ブログ - 20231003のエントリ
金は持っているほうが、良い、といえるが、そうでもない。かつて自分が受信料の取り立て業務をやっていた頃、月に百万円の給料を二年間ほどとったことがある。新車を現金で買い、女を買い、酒を飲み、マージャンをして遊んだ。千円の金を使うことくらいで考えたりしなかった。そして、株でももうけていた。金額は単なる数字にしか見えなかった。その結末が今の生活困窮である。それに、あと何年間で体が動かなくなるに違いない。そうなると生活保護をもらうことになるだろう。死んだ叔父は、おれの家系に泥を塗った、とあの世で言うであろう。でも、金がないということは必然的に世の中や他人を見る目、その基準が低くなり、気持が自由になれるのである。自分の欲望も行動力消え、今日、生きていることだけに感謝の気持ちが湧いてくるし、体の悪い者や生活困窮者を見る時に、同情と愛がわいてくる。受信料の取り立て業務をやっていたころは、集金に行って、2790円が払えない、と言われれば、こんな金も払えないのか?とおもったりしたが、今はその相手の気持ちがしみじみわかる。
この前のニュースで、金がなくて140円の食パンを万引きし、つかまって、30万円の罰金をうけた老人のことがのっていた。あの頃、仕事が忙しくて食事をする時間がなくて、空腹に耐えられないときがあった。目の前に食べ物があれば、盗んででもたべたであろう。もし自分が万引きして捕まったとすればば自分を嘆きながらも自分の行為を振り返り、行為に至った道筋を振り返り、生物とは結局はこんなものだと考え、トラやライオンが獲物を毎日追いかけ回して生きていることに考えを向けるであろう。そして、フランスの作家、ジャン・ジュネの(泥棒日記)を思い出し、最初の書き出しの文章を吟味するであろう。また、自分の万引きの体験を作品にしてみたい、と考えるに違いない。自分の体験すらイや自分自身さえ、材料にしか過ぎないのである。