが、暑さが強いのはせいぜい9月までだ、と考えるとそこまでする気にはなりません。毎年、そんな反応をくりかえしてきました。昼をすぎると部屋の温度が35度になることはめずらしなく暑さに耐えられない時があります。そばの畑で作業をしていることが多いので、部屋で休憩する時は扇風機をかけます。

 畑の野菜たちはこの暑さの中で日陰に移動することもできず、じっとひたすら耐えています。日照り続きで生育も悪く、ナスは握りこぶし大より成長せず硬いままです。ピーマン、シシトウは栄養失調みたいに縮んだままで、3個ほどの苗は姿が消え、何を植えたのかわからないままです。畑に入ると(おじちゃん!水をちょうだい!)(ぼくにもかけてよ!)とキュリやカボチャ、トウモロコシ、ゴーヤ、メロンなどが盛んに声をかけてきます。(生物が進化する時、君たちは植物の道を選んだのだけど、それが良かったと思うかい?)とたずねると(わからない)という返事が返ってきそうです。

 わたしは自分で動物の道を選んだのではないけれど、動物に産まれて良かったと思います。心臓のバイパス手術をして一年になりますが、先日は知人と近くの海に出かけ、素潜りをしてきました。タコ一匹とサザエを三個とり、一年前、ベットの中から回診に来た医者に(サイクリングや素潜りはできるようになりますか?)ときいて(今年は無理でしょうけど、来年はだいじょうぶですよ)と言われ、そのことを思い出し、うれしかったのです。

 エア・コンをつかうことは贅沢だと考える部分もあります。地球上を資本主義がおおい、すべての人類がエア・コンを使うようになったら温暖化がもっと進み、住めなくなるにちがいありません。わたしは自然に恵まれた田舎に住んでいるわけですから、せめてその部分において暑さに耐え自然を大事にしたいのです。

水と油の思想

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日記
執筆 : 
nakamura 2013-8-1 19:09

 わたしが東京で遊学生活を送っている時、高田馬場近くのラーメン屋でアルバイトをしたことがあります。(大三元)という小さな店で、台湾人の初老の店主が経営をしていました。店内で冷や飯を客に出したり、麺の伸びたラーメンを雀荘の大学生に出前したりして、(あんたを子供として見るべきか大人として見るべきかわからない)と店主に言われ、その言葉が今でも記憶に残っていて、思い出しては笑ったりします。

 昨日、自宅で餃子を作り、自分で揚げました。50年ほど前の経験が生きていました。フライパンの中で油と水の混じった液体が沸騰すると、餃子を順次入れていきました。フタをして蒸し、油がほとんど無くなった頃、餃子のお尻が狐色になった頃に完成します。口の中に入れた時、カリカリの味がする時が一番美味しいです。その加減はかなりむずかしいですが。

 そこでわたしは考えたのです。

 水と油といえば日本では相容れないものどうしの典型としてとらえますが、中国人は両者を混ぜ、水の力で蒸しあがった時、油が力を発揮してあげるという効力を利用しているのです。日本人およびその他の国では考え出せないことですね。

 共産主義を体制にする国が資本主義を取り入れ、今ではアメリカにつぐ資本主義国家として成長している。この事実に餃子の調理法における水と油という対立する性質を活用する思想を感じ取るのです。老荘思想における逆説の思想など東洋思想の奥深さを感じますが、餃子のように美味しい味付けをした国になることを期待しています。

妻を母ちゃんと呼んだ時代

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日記
執筆 : 
nakamura 2013-7-29 20:42

 私の父は60才後半で脳梗塞をわずらい、70才半ばで亡くなりました。彼は幼くして父母を亡くし、母の実家に養子として入籍しました。母の愛情を知らない、と本人は言っていましたがそのせいか多くの女を愛し、酒に溺れた一生でした。

 いま、私は66才になって父のことを思い出します。若いころは反面教師とし批判していましたが、この歳になると彼の生き方が自分とある面で重なってよく見えてきます。彼は脳梗塞にかかって(私は心筋梗塞にかかりました)右半身が不随になり、車椅子の生活を送り、トイレも入浴も食事も母の世話になっていました。

 車椅子を押して庭の散歩をさせていた母の姿が消えると、父は決まって(母ちゃん!)と叫びました。わたしはその声を今でも幻聴で耳にすることがあります。

 (母ちゃん)という言葉は子供が母親を呼ぶ時の呼称です。それを夫が使うことはその世代では珍しくはなく、一般世間の夫たちも(うちの母ちゃんがうるさいけ)などと普通に使っていました。今、妻にそんな呼び方をするのはよほど古い世代の男性でしょうし、近頃耳にしたことはありません。

 日本人は農耕民族で母権制の時代があったので、マザコンというのは普通の精神状態であったのでしょう。妻を母と重ねて慕う気持ちがあったのです。

 ここで話が飛躍しますが、わたしの脳裏に焼きついているのはヒッチ・コックの(サイコ)という映画なのです。(サイコ)とは(サイコロジイー心理学)が由来ですが、マザコンのノーマンが、彼の管理するモーテルに泊まりにきた美女をナイフで殺害するというストーリーです。心理サスペンスの最高傑作であり、あまりの恐さにアメリカのモーテルに宿泊する客が激減したとも原作の後書きに書いてあります。

 主人公のノーマンは亡くなった母とモーテルのそばの家に住んでいて、というより母親は亡くなっているのに幻聴、幻覚の世界で彼女といっしょに住んでいるのです。食事をいっしょにし、おしゃべりをし、日常生活を二人送っています。そこに金の持ち逃げをした美女が現れ、独り者のノーマンは惚れてしまい、部屋の浴室でシャワーを浴びている彼女を殺してしまうのです。

