ブログ - 20220113のエントリ
NHKの集金をやっていた頃、宗像市が担当で、野添という地域を集金で回っていた。二ヶ月に一度、訪問するのであるが、その農家が印象に残っていた。庭には盆栽が並び、きちんとした佇まいであったが、顔を出す老婆にはいつも元気がなかった。
彼女は時々、家のことをしゃべった。
息子の嫁は博多の繁華街で働いていたが、嫁いで来ると、草むしりに不平を言い、夫と息子を残したまま出ていった、と言った。孫である息子は昼間から家の中にいて、いつも無力な顔をしていた。(孫はいつも夜勤の仕事をしよります)、言ったが、いいわけであった。職につかず、ニートであることが後にわかった。
亭主のこともしゃべった。
百姓仕事をしている真面目な男のようであったが、ある言葉が印象に残った。いつも死にたい、と言うのであった。おれはどうやって死ぬんやろうねえ、それがわからんけ、苦しいとたい、と。
わたしはまだ若かったので他人事のように聞き流していた。
半年後、亭主は納屋に駆け込んで首をつったのであった。
わたしはこのことを忘れはしない。老いていくにつれてこの出来事が現実味をおび、自分に迫ってきたのであった。毎朝、目を覚ますと今日も生きるのか?と憂鬱なのである。仕方なく、両手を組み、あなたの力で今日も生きさせてください、と祈るのである。高校生の頃は、冬でも毎朝水を被り、そばの山を走り、われに苦難を与え給え!と祈ったのであった。
よく考えると、人は死ぬことは怖いが、それより、どのようにして死ぬのかわからないことのほうが怖いのである。
その日はいつ来るのか?この主人のようにわかりはしない。