ブログ - 202201のエントリ

閉鎖病棟になってしまった社会

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日記
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nakamura 2022-1-28 13:27

  昨夜、埼玉県ふじみ野市の民家で、猟銃を持った男が立てこもり、訪れた医師が殺され、二人の男が負傷した。今年に入って、共通一次試験会場での殺害事件が起こり、昨年は電車内での殺傷事件、その前もその前にもそれに類した事件と、立て続けに(破壊衝動が)爆発し、地雷が次々に破裂していくような時勢になってしまった。

 昨日、身内のある男から公衆電話がはいった。スマフォに公衆電話という表示が出るので、あの男だとすぐにわかる。彼は金はあるのだが、携帯三社の料金を踏み倒しているので再契約ができないのである。

 話の内容は、(この前の手紙であなたの過去を非難したことは取り消します。今、閉鎖病棟にはいっているけど生活態度が良いので開放病棟に変わり、退院できるかもしれません。その時はよろしくおねがいします)というものであった。四十年前から、暴力の連鎖をおこし、措置入院させらて以来、詫びと反省の言葉を十回ほども繰り返してきて、七十を過ぎてしまった彼である。退院すれば私の隣の家に住むことになる・・・。

 だが、いろいろ考えてみると、退院の可能性はないので、夢だけ見ていればそれでいい、と結論づけた。彼は金はあるので生活の心配はないが、退院して、毎日をどのように過ごすか?である。没頭するほどの趣味はないし、アルバイトを始め、そこで社会参加ができれば無事に過ごしていけるわけだが、問題は人間関係なのである。

 わたしがNHKの集金の仕事をしていた四十年前のことである。未契約先に行くと快く契約してくれる人が多かったが、問題は拒否者であった。何度お願いしても通じず、全員が払ったら払ってやる、とか、その顔つきはなんか!とか悪態をついた。ドアもあけずに、けっこうです、主人に聞いておきます、わたしはここのものではありません、と逃げられた。当時、三十五歳であったわたしは、がまんできずに、ドアを蹴ったり唾をかけたりした。心のなかでそんなことはするな、と制止しているのにブレーキが効かないのである。

 そんな経験を思い出して、彼が暴力の連鎖をおこした精神状態が見えてきた。それは心の問題ではなく、すでに物理学的な状況なのである。破壊衝動が強すぎて意思や心の入る余地はないのでる。彼に言葉でいくら説得しても無駄だったのである。

 彼はすでに高齢になり、エネルギーも衰えている。それは私がその状態であり、朝、寝床から起き上がるのに難儀しているのと同じである。

 そして、今の世はこコロナの影響で濃厚接触者は自宅療養させられている。家族が感染した場合は全員が自宅療養であろうし、イベントも飲み会も会合もほとんどの集まりが中断されてしまっている。これは社会そのものが閉鎖病棟に入っているのと同じなのではないか?

 彼が退院したとしても、待っているのが同じ閉鎖病棟だとれば、今のままのほうがなんの心配もなくて良いのではないか?彼から手紙が来れば、このことを書いてやろうと思う。

コロナがついにやってきた

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日記
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nakamura 2022-1-27 8:07

  2週間前、職場のトイレでのことだった。

 「コロナが流行りよりますね?」

 仕事仲間の男が小用をたしながら、声をかけてきた。

 「うん。でもこの町は町内の感染者の数を出さない。感染者が特定されるということが理由だけど」

 二年前、町内の感染者を公表していた頃は、・病院の看護婦だとかコンビニのレジの女だとか、噂になって広がっていたが、近頃はそれはなくなった。

 「おれなんか、時々、コロナに介錯してもらってあの世に行ったほうが良いと思うよ」

 半ば冗談のつもりで言うと、男は黙り込んだ。

 十日前、職場の先輩が突然、やめた。理由はわからない。

 一週間前、もう一人の先輩が体調不良でしばらく休むと電話をかけてきた。

 三人のローテーションでやっているので、自分の持分は月に二日間増やされた。

 事務所に行ってそのことを職員と打ち合わせているときに、・さんは発熱している、と彼はしゃべった。

 自分が驚いると、・さんはpcr検査を受けていると付け加えた。結果は明日にわかるらしい、と言い、翌日に訪れると、陽性だった、と答えた。自分は・さんとは一週間前、四、五分間しゃべったし、職場は多くの人が出入りするところである。

