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毎日、カラカラ天気がつづき、まさに猛暑です。熱中症で倒れた人が今年に入って一万人を超えたと言う新聞報道もあります。
わたしの仕事は700坪の敷地の手入れです。川のそばの歩道に沿って30本ほどのツバキが繁茂していましたが、風の通りも悪く、外から塞がれた状態になっていましたので、根から一メートルほどの幹を残してチェーンソウで切ってしまいました。部屋からの見通しが良くなり、また100メートル先を走る電車の中からわたしの姿が見えるようになりました。この二、三日、切られて枯れたツバキを燃やしました。ものすごい炎があがり、恐くもありましたが、全部燃やして敷地が広々となりました。
つぎは100坪ほどの畑を埋めた雑草をカマで切ることです。ヤブガラシやドクダミがびっしりと埋めていたので、刈り取りました。畑に穴を掘って埋め、肥料にするつもりです。
今朝、朝食の時、食パンを食べていて、雑草を刈り取った跡にキャベツが植わっていたことを思い出しました。包丁を持って畑に行き、枝分かれして小さなそれを刈り取ってきました。外の葉を落とし、キッチンの桶に入れて水洗いしました。葉がスカスカの状態で小さく、スーパーで売ってるのと比較してあまりに情けない姿でした。葉をめくっていくと中にまで土が入り、小さなナメクジが二、三匹張り付いていました。ナメクジを洗い落としましたがネバネバ感は葉に残っています。捨てようかと一瞬考えましたが、包丁で刻み、ドレッシングをかけて食べました。ほどよく硬く、昔の味がして美味しかったです。いろんな野菜をあちこちに植えているのでこのキャベツのことは忘れていることが多かったのですが、3月に植えて4ヶ月ぶりの対面は感動的でした。無農薬栽培で野菜をつくるのはつくる人間よりつくられる野菜のほうが生き延びるのに苦労しています。
キャベツ君、ありがとう!
今度は自然農法で肥料もやらずに立派に育ててあげるからね!
7月11日のことです。岡垣町で住民投票条例案の成立をめぐって、議員の投票が行われました。傍聴人がおよそ80名、新聞記者が4名見守る中、(岡垣町で住民投票を成功させる会)の共同代表である三人が議会席に座っていました。かれらは10分以内という制約の中で立って陳述をしました。西田代表は町が実行している海老津駅南口開発の発生・歴史およびその反対運動の流れについて金額や数字をだして話し、地下道や南口広場を建設することの無意味を訴えました。西村代表は署名で回ったときの経験を話しました。住民が金比羅山を守り神として敬っている事実さらに地域のシンボルとしてあることを靴底を減らしながら聞いたと話しました。中村代表は(計り知れぬもの)という言葉で切られ捨てられるヒノキの葉一枚にその価値があることを話しました。
11名の町会議員にはいろんな思惑がからんでいて、いろんな意見を言いました。ある議員は(岡垣で住民投票を成功させる会)は政治団体なのか任意団体なのかを聞き、チラシには倒される木の樹齢が数百年であると書いてあるが調べると50年でしかなかったとか、自由通路や南口広場造成の予算の金額表示が正確ではないと言って、住民投票の成立についてのテーマからはずれてしまい、この議員の(重箱の底をつつく)特性を表現していました。次の二人の議員は町長の意見書を持ち出し、開発が町の発展になり新たな住民を呼び込む効果があると小学生のお遊戯会さながらのぶりっ子ぶりで町長に肩をもっていました。次の議員はギリシャの民主主義をもちだしたか思うと(お天道様)という古い日本語を持ち出し、論理が破綻しているのに大声をあげて自己の弁舌に酔い、認知症を疑われました。議事録をみるとよくわかります。次の議員は前議員だった西田共同代表のことをしつこく持ち出しました。彼女が町長選挙に立候補するために町会議員をやめてその空席をつくり、いかに迷惑をかけたか?今回も町長選にでるためにこんな活動をしている!と、個人攻撃をいつまでもつづけました。住民投票条例案とは関係のないことです。傍聴席から(個人攻撃はやめろ!)と声が起こると、議長が(傍聴席のかたは静かに!)と言い、(議長はしっかり采配をふるわんか!)という声に議長は(騒ぐ人は退場してもらいますよ!)と叫び、そんなやりとりがつづいていました。
待機していた警察官が呼ばれ、(個人攻撃はやめろ!)言っていた二人の男は警察官の事情聴取に呼ばれ、状況を話していました。その間に(住民投票条例案)成立の採択が問われ、4対7の割合で否決され、4紙の新聞に翌日掲載されました。
