ブログ - 20241004のエントリ
このブログの一つ前に、植物は近親交配をさけるために、一つの茎から出たおしべとめしべは受粉しないと書いているが、それから連想することがあった。近親交配をすれば生命力が弱り、劣性遺伝を繰り返すようになることを植物は知っているからであろう。花はなぜ美しいのか?ということもブログに書いているが、美しくなければ蜂も蝶も寄って来ないからである。そこで、結論を言えば動物も植物も人と同じく、考えたりk、感じたりすることができるということである。
広い屋敷の草刈りをほぼ毎日やっているが、そこでもいろんな発見をする。近頃は外来種のツユクサがはびこり手を焼いている。草刈り機で一振りでは切れず、茎は長くのび、その上、あちこちで根を張っている。草刈り機の刃に絡みついて離れない。
そして、おどろくことに国産のツユクサもそうであるが、切っても枯れないのである。水分をたっぷり体に蓄え、数か月でも持ちこたえる。さらに切られた茎から根を出して、地面にふたたび張っていく。刈った草を一か所のまとめておかないと数か月たてば元の木阿弥になってしまう。他の植物や動物ではとうていできないことをやっている。カヤやヤブガラシであれば一回刈れば数か月はもつのであるが、そのツユクサが前面を占領してしまえば大変なことになる。草まみれの家になってしまうであろう。
猫の動画をスマフォでよく見るが、アヒルの子供が親猫のあとについて行く光景が出て、わたしは熱心に見ている。普通であれば猫はアヒルを食い殺すのであるが、その子供をかわいがるなんて信じられなかった。
聖書に妖精や聖霊、霊の世界が出てくるがあれは本当のことだと思う。命はみな、兄弟姉妹なのである。