 帰宅しようと、バイクでゆっくり走っていると、背後から男が声をかけてきた。

 バイク屋のオヤジだったので、中古のカブはないか?と尋ねると、新車のバイクもコロナの影響で納品が遅れ、中古は高くなっているという。そんな会話の中で、職場の先輩がコロナにかかった、と口をすべらしてしまった。マスクをしていた彼は飛び上がって、後ろに退いた。

 その勢いと恐怖の表情を見て、しゃべって失敗した!と思い、逃げるようにバイクを走らせた。

 でも?と考えた。発熱したら保健所に電話をし、どこで検査を受けるのか?入院したらどんな治療を受けるのか?知り合いとはどんな人間関係を持つのか?コロナはインフルエンザとは症状がどんなふうに違うのか?などが、わからず、パニックに陥るかもしれない。自分は一人者であるが、家庭をもっている人は大変なことになってしまう。

 自分のことだけではない。

 

学力テストが奪う生存力

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nakamura 2022-1-21 9:46

  先日、小学生の子供に、(おじちゃんの家の畑に、カブトムシの幼虫がいるんやけど、いらない?)と声をかけた。子供は関心がなさそうにテストの問題の紙を見つめていた。(カブトムシって知らないの?)というと、(知らない)とこたえた。

 人口が四万人ほどの町で、山あり海ありなのであるが、そこでカブトムシを知らない子供が増えているのである。以前であればカブトムシというと目を輝かせていたものであるが、その変わりように驚いた。テストの問題のほうがだいじなのである。

 政府はコロナ事変で社員たちが入院し、小売や流通が滞ることを危惧し始め、それに備えて早めの対応を頼んでいる。食料の心配する時代になったのである。

 この町にも一戸建ての団地が多いが、かれらは畑を持たない家に住んでいて、食料が停まったらどうなるのであろうか?と考えてしまう。飢えが待っているだけである。

 これから畑を作ろうなんてもう遅いし、住人たちはじゃがいもやさつまいも、米の作り方も知らないのである。カブトムシを知らない子どもたちには餓死が待っているのである。

 食べ物よりテストのほうが大事なんて言うものはいない。

 学力テストは子供が祖父の面倒を見たり、茶碗を洗ったり、畑を耕しても評価はしない。が、生きるためにはそちらの方が大事なのである。

 時代は生きることの本質を見失っている。コロナ事変の今こそ、その本質を取り戻すべきである。

レア学部の創設

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nakamura 2022-1-17 17:57

  東大キャンパスでの殺傷事件を知った時、わたしはショックを受け、茫然となった。高校二年生の起こした事件に、17歳の地図、という言葉を思い出し、自分が起こした事件のように思えた。自分が17歳であれば起こした可能性が強いし、17歳の男たちはそこに自分の姿を感情移入したかもしれない。

 一年前、町の歴史研究会に参加し、実地見学で町内を回っている時、見知らぬ男から、声をかけられた。(中村行雄さんですね、・・高校で成績の良かったことを知っていますよ)。わたしはゾッとした。というのは、同級生ともまったく交流がなくあの時代は消え去ってホッとしていたのにあの時代に戻されてしまったのであった。確かに高校一年の時は 学力テストの成績もよく、九大に合格するくらいの力であったが、それからは受験生活に燃えつき、下り坂を転げ落ちていったのであった。

 それもそうであるが、私の母親の存在がいかに悪い影響をあたえたか、同時にそれが自分の女を見る目を捻じ曲げて育てたか・・、74歳にしてはっきりわかるのである。附属中学校に合格して、入学した日、母はこういった。(あんたはねえ、お父さんのひいきで合格したんやけ、頑張らないいけんよ)。父が高校の教員をしていたのでコネで合格したのであった。

 私はそんなことは望んでいなかったし、エンコなどというのは大嫌いであった。

 その言葉に一生、まとわりつかれ、母を殺したいくらい憎んだが、女への肉欲は可逆的に強く、絶えず女がいないと不安になるのであった。東大キャンパスでナイフで殺傷した男は高校二年生であるが、医学部に通らなけれ生きてる意味がない、ということが動機であった。それにしても、反体制、半権威に燃えた五十年前の出来事の後にこんな事件が起こるなんて?人間の習性の怖さに驚くばかりである。