この町は福岡市と北九州市の間に位置しています。海あり山ありの自然に恵まれたところですが、町長、町職員、町会議員のほとんどが地縁血縁の地元出身者で占められています。採用も縁故が多く、町長は職員の出身で、労組の委員長もしてたので町長ファミリーをつくり、ほぼ一党独裁の形で町を支配しています。(井の中の蛙、外界を知らず)の世界がまかりとおり、まさに遺物(異物)になっていっています。
昨年の町長選挙で現町長と西田氏が争い、二千票の差で現町長が勝ちました。開発賛成派はよくこの数字をだしますが内容は利害関係にもとづく票が多く、これは本来排除されなければならないのです。排除されないからいつまでも金権政治がつづくのです。
前回の海老津駅南口開発反対の署名運動では5,500名の署名(有権者数は二万六千人)が集まったのですが、町政には反省もありません。署名をしたある旅館には町から嫌がらせの電話が入ったという噂さえあります。岡垣町役場のそばのスーパー、駐車者場わきの歩道に立って開発反対のチラシ配りをしたことがありましたが、いつもすぐに店長が注意をしに来たり警察官が来たりしました。後日、そのスーパーの店長に事情をきいたところ、町役場からチラシ配りをやめさせるように言ってきたということです。
まさに(お代官様)の世界です。
今、畑にはキュウリ、トマト、スイカ、トウモロコシ、ナス、ピーマン、トウガラシ、えんどうまめ、オクラと盛りだくさん結実していますが、他の畑はヤブガラシやセイダカアダチソウに侵略されてどうしようもない状態です。植えてたはずのものが消えてしまっているのです。さて、どうしたものか?と思案します。まずそれらの雑草をカマで切り、その畑に肥料として埋め込む。次に黒いビニールで覆い、雑草のはびこるのを防ぐ。しばらく休耕田にするか何かを植える。その前に落葉を埋め込み、分解するのを待ち、見通しがついたら種ではなく、苗を植える。種は落葉の中では育たないが粉末になった落葉の堆肥の中では育つ。種ものはどうするか?箱やポットの中に蒔いて苗になるまで待つ。それから落ち葉や枯れ草の分解した畑に黒いビニールを敷いて定植する。大根のように雑草と同じく育ちのいいものはビニールを敷かずに種をそのまま畑にまく。
堆肥づくりがむずかしいのですが、木枠で囲った中に生ゴミ、雑草、落ち葉など自然分解するものをいれておくのです。生ゴミは底に入れてむき出しにならないようにします。
その流れで無農薬、無肥料の畑を作ります。鶏糞や化学肥料などを畑に入れていたので虫や雑草が繁殖していたのです。枯葉では繁殖は低くなるはずです。
客を招いて広い庭の散策をしていただき、庭でかれらに収穫してもらってその場で調理し、食べていただく。創作料理をわたしがつくる。
以上のことを夢見ています。
これからも七百坪の土地で楽しい悪戦苦闘が始まりますが、ぜひ皆さんを招待したいものです。
このテーマは1970年代、つまり全共闘運動や反戦運動が盛んな頃に一時マスコミで取り上げられたものですが、わたしの文学活動において自分が狙っているものだと近頃気づいて改めて確認したくなりました。もともと芸術活動はリピドー(生ー性衝動)にもとづいてうまれ、昇華されて多彩な色彩を帯びていき、素晴らしい作品がつぎつぎに世に出て行き鑑賞者を興奮させ悦ばせるわけですが、リピドーそのものたとえば(性愛の技)そのものがテーマと重なることはありません。三島由紀夫の傑作(仮面の告白)だって文学性はすごく高いものの、(性愛の技)の部分は省略され、そのことによって芸術性を貫いています。作家にとって(性愛の技)の部分を取り上げることはエロ小説になるあるいはされる可能性が高く、どうしても引いてしまいがちです。
作品(銀ラメのハイヒール)も性愛の世界を哲学にまで昇華させたい狙いがありながら、(途中からエロ小説になってしまっている)と批判されました。わたしはそれを認めます。
そのことを反省したうえで、作家の名声をえた者がしり込みしてる分野に挑戦します。現在、執筆をはじめた(隣の女)です。(性愛の技)の部分はどうしても手垢のついた下ネタ話になりがちですが、そこに人間の真実が潜んでいます。
すべてが数値化されていく現在、計り知れぬものは少なくなっている。計れるものが計り知れぬものを食っていき、計り知れぬものとして残されたものの価値はまさに計り知れぬ価値を強めていく。
