ブログ - 20220121のエントリ
先日、小学生の子供に、(おじちゃんの家の畑に、カブトムシの幼虫がいるんやけど、いらない?)と声をかけた。子供は関心がなさそうにテストの問題の紙を見つめていた。(カブトムシって知らないの?)というと、(知らない)とこたえた。
人口が四万人ほどの町で、山あり海ありなのであるが、そこでカブトムシを知らない子供が増えているのである。以前であればカブトムシというと目を輝かせていたものであるが、その変わりように驚いた。テストの問題のほうがだいじなのである。
政府はコロナ事変で社員たちが入院し、小売や流通が滞ることを危惧し始め、それに備えて早めの対応を頼んでいる。食料の心配する時代になったのである。
この町にも一戸建ての団地が多いが、かれらは畑を持たない家に住んでいて、食料が停まったらどうなるのであろうか?と考えてしまう。飢えが待っているだけである。
これから畑を作ろうなんてもう遅いし、住人たちはじゃがいもやさつまいも、米の作り方も知らないのである。カブトムシを知らない子どもたちには餓死が待っているのである。
食べ物よりテストのほうが大事なんて言うものはいない。
学力テストは子供が祖父の面倒を見たり、茶碗を洗ったり、畑を耕しても評価はしない。が、生きるためにはそちらの方が大事なのである。
時代は生きることの本質を見失っている。コロナ事変の今こそ、その本質を取り戻すべきである。