 彼が自分の学歴信仰に侵されていることを知り、学力テストはその人間の何百分の一しかはかれないことを知れば、自分がいかにつまらない評価方法に惑わされているか知るはずである。自分にはもっと違う能力があり、社会はそれを発見できないだけであること知ってしまえば自分独自の生き方を探すはずである。

 ここで言いたいのは高校の学部にレア学部を創設すべきだということである。

 学歴信仰、家柄、血縁など既成概念に同調できない者はレアとして進む方向を与えるべきである。 既成の権威が良いとか、レアが良いとかではなく、希少性に価値を認めれば、適応できない個性の中に本人の価値を発見することが出来、どんな」人間にも価値が見い出せて、社会参加が出来るのである。

 被害者の三人は気の毒であり、加害者も気の毒であり、彼らは受験体制の被害者なのである。、

  コロナも初期のものからデルタ株、オミクロン株と変異して感染を広げているが、そこには人間に等しい知性と策略がみられる。人を殺すほどの強さがなくても感染力が強まるほうが、効果的なのである。これで、ふつうのインフルエンザの地位が得られれば目的は達成されたことになる。

 生命の発生からの変異、進化をひもとくと、いかにして生き延び、繁栄するかということにすごいエネルギーと知恵を使ってっているかがわかる。生命が単細胞で分裂し、増えていた頃、構造も単純であったし、難しい生き方はなかった。増えれば良いだけであり、増えたものはすべて同じ腹から出た兄弟であった。コロナは細胞を持たないので生物ではないと定義付けられている。もちろん、雌雄はなく、コピーで増えていくわけだから単純である。だが同一種なので、一つの攻撃方法を取られると、全滅するのである。そこで突然変異を起こし、雌雄に分裂した。多様な種ができ、一つの種が感染症にやられても違う種は生き延びた。そこで、雌雄の区別はだれの操作なのか?考えると、聖書の創世記・2章21に次にように記してある。ーそれから神は、人から取ったあばら骨を女に作り上げー。これは、聖書が2千年前に書かれたものであっても、当時の人でさえこれをこのまま信じる人はいない。寓話、というべきものであり、聖書にはたくさんの寓話が使われているので聖書が事実や史実にすべて基づいていると主張するのは間違いである。

 生命が受精して胎児である頃は、中性の状態で雌雄の区別はない。だがどこからが雌雄の胚珠が現れて、雌雄が決められるのである。ここでまた不思議なことは雌雄の割合がいつもほぼ同じであるということである。誰の操作かまだわかっていないが、わかったとすれば人は神の地位を得られるかもしれない。

 コロナは単細胞生物ではない。生物でもなく、生物と無生物の間に位置するものと定義づけられているが、変異によって種を増やすということは雌雄の交配によって多様な種を作るのと同じである。繁殖力に遜色がないので、そろそろ(生物)の地位に昇格させてるべきではないか?

 

死が怖くて自殺した男

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nakamura 2022-1-13 8:28

  NHKの集金をやっていた頃、宗像市が担当で、野添という地域を集金で回っていた。二ヶ月に一度、訪問するのであるが、その農家が印象に残っていた。庭には盆栽が並び、きちんとした佇まいであったが、顔を出す老婆にはいつも元気がなかった。

 彼女は時々、家のことをしゃべった。

 息子の嫁は博多の繁華街で働いていたが、嫁いで来ると、草むしりに不平を言い、夫と息子を残したまま出ていった、と言った。孫である息子は昼間から家の中にいて、いつも無力な顔をしていた。(孫はいつも夜勤の仕事をしよります)、言ったが、いいわけであった。職につかず、ニートであることが後にわかった。

 亭主のこともしゃべった。

 百姓仕事をしている真面目な男のようであったが、ある言葉が印象に残った。いつも死にたい、と言うのであった。おれはどうやって死ぬんやろうねえ、それがわからんけ、苦しいとたい、と。

 わたしはまだ若かったので他人事のように聞き流していた。

 半年後、亭主は納屋に駆け込んで首をつったのであった。

 わたしはこのことを忘れはしない。老いていくにつれてこの出来事が現実味をおび、自分に迫ってきたのであった。毎朝、目を覚ますと今日も生きるのか?と憂鬱なのである。仕方なく、両手を組み、あなたの力で今日も生きさせてください、と祈るのである。高校生の頃は、冬でも毎朝水を被り、そばの山を走り、われに苦難を与え給え!と祈ったのであった。