空気や水、食べ物の価値を数値化できますか?と問われた場合、水や食べ物はスーパーで値がつけられて売ってるではないか、と答える人がいるかもしれないがそれはそれらが無限に手に入るということを前提にしている場合である。これが最期の水、最期の米、という予想がされた時あるいはその可能性が出てきた時、水や米は計り知れぬ価値を持つことになる。食料資源の量とそれを食べる動物の量は一定しているのである。人類が増殖した分、動物たちはデータブックとなって消えていくしかないし、人類が減った分動物は増えていくことになる。そんな関係性の中で自然が減少していっているのです。
酸素の値段がつけれますか?そんなことを考えたことがありますか?わたしが心臓の手術のために入院していた時には血圧、体温、血糖値、そして酸素濃度を毎日計られました。酸素濃度は指先にクリップみたいのをはさむだけで測定が出来、心臓と肺の働きを調べているのでした。
計り知れぬものは身近にいくらでもあり、わたしたちは気づかないだけです。金では買えないものです。
四、五年前のわたしであればこんなタイトルは恥ずかしくて書けませんでしたが、余命を意識しはじめたせいか、書いてしまいました。希少性のある男と自認するからには一般の男性が書けないことも書いてやろうと考えます。
どうやらインポに近い状態になり、いろんな点で自分自身が変わっていっています。以前は女を見ると性の対象でしかなかった(女性に対して失礼であることをお許しください)のですが、近頃ではオンナがいるな、という程度でよほどの魅力がない限り振り向くこともありません。以前であれば魅力に見惚れてれて電信柱に頭をぶつけそうになったこともありますが今ではそんな心配もないどころか時々めまいみたいのが起こり、まっすぐ歩けてるかどうか不安さえ覚えたりします。
自分を格好良くみせようとか振舞おうという意識もなく逆に(こんな男がいたって良いじゃないか)と居直っている部分もあります。スナックでキープしたボトルに(エロ男)と書いてもらいましたが、(ヒロミの命)ではありませんでした。ママは、エロ男を卒業したからそんなことが書けるのよ、なんて言っていましたがそれは一理あります。
自分を良く見せよう、という構えがなくなったことでずいぶん楽になりました。余命を意識することで失うものも少なくなりました。もとより名誉も地位もなく、(長)のつく役職についたこともありませんから権威とは程遠い位置にあります。権威の業界にしばられることもありません。
仏教の世界では解脱という言葉がありますが、それは肉体が衰弱した物理化学的な意味ではないでしょうか?(灰になるまで)という言葉もありますが、以上のように考えると誰でも解脱することが出来、その時期がやってくるのです。
およそ15年前のことになりますが、その日の昼過ぎ、宗像市池浦をバイクと徒歩で回っていました。未契約調査の仕事で当社と契約を結んでいない家を見つけ、契約をしてもらうのです。田の広がる風景の中、住宅地図にマークした家を探していました。借家風の家が目にとまったのは表札がでていなかったからです。表札がでていないということは住宅地図にも名前がでていなくて、未契約かどうかもわかりません。
玄関先に立つと、チャイムを鳴らしました。
しばらくして中年の女が戸をあけて、出てきました。ふつうの顔をしていて、特別な印象はありませんでしたが、彼女は契約はしています、と笑顔でこたえて奥にもどりました。わたしは礼を言って去りました。
次は口座振替が残高不足になり、領収書が発行されて集金にいく仕事でした。二ヶ月に一度、30件くらい出るので、慣れていましたが、その中に先ほどの女の家があったのです。わたしは彼女の家の前に立ち、インターホンを鳴らし、相手が出てくる間、手に持った領収書を見ていました。そこで不思議なことに気がつきました。口座の名義人の欄に(里子)と書いてあったのです。記憶をたぐっていると、25年前、自動車教習所に免許取得のため通っていた時に知り合った女ではないかと思いました。
彼女が玄関先に顔を出しました。
集金に来た事情を話すと彼女は、ついうっかりして入金してませんでした、といって詫び、財布をとりに奥にもどりました。わたしは彼女がすっかりスマートになり、顔つきまで変わったようだ、と考えました。15キロちかく痩せ、デブのイメージは消えていました。教習所に通っていた頃、彼女の方から話しかけてきました。平凡な感じでしたが、自分の顔を指でさしながら、(わたしってもちろん美人じゃない。ブスじゃない)といって私の顔を見、(ドブスなの!)と聞こえよがしに言って笑いました。
それほどひどい顔ではなく、二度ほど二人でホテルに入りました。
奥に引っ込んでいた彼女はわたしの前に現れてお金を払いました。
「里子さん!」
わたしが叫ぶと、彼女は家の奥に逃げるように去りました。
