ブログ - 202510のエントリ
俳句です。
俳句です。
毎週、要介護の老人たちに弁当を届けているが、先週の水曜日、Aさんの家に行って弁当を差し出すと、紙にプリンした短歌を持ってきてくれた。なんとそれはわたしが今月の町報に投稿したものであった。彼は感動したと言い、這ふて、の旧仮名遣いの部分を指摘したのでわたしも旧仮名遣いは情緒があって良い、と答えた。彼は九十歳でありながら、いつも百坪ほどの庭の手入れをしていて、元気である。庭にはしだれ梅の木が生え、曼殊沙華が黄色い花を見せていたが、草は一本も生えておらず、彼の誠実さがうかがえた。だが、十年前に家が三度も不審火に会い、近所の男に放火されたと思い、悩み続けていたのである。その内容を紙にプリントして、配っている。
家族が自分を大事にしてくれるといい、いつもおだやかな顔をしている。
自分はひとりぽっちであるが、日ごろの生活を見回してみると、句が浮かび、毎日、作っていて、それが一日の支えみたいなものである。体が老衰して動かなくなっても、頭さえしっかりしておれば、描けるのである。小説を書くのは大変であるが、日常生活の描写はスケッチみたいなもので書くのは楽しい。ユーチューブからも私の句が高評価を受けていると、突然メールが来たこともある。
あの世に行く前に、辞世の句として出してみたい。
酷暑が去り、体調がだいぶ良くなった。今日は小雨の一日であったが、まず十年前まで住んでいた家に行った。空き地になっていて、地主から草刈りを任されている土地である。入り口に立っている渋柿の実を見ると、一か月前と変わらずいつもの半分くらいの大きさであった。今年は酷暑のせいで栗、レモン、カボス、イチジク、すべての発育が悪く、この状態が続けば米、野菜に打撃を与えそうであった。とりあえず、二か月先の収穫を考えて、竹棒を用意しようと思い、近くの山に行き、二本ほど鋸で切り、自宅の甘柿をとってみたが、やはり小さかった。
スマフォで株価を見ると、今日も下がっていた。一割の損失であった。それから残金のことを考え始め、鬱になっていった。屋敷と散歩道との垣根に密集しているヤブカラシや小竹を刈り取ろうとするがひどくはびこっていて、思うように進まない。いらいらしながらも鬱がつづき、老人ホームにでも入る?と言われた言葉を思い出し、(おれはどうやって死ぬんやろうねえ?)と心配しながら、死ぬのが怖くて自殺した老人のことを思い出した。
ますます鬱になっていったが、夕食のことを考え、白ご飯、キムチ、ウインナーと卵の炒め、辛子ナスで夕食をとった。美味しかった。すると、少しずつ元気が出てきて、鬱は吹っ飛んでしまった。
そこで考えついた。
どうやって死ぬのか?なんて考えてもわかりはしないのである。おれは心不全か脳梗塞で死ぬ可能性が高いが実際その時になってみなければわからないし、交通事故で死ぬかもしれないじゃないか?殺さされるかもしれないじゃないか?
と考えながら、またスマフォを開いて、株価、メール、ニュース、レア仲間の閲覧者数、ユーチューブ、ラインなどを見ている・・・。そこで考えた。情報を見すぎるのである。ネットにはほとんど何でも載っているし、わからないことは無い。すごく便利で退屈はしないのだが、それがいけないのである。知ってはいけないことまで知ってしまう。
知らぬが仏、という言葉があったではないか?
知らないことも大事なことなのである。
長引くウクライナ戦争には皆、うんざりしている。教会の古い女信者からさえも、プーチンを殺せないのか?というつぶやきがもれ、驚いた。そこまで追い詰められているのである。三年以上も戦い続け、数百万人の犠牲者を出し、土地を破壊し続けながら解決の兆しは見えない。ロシアは十分の一ほどの領土を奪いながら、国自体が疲弊し、国民はガソリン不足のために四十分もスタンドの前で待たされている。無駄な戦争のためにガソリンが使われているためである。このまま進めば耕運機のガソリンもなくなり、食べ物も消えてしまうだろう。停戦の話し合いの場を持とうとしながらもプーチンはぬらりくらりとしている。
さきほどの女信者の言葉に共感してしまうが、プーチンの立場もわかってきた。停戦にすれば帰還兵が国に戻り、国民に考える余裕を与え、戦争経済が回らなくなり、反乱が起こり、政権が崩壊するからである。が、戦争を続けても経済制裁で国がつぶれてしまう。どちらに行っても崩壊しかない・・・・。
なんという状況であろうか?
怖くなってしまう。人類以外で、相手が滅びるまで、共食いをする生物なんてほとんどいない、人間とは自分とはこんな生物だったのか?と、言葉を失ってしまう。
神の登場を待つしかない。
汝の敵を愛せよ・・・・。