 よく考えると、人は死ぬことは怖いが、それより、どのようにして死ぬのかわからないことのほうが怖いのである。

 その日はいつ来るのか?この主人のようにわかりはしない。

他殺は自殺である

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日記
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nakamura 2022-1-10 18:26

  最近、kさんのことをときどき思い浮かべるのだが、電話するには戸惑ってしてしまう。ケンカ別れをしたわけではないが、気まずい部分が残ってしまった。

 それよりも彼が私に残してくれた言葉や思想が生き返ってくるのである。量子力学をはじめ現象学や哲学、幽体離脱の話など思い出すたびに多才で魅力的な男であったと思う。

 話しは飛ぶがこの一、二年,社会の事件の傾向はこれまでとはすごく異なっている。死刑になりたいから電車の中で火をつけたとか焼肉屋に爆発物を置いて閉じこもったりとか、ビルに放火して何十人も焼死させた事件など、起こったがいずれも死刑になりたいというのが動機である。自分は自殺が出来ないから殺してくれということであるし、目標を見失った現代とコロナに打ちのめされた人間の姿が見えてくるようだ。

 そこでkさんの言葉が現実味をおびてくる。

 他殺は自殺であり、自殺は他殺である。

 と、彼はよく言った。

 彼はプロの革命家として、学生運動をやった。その最中、追いかけられてビルから飛び降り、半死半生のめにあったとか某宗教団体の本部を襲撃して仏壇を叩き壊したとかそんな話をよくしたが、痩せて小柄で物静かな彼にそんな過去があったなんて想像もできなかった。

 「高校時代のことだけど、おれは高級官僚だった親父に反抗的でね。誰のおかげで飯が食えてるんだ!ってよく言われたから、誰のおかげで親父でいられるんだ?って言い返してやった」

 わたしが理解できなくて黙っていると、「おれがあんたを親父として認めているから親父なんだろう?って言ってやったら、親父は言い返せなくてまたおれを叩いた」

 kさんは現象学から学んだのであったが、よく考えてみると理解できた。もし、無人島で一人で生活していたとしたら自分が背が高いか低いかもわからず、自分が自分でなくなり、頭がおかしくなってしまうのではないか?他人という鏡があるから背が高いとか低いとかがわかり、また、自分の存在が認識できるのである。

 人を殺すということはその鏡を壊すことであり、すべて壊してしまえば自分お姿は見えなくなってしまう。それはまた、自分を殺すことでもある。

 (世界中の人間を一瞬のうちに殺すにはどうしたら良いと思う?)

 kさんはこんな質問もした。

 (それはねえ、ピストルを自分の頭に向けて打つことさ)

 彼は言った。

 最近の殺人事件を振り返ると、その警句の意味がわかってきた。

 

 

神が勃起させる・・・?

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nakamura 2022-1-9 20:02

  今日は午前中、近くの教会に日曜礼拝に行った。礼拝が終わると、親しくなった男信者とカラオケの体験談を茶会の席で交えた。帰宅して昼食を取り、タケノコ山に間伐に行った。そろそろ収穫期に入るので山の中を歩けるように小さな木を切ってきた。帰宅して夜食の食材を買ってきた。

 それから自室でエロビデオの鑑賞をしようとして、ビデオを手に取り、どのビデオで興奮するのか?考えていると、なぜ勃起するのか誰の指示なのか?と、考えがすすんでいった。前のブログで神が(創世記)で、すべての生物に産めよ、増えよ、といって食欲を出させている(これは書いていないのでここで書きます)と考えたので、その理屈から言えば勃起させるのは神なのである。ただし、神は淫行はするな、と言っている。中近東は古来から一夫多妻の世界であるが、妻と認めたもの以外の女と交われば淫行になるのである。だが、ひねって考えれば不倫相手は妻にしてしまえば不倫ではなくなるのであろうか。

 性欲が高まれば勃起するのは自然であり、当然であるが、人間であるからにはそうだとばかりは言えない。それに、好きな女だから、あるいは色っぽい女だから勃起するとも限らない、男にも女にも微妙な生理状態があるのである。女が目の前にいるときには何も感じないのに別れた後に興奮してくる場合もある。同情心から欲情が起こる場合もある。男の皆さん、自分の勃起を考えた時、その不思議さを感じたことはありませんか?よく考えれば性欲は食欲以上に複雑なのである。ここにドラマが生まれ小説や映画になるが、とんでもない惨劇に発展することもある。取り組めば取り組むほどむずかしく、謎めいた世界なのである。トラブルの起こりそうな相手であれば勃起させなければトラブルは怒らないはずであるが、そうはいかない。

 もしかすると、これは神の入れない世界であり、人間だけの秘境ではないだろうか?