 わたしは映画のシーンにあるように女を殺したのはノーマンだと信じていましたが、最近はちがうと思うようになりました。つまり、女を殺したのは息子のノーマンの心の中に入る込んでいる(母)だったのです。彼女は息子が別の女を好きになることが許せなかったのです。母と息子のつながりというのはこれほど深く強く、恐いものなのです。狩猟民族のマザコンが裏返った場合、その残酷さは農耕民族の比ではありません。

 山口県の山村で五人の老人を殺した事件が最近ありましたが、あれも犯人一人がやったとは思えません。誰かがあるいは何かが入り込んでいたにちがいありません。

 彼に(母ちゃん)と呼べる女がいればあんな事件は起きなかったでしょう。他人でも年上の人であれば、お兄さんお姉さんお父さんお母さんと言うことがありますが、彼にそう呼べる人がいれば事件は起きなかったはずです。日本人の変わりように寂しい気がします。人類みな兄弟、と言う言葉がありますが、日本人みな兄弟でもあるのです。

清き一票

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執筆 : 
nakamura 2013-7-27 19:39

 わたしが小・中学生の頃だった。国政や市町村の選挙がちかづくと、車のスピーカーから(清き一票!清き一票をおねがいします!)の連呼がいつも聞こえてきたものだった。

 今ではまったく耳にしなくなった。あれから50年はたつだろうが、選挙が金まみれになった現在に(清き一票!)を出すには出せなくなったのだ。金まみれである方が政権にとっては都合が良いのである。なまじ貧乏人から政治家が出て世の中を変えてもらっては困るのである。だから選挙制度改革などにとりかかりはしない。民主的封建制度こそかれらの狙いである。

 目の前にニンジンさえぶらさげておけば票は取れることをアベノミクスは証明した。参議院選挙が終わった今、目の前には(行きは良い良い帰りは恐い)の状況が待っている。食料品の値上がり、消費税導入、財政赤字の増大、社会福祉への負担増など不安材料が目白押しである。

 (清き一票)の気持ちで投票しておけば良かったのに、なんてならないように願うばかりである。

 目先のニンジンではなく地球的規模、日本全体をかんがみ取り組む政治家が欲しい。

熱中症は人災である

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執筆 : 
nakamura 2013-7-26 0:19

 新聞報道では、今年にはいって熱中症にかかって病院に搬送された人が一万五千人を超えたとある。年々、増え続けるばかりで根本の原因が書いてはあるがいまいちわかりにくい。

 わたしが若い頃には(日射病)というのが夏になると流行っていたが、それとはちがうのだろうか?新聞記者も世代の交代をして、(日射病)を知っている者がいなくなってその言葉に思いつかないのだろうか。

 わたしは毎日、農作業をしていて、汗まみれになっている。下着は三度も着替え、シャワーにも三度はかかる。熱中症が恐いと考えながら、かかることがないのはこまめに水分の補給をしているからだろうか?でも戸外労働を毎日している人、たとえば交通誘導の警備員、作業員、バイクの配達人が熱中症にかかったという話はあまり聞かない。わたしもふくめて彼らの体は仕事上体温調節がじゅうぶんに機能しているし、体の構造もそなえが出来ているにちがいない。

 産まれた時からエア・コンにかかり、育ち盛りの小・中学生の時期にまでエア・コンの温度調節の世話になっていれば体の構造からその機能がうしなわれていくのは当然ではないか?原発への依存から脱却できないのではなく、マスコミも原発依存症をつくりつづけているのではないか?害が増えたほうが資本家にとって仕事がふえ、利益になるのである。資本主義とは反面、人間の不幸を必要としているのである。

 マスコミには購読者への啓発の任務もある。こうすればエアコンの世話にはならない方法などを書いて、文明への依存をできるだけ少なくする知恵を提供すべきである。それが東北大震災からの教訓である。

スカートの中には女神が棲んでいる

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日記
執筆 : 
nakamura 2013-7-25 23:47

 (スカートの中)と書くとほとんどの人は(盗撮)という言葉を連想するだろう。それほどのブームになってしまった。

 デジ・カメが出来てこの現象が増えたわけだが、この行為によってどれほど多くの男が一生を棒にふってしまったかは新聞紙面やテレビを見ればわかる。デジ・カメが発明されず、ただ覗くだけであれば証拠の把握がむずかしく、捕まることはなかったはずである。

 男にとって(スカートの中)はそんな犯罪行為をもよおさせるほど神秘的であり謎であり、興味を抱かせる。ギュンター・グラスの小説作品(ブリキの太鼓)の冒頭のシーンが忘れられない。ジャガイモ畑で主人公の祖母がジャガイモの収穫をしていて、その大きなスカートの中に男がかくまわれていてナチスの逮捕から助けられるという設定であったが、すごく象徴的なプロットであった。

 (スカートの中)は二番目の子宮みたいなものである。その中にかくまわれ、育てられ、男児は欲情するのである。愛液や野生の匂いが充満し、それらをどんな色・模様のパンティで包装しているのか、男達は興味シンシンである。

 スカートはヨーロッパで考えだされたと思うが、今や世界中を占めてしまった。西洋文明と同じく多様性と変化に富み、ひとつの文化でもある。タイトスカート、ミニスカート、フレアスカート、キュロットなどわたしが思い浮かべるだけでもこれだけの数があり、模様などは無限にあると思っても良い。

 女の人はいくら年齢をとってもスカートをはき、どんな冬の寒い時でもスカートを離さない。

 当然、わたしはスカートをはいたことはない。はいてみるとどんな気分になるかは想像力を働かせてくれて楽しいものである。そこには(女神)が棲んでいるにちがいないし、そのうちスカートをテーマにした小説や映画がつくられるだろう。

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