ブログ - 202410のエントリ
このブログの一つ前に、植物は近親交配をさけるために、一つの茎から出たおしべとめしべは受粉しないと書いているが、それから連想することがあった。近親交配をすれば生命力が弱り、劣性遺伝を繰り返すようになることを植物は知っているからであろう。花はなぜ美しいのか?ということもブログに書いているが、美しくなければ蜂も蝶も寄って来ないからである。そこで、結論を言えば動物も植物も人と同じく、考えたりk、感じたりすることができるということである。
広い屋敷の草刈りをほぼ毎日やっているが、そこでもいろんな発見をする。近頃は外来種のツユクサがはびこり手を焼いている。草刈り機で一振りでは切れず、茎は長くのび、その上、あちこちで根を張っている。草刈り機の刃に絡みついて離れない。
そして、おどろくことに国産のツユクサもそうであるが、切っても枯れないのである。水分をたっぷり体に蓄え、数か月でも持ちこたえる。さらに切られた茎から根を出して、地面にふたたび張っていく。刈った草を一か所のまとめておかないと数か月たてば元の木阿弥になってしまう。他の植物や動物ではとうていできないことをやっている。カヤやヤブガラシであれば一回刈れば数か月はもつのであるが、そのツユクサが前面を占領してしまえば大変なことになる。草まみれの家になってしまうであろう。
猫の動画をスマフォでよく見るが、アヒルの子供が親猫のあとについて行く光景が出て、わたしは熱心に見ている。普通であれば猫はアヒルを食い殺すのであるが、その子供をかわいがるなんて信じられなかった。
聖書に妖精や聖霊、霊の世界が出てくるがあれは本当のことだと思う。命はみな、兄弟姉妹なのである。
カラオケを歌うことは、老後の人生の中の大きな楽しみの一つです。十一月に、岡垣サンリーアイで歌うことになり、少し緊張しています。三度目の出場で、文化祭の一つのイベントで、出場は無料です。
何を歌おうか?と迷っていますが、(命くれない)にしようかと思っています。歌いやすいし、歌詞の内容も気に入っています。(産まれる前から結ばれていた。そんな気がする紅の花・・)という言葉は日頃考えていた男女関係にすごく通じるのです。
77年の人生の中で、自分の出来事も含め、いろんな男女の関係を見てきましたが、結びつきは生まれる前からきまっていた、というよりもともと一つであったものが分離してしまい、まわりまわって(よりをもどす)ことではないか?と考えていたのです。聖書の創世記の書き出しの部分においても、男のあばら骨から取り出されて女が産まれた、と書いてあるように、もとは一身同体であったのです。異性を求める必要もなかったのです。植物の世界にも見られるように、雄と雌が一つの株で生きていたのです。ところが一つの株のオスとメスは交配が出来なくなり、遠く離れた雌雄を求め、結ばれる仕組みに変わってしまったのです。そうすれば自然い運動能力が発達するからです。これは神の働きかもしれません。
人間世界においてもいくら努力しても結ばれないけど、ふとしたきっかけで結ばれ、離れなくなってしまうケースがあります。ところがうまくいかず、他人がいるる前でも彼らは大声で喧嘩をし、あるいは三十年間も家庭内離婚の状態にありながら別れない場合があります。これらは、生まれる前から結ばれていた、にちがいありません。
元のさやの中に納まったのだから、ある意味では幸福なのかもしれません。