ブログ - 202201のエントリ
朝、布団から起きると、両手を組み、今日も一日、生きさせてください、と祈るようになった。正月の1日、2日と教会に通い、礼拝をした。
ところが、聖書を乱読している時、おかしな聖句に気づいてしまった。
キリスト教にとって(原罪)はキーワードであり、絶対に変えることも譲歩することも出来ないものなのである。それは次のように書いてある。神は人間に楽園を与え、果実をとって元気に生きるようにしてくれたが、(善悪の木については、あなたはそれから食べてはならない。それから食べる日にあなたは必ず死ぬからである)ー創世記二章17、と神は言った。だが、アダムとイブはそれを食べてしまった。神の言いつけを守らなかったので、それから人は死ぬ運命を持ち、出産の苦しみを与えられたのであった。
聖母マリアは処女受胎であり、神の霊を取り入れたので人間の原罪ははいっていないし、キリストがゴルゴ度の丘を歩まされて自ら磔刑に身を任せたのも人間の原罪をあがなうためであった。
原罪はキリスト教の大柱なのである。
ところが、ヨハネの黙示録2章17にはこんな聖句が出ており、それはもちろん神の言葉なのである。
(耳のある者は、御霊が諸協会に言うことを聞くが良い。勝利を得る者には、神のパラダイスにあるいのちの木の実をたべることをゆるそう)
これが特別な例外であるとは言えない。キーワードに特例などあってはならないからである。聖書は当時の言い伝えや風習などを含み、多くの使徒が神の言葉を聞いて書いたものだというのであれば、全知全能に神にミスなどはあってはならないのである。
この件は教会の神父に問い、調べてもらうことにしているが、聖書が偉大な教典であることは間違いないし、そこからもっといろんな発見ができそうである。
元日なのに、初詣もせず、布団の中で九時ころまでぐずついている。もちろん、おせち料理を食べるわけではなく、家族もないから、おめでとう、というわけでもない。そばに金毘羅山の神社があるので、行ってみてもいいな、と思いながらキリスト教徒が初詣をするのか?と迷い、また雑念思考に戻った。
昨年の末に買った銘柄が少し買値を戻し始めたので、今年は値上がりする!と考え、投資方針を変えようか?午前九時過ぎに値上がりした銘柄をすぐに買い、一時間後に売る、早乗り、飛び降りをやってみよう。それが仕手株だと見極め、午前中に売ってしまえば、儲かる確率が高い。ほとんどの銘柄は午前中に値上がりし、午後には下がる傾向が強いからである。
昨日は葉山嘉樹の小説(淫売婦)を読んで感動した。私はまだ極道な青年だった、と書き出し、極道な船乗りたちが淫売婦とどのように関わっているか?を短編で仕上げている。
おれも変わり者の極道な男だったではないか?なぜそれを書かないのか?
逃げている、まだ、隠している。それがレアといえるのか!
と、反省した。
今年こそ、本当のreaに挑戦しよう!