ブログ - 202409のエントリ

目覚めても目覚めぬも布団の中の独りかな

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日記
執筆 : 
nakamura 2024-9-11 9:07

  おとといの日曜日は、シルバー人材センターの四人の仲間たちとカラオケボックスに行って歌った。初めての店であったが、午前十時から午後五時まで一人20曲も歌って、一人が850円であった。歌い疲れるまでマイクを握り、皆プロ並みの歌い方で楽しかった。

 昨日の火曜日はスーパーで、カート整理をした。火曜日のポイントデーと売り出しが重なって、カートが足りないくらいになったらしいが、自分と交代した13時ころは少し暇になっていた。レジの方に歩いていると前からカラオケ同好会の・子が歩いて来て、顔を見合わせると、満面に笑顔を見せた。あなたって、本当に個性的な人ですね、と言ってくれ、彼女の持ち歌が好きになってCDを借りて歌っている仲であった。若い頃は美人で鳴らしたに違いない人であったが、老いても美貌は変わらず、あれだけの笑顔を見せてくれた女は近頃いなかった。夫がそばにいたので長話は出来なかったから、ふりかえって橙色のスカート姿を見ていた。

 今日は配食の日なので弁当を配るのである。日曜日にカラオケを歌った仲間が来るので、栗を持って行ってやる。二日後はカラオケ同好会の日で歌い、三日後の日曜日は教会で礼拝をする。それ以外は草取りをするか部屋で扇風機にかかりながら、長椅子に横たわっている。

 けっこう動いているようであるが、それでも時間を持て余し、昨夜は夢の中でNHKの集金をしてきた。

 毎日、暑い日がつづき、これが涼しくなって秋が来るなんて信じられないが、今年の四月頃までは暑い夏が来るなんて信じられない思いであったのだ。人間の想いや感情なんていい加減で、まわりに振り回されているだけである。

 ただ、(目覚めても目覚めぬも布団の中の独りかな)、だけは変わらない。

専門外だからわかりません

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日記
執筆 : 
nakamura 2024-9-10 6:55

  十年前、NHk集金の仕事をやめて、近所の大学の公開講座に通ったことがあった。東京での若い頃のキャンパスを思い出しながら、なんと静かになったことか?とおもった。マイクでのアジ演説もなければ部活の勧誘光景もなく、ただ留学生の姿が目に付いた。

 物理学をもう一度勉強したかったのであった。(基礎物理学)という課目を選択した。理数系は不得意であったが、哲学には興味があり、その両者の関連に興味があった。高校時代に学んだ物理、数学、化学なども学科を思い出しながら、学んでいくと、やはり数式の持つ力を思い知らされた。たとえば、E=MC(二乗)など真理を突く数式がたくさんある。  

 ある時、教授に質問した。E=MC(二乗)の真理はわかりますが、(人が年老いて肥えながら体力が落ちるにおはなぜですか?)という質問であった。教授はしばらく考えていたが、(それは専門外なのでわかりません)とこたえた。

 そこ言葉を心に残しながら、正直に答えてくれた、と考えた。

 それから教会に通ってキリスト教を学びながら、あるlことに思いついたのである。科学は物質世界の出来事が対象であり、精神や霊を持った生命の世界の事ではない、ということである。重いものを持ち上げる場合、一人より二人の方が力が出る、と考えるが、そうではない。一人であっても火事場の力を出せば二人分の力が出るのである。物理学ではその世界のことは無関心であり、専門外なのである。

 そのように考えると教授の言った言葉は真理を突いていた。

 教会では霊の世界の話が中心であり、物理化学など登場はしない。どちらも自分たちの世界にしか関心がなく、無関心である。ここで両者が統一できなければいつまでも平行線をたどるだけである。統一できた時、それが本物の真理になるのである。

栗が落ちとるばい!拾いに来んね!

