ブログ - 202411のエントリ
この十日間ほどインフルエンザにかかり、苦しんだ。昨日はカラオケ会であったが、マイクを握ってる最中に咳の発作が出て、外で休んだ。発作が出はじめたら止まらなくなり、喘息の持病がからんで死ぬのではないか?と不安になってしまう。風邪が流行っていてカラオケ会でも全員がマスクをかぶっていた。
咳が出るのは汚れた痰を体外に出そうとするからである。痰は黴菌と白血球が闘った後であり、体外に出そうとするのは当然のことであるが、その仕組みを作り、指示をする者は誰か?となると、体の生命力なのである。命を繫栄させ守る者は神である、と聖書の創世記にも書いてある。ある女信者に、死ぬのが怖くて自殺した男のことを話すと、私の体は神のものだからそんな粗末なことはできません、と言ったと前の日記に書いたがその言葉が思い出される。彼女は四六時中、いや、いつも神と一緒に生きているのであろうが、うらやましくもある。そこまで信仰できれば良いな!とも思うがこんな根性の曲がった男には無理ではないか?と思う。
ふんころがしと言う虫にとっては糞は貴重な食糧であり、なくなれば飢え死にしてしまう。今の人間にとって便は汚いものであるが、つい最近までは畑の貴重な肥料であったのだ。
視点が変わることで価値はどのようにでも変わるのであるから、神だって安泰にはしておられない。
一か月ほど前のことであるが、その日は日曜日で、教会に行って礼拝に参加するつもりだった。裏の門扉を出て歩き始めたが、花を持って来ることを忘れていることに気づいた。門扉に戻って中に入ると、いつものように軽のワゴン車がそこに停まっていた。いつものことであった。だが、驚いてしまった!車の運転席に見知らぬ若い女が座って、自分を見ていた。自分以外に車に乗る者はいないのであるがまた幻覚を見てしまった・・、と考え、素知らぬ顔で黄色い曼殊沙華の花を庭から切って持って来た。予想していたように女は消えていた。女の像は張り付けられたポスターのように立体感はないが鮮明であった。一週間前、その日は午後七時ころ、布団に入って寝てしまった。目覚めて起き上がると、庭に面したガラス戸が室内の灯かりに暗くなって鏡になっていた。そこに少女のような若い女が立って無表情に自分を見ていた・・・。また、幻覚か?と往なしてしまった。若い頃から、夢うつつの時に、棚の人形が踊っているのを見たりしたことがあったが、覚醒時に現れるようになったのは最近である。人は死期がせまると幻覚を見ると、聞いたことがあったがそれが本当になってきた。
若い女が迎えに来てくれるなんて、嬉しいことである。昨日は顔見知りのキリスト教の布教女とスーパーの仕事中に出会い、ロビーで三十分間も神について話を交えたが、彼女は幻覚ではなく現実の女であった。美人であった。
スーパーでカート整理の仕事をしていたら、主婦の話し声が聞こえた。ほうれん草の種をまいたが芽が出ない、言っていた。うちも芽が出ないんですよ、と話の中に入ってみると、大根も播いたけど、小さいうちから虫に食われ、すっかり消えてしまった、と言う。カボス、柿、はっさくも実が出ない、というと同じことを言い返してきた、うちはほうれん草を三度、まいたが、五粒しか芽が出ていない。いつもはまいた量の五十分の一ほどは出ていたのである。虫たちは食べるものが減っていってこれまで食べなかったものまで食べるようになっている。食料は人間との奪い合いでますます少なくなっている。来年も猛暑であろう。食料は農薬と猛暑がからんで食べつくされるであろう。そして、生物の絶滅である。
わたしが政治家であれば、除草剤使用を許可制にすることから始めるが、化学メーカー、農家の大反対を受けるであろう。立候補した時点で落選の運命を与えられるのである。