ブログ - 20231001のエントリ
67歳になって貧乏暮らしになり、若い頃の浪費を悔やむことがあるが、逆にある意味での悟りみたいな境地にもなっている。両親は亡くなり、叔父、叔母たちもほとんど亡くなり、淋しい気持ちはあるが、期待されないことといらぬおせっかいが消え、ほっとしている部分もある。そして、週に二日も働けばあとは自由である、なんて若い頃には想像もできない恩恵である。二十年前、NHKの集金業務をしていた頃、母の弟は、うちの家系から集金人が出た、とたえず嫌味を言っていた。彼は県庁の商工課の課長補佐をしていたが、その仕事がよほど高級だと言いたかったのだろうが、自分の目から見れば、単なる・・泥棒にしか過ぎなかったのである。
ふり返れば自分もふくめほとんどの人は周りの目を気にして、生きているの。自分の生き方が世間にそっているかどうか?たえず点検し、男も女も半ば怯えながら生きている。ちょとした劣等感や優越感にふりまわされ、生まれた時から死ぬまで世間の価値観の奴隷にしか過ぎない。
ドモリで頭が悪い、臆病だが怒りっぽい、スケベな顔して女を探す、そんな自分など世間の価値観から見れば底辺の男にしか過ぎなかった。だが、悪い頭を振り回し、本を読み、いろんな宗教で学びながら、自分の価値観が出来上がっていった。神に対する考え方などしゃべるとあなたは一方的に考えていると無視される場合が多い。
だが、自分では満足しているし、日々、人に会ったりニュースをみたりすると、自分の考えと照らし合わせて、やはり自分が間違っていなかった。世間のほうがおかしかったのだ、の判断することがある。
精神的な病人が増えているという報道があるがもっともだと思う。セクハラ、パワハラ、だとか重箱の隅をつつくような世間、それをいちいち取り上げるメディアの中にいれば精神的な病人は増える一方である。
紆余曲折しながらでも間違っていても自分の価値観を作り上げれば、ある程度の達観はできる。今日の朝も目覚める時に胃炎が起こっていた。起き上がる気はならなかったが、昨日とった栗とニラを袋につめ、スーパーの産直コーナーにバイクで運んでいくと、早朝の道路は空いていて走るのが楽しくなった。ウツの時は体を動かすのが一番良いのである。
心の病は人間関係がほとんど原因していて、自分の価値観で対抗すれば勝てることが多い。憎たらしい奴がいればこんな人間も多様性の中で生きているんだ!と考えてみよう。