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日記
執筆 : 
nakamura 2024-9-6 13:03

  8月の末から我が家のクリは落ちはじめ、日課が一つ増えた。拾って、水洗いし、袋詰めして、店に出すことだ。去年は千個ほど、落ち、一個二十円で出した。今年もそれくらい出そうである。日に三度は栗畑を回って、火箸に挟んで採るが、腰が痛くなってくる。空のクリは集めて、後日燃やす。

 三十年前は自分は古い家に住んでいて、母は新築した今の家で一人住まいをしていた。近所の団地に住む三人の男性に畑を作ってもらい、お茶を飲んでもらいながら談笑していたが彼らが去ってからは一人ぽっちになってしまった。

 栗が出る頃になると電話をかけて来て、栗拾いに来るように伝えて来たが、わたしは仕事と家庭で忙しく、母の言葉を忘れていたのである。男の子が二人産まれ、妻もいた。

 ある時、母は年金を下ろして病院に行くから送迎をしてくれ、と言った。記憶には残っていたが他の件が忙しく忘れていた。

 そして、ある日、集金の仕事でバイクで回っていると、電話がかかって来た。ヘルパーの者ですが、お母さんが亡くなりましたと言う。ついにその日が来たか?と冷めた気分で当面の集金先を終え、母の家にいった。警察と医者が来ていて、刑事から調べられた。母の死体は死後四日たっていて、顔がむくみ別人の顔になっていた。

 それが三十年前の事である。

 それから、四本のクリの木はまったく手入れもしないのに毎年、実をつけてくれる。自分は前の家を取り壊して、今の家に住むようになった。妻子は出て行き、一人ぽっちの生活である。母と同じ状態になった。

 一個が二十円になるので栗の木は十円銅貨のようなものだ。金のなる木である。

 すみからすみまで栗を探す。やぶの中にかくれ、落ち葉の中に埋もれていることもある。

 そんな時、母の声が聞こえてくる。・・ちゃん!栗がいっぱい落ちとるばい!早う、取りに来んね!

 自分は地べたに這いつくばりながら、火箸で栗を挟んで採る。

 もうすぐ、母の元に行くであろう。

(パワハラ)は権力を握った

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日記
執筆 : 
nakamura 2024-9-2 7:10

  兵庫県の斎藤知事の騒動を毎日ニュースで読むたびに、何かおかしい?どこかおかしい?と首をかしげるのは自分だけではないはずである。どこがおかしいのか?斎藤知事自身なのか?マスコミ報道にあるのか?わからなかったが、やっとわかった気になった。彼の悪行のかずかずは内部通報をされたこと以外それほど騒がれるはずの事ではなかった。物品をせびったり、エレバイターのドアを開けなかったり、付箋を投げたり、駐車禁止の場所のことなどほぼ日常的にはありえることだとして許されることである。

 それが膨らんで百条委員会がもうけられ、知事に不信任案がつきつけられるかもしれないことになったのは斎藤知事が内部通報制度を理解しておらず、自分と仲間内のことを密告された?と感情的になり、彼を解雇し、退職金ももらえなくし、彼が自殺したからである。これは職権乱用ではないか?とも思う。

 自分もNHKの労働組合で活動していた頃、団体交渉の場で世間に出されてはいけないことを告発し、当時の営業部長や職員たちは震えあがっていた。あんた、NHkに世話になりながらよくそんなことまでしゃべるな?と組合の仲間も言ったことがあった。NHK側が自分を攻撃するな?と考えていたがそんなことはなかった。

 それは二十年前の出来事であったが、今、ふりかえってみると、時代がすごく変わったといういことである。こういうことである。パワハラという言葉が権力を握って独り歩き?しているのではないか?ということである。まわりはその実態のを見失い言葉の権力に振り回され平伏しているということである。マスコミは視聴率稼ぎを考えている。

 歴史を振り返れば様々な言葉が権力を握ってきたことがわかる。封建的、密通、男尊女卑など数え上げればきりのないほど、言葉は実態を考えずに権力を握り、人間社会を支配し、言葉自体を崇拝させて来たのである。

 一年前、ある店で、顔見知りの女に、最近変わったね?肥えたんじゃない?と声をかけると、それはセクハラよ、と言われ、肩の肉を摘ままれたことがった。それからは、彼女のことをお嬢様と呼ぶようになり、彼女は満足げな顔にになったが、肥えたと言ったことのどこがセクハラなのか?言い返してやりたい。

 セクハラ、パワハラ、モラハラなど、今の時代は横文字が幅を利かせ、支配しにかかっている。それはそれで必要なことでもあるが、言葉の支配力に負けて実態を見失ってはいけない。斎藤知事の騒動に戻れば、内部通報制度にくぎを刺され、否定されようとしたこと自体が問題なのである。その本題にもどるべきである。

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