教習所で彼女と親しくなる前のことでした。談話室の中にいて、窓からコースを走る教習車を見ていると、体に重い衝撃を感じました。太鼓をそばで叩かれたような衝撃でしたが、音はなく、体に異変もありません。彼女が5、6メートル向こうに立っていてわたしのほうを見ていました。なんのことかわからず、気にもしませんでしたが、そんなことが同じ状況でもう一度起こりました。そのことを彼女に話すことは忘れていました。
宗像市日の里のアパートを回っている時、偶然、彼女が現れました。家を建て替えるために仮住まいをしてる、と言うので住所変更をしてもらいました。個人的な話はせずに引き下がりました。
ある日、宗像市石丸のミスター・マックスで買い物をしていました。歩いていると衝撃波を感じました。
里子が5,6メートル先の前方に見えましたが、わたしは気づかないようにして去りました。
これに似たことが最近、起こりました。いつも散歩する道で0君と知り合い、親しくなりました。彼も自然を愛する男でわたしと共感することが多いのです。彼のケイタイに電話を入れようとすると、彼がわたしの家の門扉に現れたり、わたしが散歩しながら彼に出会うかな、と考えていると彼が曲がり角に立って背伸びをしていたり、そんなことが6、7回ありました。
体から出ている波動が原因だと思いますが、いずれ科学的な証明がされるでしょう。
時間的な余裕があったせいか、今年は野菜作りがうまくいき、観察することが出来ました。畑は食料の自給をしてくれると同時に自然観察の修養場でもありました。
キヌサヤインゲンは花の咲いた頃、鳥によく食べられましたがその後は食べられることなく順調に育ちました。今では取り出した豆を冷蔵庫に保存し、フライパンで炒っては食べています。ホウレンソウは育ちすぎてトウがたち、葉を刈ってゆがいて食べています。大根は苦味のあるのが出来て良かったのですが、これもトウがたったので切干にしています。ミズナもよく成長したのですが、これもトウがたって硬くなり放置しています。スナップインゲンは収穫時期なので、ゆでて食べています。
シロウトの野菜作りですから失敗が多く、その分自然への理解が深まるようです。
ドクダミの花が咲き、収穫をはじめました。昨年収穫して産直の店にだしたのは全部売れてしまい、嬉しかったです。100グラム、500円で、40袋くらい売れました。
トマトやキュウリはよく成長していますが、シシトウ、ピーマン、ウリなどはいつまでも大きくなりません。牛糞、鶏糞、油粕、38(化学肥料)などをじゅうぶんにやっているのです。
ここで考えました。雑草は肥料などやったことがないのに野菜をはるかにこえて成長が良いのです。その点、野菜は肥料をやり手入れをしないと育ちません。それは野生のエネルギーが関係しているでしょうが次のように考えられます。雑草は刈られることがあっても収穫して持ち去られることはありません。その場に放置されて枯れるだけです。ところがこれが養分の補給になるのです。雑草を構成する元素が土に還り、次の年に芽を出す草の肥料になるのです。だから、肥料がいらないのです。そのつど収穫される野菜は養分の補給が人の手で要ります。
人間も本来は自給自足の生活をしていたわけですから、それは自己循環にちかいものです。山林の雑木林を考えてみましょう。ドングリやヒノキやいろんな木は自己もふくめさまざまな木の元素を落葉から吸収して育っているのです。
そう考えてみると、私たちには自分の力で生きていく能力がそなわっていて、多様な人間や多様な国家にかこまながら、それが活性化につながっていることがわかります。
2ヶ月ほど前、近所のスナックに一人で入りました。以前、知り合いの男とそこで飲んだことがあったし、店の雰囲気も良く料金が安いこともわかっていました。
「エロい!」
椅子に座るなり、わたしはカウンターをはさんだ若いホステスに言われ、笑顔でおどろきました。白い頬に赤い口紅が映え、若さがあふれてました。
良い男という意味なのか?と迷いながら、注がれたビールを飲みました。若い頃、スケベな顔をしてるとよく言われましたが、エロい、という言葉は初めてでした。スケベな意味なのか色っぽいという意味なのか判断できず、はっきりさせないほうが好都合と考えてバカ話をまじえビールをお代わりしました。
若い頃は性欲が人並み以上に強かったせいか、(目のギラギラした男)という印象があって女には敬遠されモテませんでした。もちろん服装やムードづくりに気をつかったり、(女を口説く方法)という本を読んだり、努力をおこたったことはないのにいつも飢えていました。まわりの友人たちをみてみるとさほど努力もせずに彼女が出来ているのです。
どんな男が女にモテるのか?