 

貧しい者は幸いなり

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執筆 : 
nakamura 2022-1-9 8:43

  一昨日はいつもの精米所に行って、籾殻をとってきた。天井からぶら下がっている紐を引くと、籾殻がドサーと床に落ちてくる。それをショベルですくって、ビニール袋につめる。20袋ほど詰めるのに一時間はかかる。ホコリが舞い、作業服は籾殻だらけになる。

 冬の薄日が周りの羊田にさし、自分の頬にもあたってくれる。

 ・・75歳になろうとしているのにまだこんなことをしているのか?

 こころがつぶやく。

 詰め終わって、事務所に行って礼を述べると、ありがとうございました、またお願いしますと、職員は言ってくれる。籾殻は精米所にとってジャマなのでとってくれる方が助かるのである。

 そのまま、産直店に運んで肥料置き場に並べ、顔見知りのレジの女に新年の挨拶をし、しばらく顔をみらんかったねえ?というと、すれちがいになってたのよ、と笑顔を見せた。

 夕方のメールで、籾殻は三袋、900円で売れていた。 

 昨日は週に一度の弁当配りであった。

 社協の職員に新年の挨拶をし、運転手の運転で18件ほどなじみ客に配達し、新年の挨拶をした。老人たちはみなおだやかな顔で自分を迎え、深々とあたまを下げて感謝をしてくれた。車の中では仲良くなった運転手の男とおしゃべりをした。

 こんな調子の正月明けであったが、働くことは社会参加であり、人と交わることだと考えた。たっぷり年金をもらう身分であればこんな経験は出来ないが、貧しい暮らしが喜びを与えてくれたのである。

 貧しいものは幸いである。

 

 

この体は神の体

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執筆 : 
nakamura 2022-1-3 21:09

  今日と明日はアルバイトがないので気分が楽しい。仕事は姿を消すことによって開放感を与えてくれるのである。

 さてなにをしようか?と考えて、しばらく遠ざかっていた山歩きをすることにした。山は目の前にある金比羅山で、その麓を往復して二時間はかかる。誰とも出会わない暗い山道はイノシシの唸りが時々聞こえるくらいの寂しさで、考え事や心を休めるのには良いところである。ところが、十時半に出て、十二時に近づいているのに空腹感が出ない。一年間も酒を毎日のんだせいで胃炎と胃のもたれが起こって食欲を減退させているのである。減退くらいであれば良いが、食欲がなくなったらどうなるか?考えると怖くなった。

 午後一時半ころ、家について、食欲が少し湧いていてたべることにしたが残り物しかなかった。一週間前の雑煮でストーブの上に載せたままで、冷蔵庫には入れていなかった。寒いので腐ってはいないと思い、火を通して食べ始めたがどうも味がおかしい。苦いのである。おかしいと思いながら鍋の半分を食べ、残りは捨てた。はて、腹痛や下痢が起こるかと考えたが、ちがうことに考えが飛んだ。

 胃に入れて、これはおかしいから排泄させるのは誰の指示なのか?と考えたのであった。自分の判断ではなく、体が判断するが、どのようにして判断するのだろうか?と考えると、わかりはしないし、これは心臓や肺などが自分の意志では動いていないのと同様、摩訶不思議な現象だ。

 産めよ、ふやせよ、元気で生きろ、と創世記で述べている神の指示ではないか?と考えると納得できた。そうすると、この体そのものが自分ではなく、神のものではないか?と考えが進み、おれはおれだと思っていたが、神の子なのだから神の分身でもある・・、と考えた。

 神の種から出たのであるから、人類はみな兄弟でもある。

 さらに、いつも神がそばにいてくれて助けてくれる、とは熱心な信者から時々耳にするが、それは今、自分がたどったようなことをいっているのではないか?と結論づけた。

 今まで自分は一人で生きていると気張っていたが、神と一緒に生きていると考えると気持ちがすごく楽になったのである。

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