ブログ - 20220109のエントリ
今日は午前中、近くの教会に日曜礼拝に行った。礼拝が終わると、親しくなった男信者とカラオケの体験談を茶会の席で交えた。帰宅して昼食を取り、タケノコ山に間伐に行った。そろそろ収穫期に入るので山の中を歩けるように小さな木を切ってきた。帰宅して夜食の食材を買ってきた。
それから自室でエロビデオの鑑賞をしようとして、ビデオを手に取り、どのビデオで興奮するのか?考えていると、なぜ勃起するのか誰の指示なのか?と、考えがすすんでいった。前のブログで神が(創世記)で、すべての生物に産めよ、増えよ、といって食欲を出させている(これは書いていないのでここで書きます)と考えたので、その理屈から言えば勃起させるのは神なのである。ただし、神は淫行はするな、と言っている。中近東は古来から一夫多妻の世界であるが、妻と認めたもの以外の女と交われば淫行になるのである。だが、ひねって考えれば不倫相手は妻にしてしまえば不倫ではなくなるのであろうか。
性欲が高まれば勃起するのは自然であり、当然であるが、人間であるからにはそうだとばかりは言えない。それに、好きな女だから、あるいは色っぽい女だから勃起するとも限らない、男にも女にも微妙な生理状態があるのである。女が目の前にいるときには何も感じないのに別れた後に興奮してくる場合もある。同情心から欲情が起こる場合もある。男の皆さん、自分の勃起を考えた時、その不思議さを感じたことはありませんか?よく考えれば性欲は食欲以上に複雑なのである。ここにドラマが生まれ小説や映画になるが、とんでもない惨劇に発展することもある。取り組めば取り組むほどむずかしく、謎めいた世界なのである。トラブルの起こりそうな相手であれば勃起させなければトラブルは怒らないはずであるが、そうはいかない。
もしかすると、これは神の入れない世界であり、人間だけの秘境ではないだろうか?
一昨日はいつもの精米所に行って、籾殻をとってきた。天井からぶら下がっている紐を引くと、籾殻がドサーと床に落ちてくる。それをショベルですくって、ビニール袋につめる。20袋ほど詰めるのに一時間はかかる。ホコリが舞い、作業服は籾殻だらけになる。
冬の薄日が周りの羊田にさし、自分の頬にもあたってくれる。
・・75歳になろうとしているのにまだこんなことをしているのか?
こころがつぶやく。
詰め終わって、事務所に行って礼を述べると、ありがとうございました、またお願いしますと、職員は言ってくれる。籾殻は精米所にとってジャマなのでとってくれる方が助かるのである。
そのまま、産直店に運んで肥料置き場に並べ、顔見知りのレジの女に新年の挨拶をし、しばらく顔をみらんかったねえ?というと、すれちがいになってたのよ、と笑顔を見せた。
夕方のメールで、籾殻は三袋、900円で売れていた。
昨日は週に一度の弁当配りであった。
社協の職員に新年の挨拶をし、運転手の運転で18件ほどなじみ客に配達し、新年の挨拶をした。老人たちはみなおだやかな顔で自分を迎え、深々とあたまを下げて感謝をしてくれた。車の中では仲良くなった運転手の男とおしゃべりをした。
こんな調子の正月明けであったが、働くことは社会参加であり、人と交わることだと考えた。たっぷり年金をもらう身分であればこんな経験は出来ないが、貧しい暮らしが喜びを与えてくれたのである。
貧しいものは幸いである。