いろいろ考え実例を検証してみましたが、わかりませんでした。イケメンで人当たりも性格も良いのに恋人のいない男がいましたし、醜男で粗野な男に美しい女がくっついていることもありました。平凡すぎて面白くもない男にも女がいました。研究すればするほどわからなくなりました。
小柄で痩せ、話も下手で金もない、どこが良いのかまったくわからない男に良い女、しかも美人がいつも付いていました。何人も女がいて、その男は女に不自由せず自分から求めなくても相手から寄ってくるのです。
今になるとわかります。その男は負圧(気圧が低くマイナスの状態)をいつも発していて、普通の圧力を持っている女(男でもありえる)は高気圧が低気圧に流れるように引っ張られていたのです。(母性愛)を刺激するとか何かしてあげたくなるような気分にさせる男なのです。こんなタイプは女のほうが面倒をみたくなるので(ヒモ)になりやすいのです。
化学の本を開いてみるとわかるように元素には反発しあうものと結合をもとめて寄り合うものがあります。上記の男性は最大公約数も大きくおおくの女性をひきつけることが出来たのです。近頃は少子化とか草食系といった言葉が流行っています。それはは男女の肉体を構成する物質が変化し、たがいに強くひきつけあわない社会が出来上がり人口抑制の機能をはたらかせているにちがいありません。
およそ15年ほど前のことです。わたしは宗像市徳重の戸建ての家を訪問していました。そこは公共料金を口座払いで払っていましたが、当社への不満のため口座払いを止め、集金にきりかわったのでした。
3度目までは奥さんが出てきて、気持ちよく払ってくれましたが、主人のほうが当社へ不満を持っていたのでした。主人は体をこわして入院していました・
4度目に主人が玄関先に現れました。退院したのでした。痩せていましたが、70歳くらいの落ち着いた優しい感じでした。当社への批判を手短に話し始めました。わたしはその頃から当社が不満を抱かれるのは当然だと考えていましたから、耳を傾けうなずいていました。
その話が終わると主人は話題を変えました。キリスト教のある宗派の若い女性たちが布教のためによく訪ねてくるというのです。わたしもその宗派の女性に何度か布教を受けていましたので教義の内容はいちおう知っていましたが、宗教は信じるか信じないのかの違いしかないのであまり興味はありませんでした。
「わたしはその若い女の人たちにいつも言いました。わたしは太平洋戦争の前線で青春をすごし、言葉では現せないような体験をしました。あなた達に聞きたい!空腹の経験をしたことがありますか?二日三日、一週間とメシが食べれなかったことがありますか?」
彼は玄関間に立ったまま冷静に話していました。
「若い彼女たちはそんな経験はないとこたえました。そこでわたしは言ったのです。今度は空腹の経験をしてからわたしの家に来てくださいと。それ以来こなくなりました」
わたしは考え込みました。
自分が仕事中に食事の時間がとれず、空腹に苦しめられたことが2,3度あったことを思い出しました。仕事が片付けばいつでも食べれるわけですが、バイクで走りながら、この空腹がもっと続けば自分が食べるためなら何をするかわからないことを知りました。わたしはせっかちな性格ですから食べ物の強奪をするでしょう、相手が言うことを聞かなければ暴力も振るうでしょう。殺人だってありえるでしょう。
飢餓の状態においては善悪論は通用しないのです。
私たち団塊の世代、その後の世代は飢餓を経験していません。それはその前の世代と比較して、考え方や行動において生き方の基本命題を知らないことに通じるのです。