ブログ - 20241010のエントリ
心臓のバイパス手術を十年前に受けて以来、キリスト教に興味を抱いて、五年間ほど教会に通い、研究と信仰をしてきたが、近頃、神は人によってつくられたのではないか?と考えることがある。信者たちは聖書は神の言葉を写し取ったものだと信じて疑わないが、教会の勉強会で大学院の神学部を卒業した先輩が興味深いことを話してくれ、考えさせられた。聖書の原本は中近東の洞窟の中から発見され、壺の中に入れられた巻き物であったと言う。それはパピルスや羊皮紙に書き留められていたが、崩れてぼろぼろになった部分があり、それで削除された部分があると言い、写真に残ったそれらの個所を見せてくれたのである。
何度も編集をされ、出来上がっていった。
ようするに人の手が加わって聖書は出来上がったのである。伝承や噂話が含まれて、あれだけ偉大な聖書が出来上がり、すごい物語が書かれ、いまだに世界のベストセラーである。
キリストの磔刑、復活、人類救済の部分であっても、その話とは別な理由があったと考える。イエスが自分は神の子だと言った時、それはユダヤ教を乗っ取ることだと、ユダヤの教徒は考え、殺したのではないか?それが贖罪のために磔刑になったということになっている。
それに、神は食べてはいけない木の実の話をしたり、苦しみ泣く者たちの涙を救ってくれるたり、人にかわって復讐をしてくれるとか、ノアの洪水においては一度人類を絶滅させたり、いろんなことをしてくれるがそれはどこか人間臭いのである。奇蹟や予言など人類の希望や願望が加わっているように思える。
こんなことを書く自分はまだ聖書のことを知らないのかもしれないが、まだまだ未知の領域がありそうである。