ブログ - 20220117のエントリ
東大キャンパスでの殺傷事件を知った時、わたしはショックを受け、茫然となった。高校二年生の起こした事件に、17歳の地図、という言葉を思い出し、自分が起こした事件のように思えた。自分が17歳であれば起こした可能性が強いし、17歳の男たちはそこに自分の姿を感情移入したかもしれない。
一年前、町の歴史研究会に参加し、実地見学で町内を回っている時、見知らぬ男から、声をかけられた。(中村行雄さんですね、・・高校で成績の良かったことを知っていますよ)。わたしはゾッとした。というのは、同級生ともまったく交流がなくあの時代は消え去ってホッとしていたのにあの時代に戻されてしまったのであった。確かに高校一年の時は 学力テストの成績もよく、九大に合格するくらいの力であったが、それからは受験生活に燃えつき、下り坂を転げ落ちていったのであった。
それもそうであるが、私の母親の存在がいかに悪い影響をあたえたか、同時にそれが自分の女を見る目を捻じ曲げて育てたか・・、74歳にしてはっきりわかるのである。附属中学校に合格して、入学した日、母はこういった。(あんたはねえ、お父さんのひいきで合格したんやけ、頑張らないいけんよ)。父が高校の教員をしていたのでコネで合格したのであった。
私はそんなことは望んでいなかったし、エンコなどというのは大嫌いであった。
その言葉に一生、まとわりつかれ、母を殺したいくらい憎んだが、女への肉欲は可逆的に強く、絶えず女がいないと不安になるのであった。東大キャンパスでナイフで殺傷した男は高校二年生であるが、医学部に通らなけれ生きてる意味がない、ということが動機であった。それにしても、反体制、半権威に燃えた五十年前の出来事の後にこんな事件が起こるなんて?人間の習性の怖さに驚くばかりである。
彼が自分の学歴信仰に侵されていることを知り、学力テストはその人間の何百分の一しかはかれないことを知れば、自分がいかにつまらない評価方法に惑わされているか知るはずである。自分にはもっと違う能力があり、社会はそれを発見できないだけであること知ってしまえば自分独自の生き方を探すはずである。
ここで言いたいのは高校の学部にレア学部を創設すべきだということである。
学歴信仰、家柄、血縁など既成概念に同調できない者はレアとして進む方向を与えるべきである。 既成の権威が良いとか、レアが良いとかではなく、希少性に価値を認めれば、適応できない個性の中に本人の価値を発見することが出来、どんな」人間にも価値が見い出せて、社会参加が出来るのである。
被害者の三人は気の毒であり、加害者も気の毒であり、彼らは受験体制の被害者なのである。、