ブログ - 20211224のエントリ
昨夜は三時間くらしか眠れず、起きて、八時ころの電車に乗った。黒崎で運転免許の高齢者認知機能検査を受けるためであった。若い頃から物忘れと勘違いが多く、28歳で普通運転の免許をとったが、一年間も教習所に通い、こんなに長く通ってくれてあんたは銅像が立つばい!とまでからかわれた苦い過去があった。また、74歳になって認知機能検査を受けるなんて?と、試験恐怖が目を覚ましていた。一週間前に検査の問題集を買い、なんども解答の練習をしていたが本番になると、怖くなった。もし免許を取れなければアルバイトも野菜の産直出荷もできなくなり、国民年金・5万円では生きていけなくなるのである。それに生活保護をもらうなんて死ぬほどの屈辱だから耐えられない。
ビルの一室に三十人ほどの高齢者が集まり、試験が始まった。今年は2021年であるとわかっていながら忘れてしまい、2011年などと自分で答えてしまう。紙に2021年と買いて机の下に隠し、何度も目を向けた。試験時間は30分で、自分の生年月日や時計の絵を書いて短針長針で時間を指す内容でそれらは簡単であったが,手がかり再生、という問題が出た時、一気に緊張した。イラストでいろんな絵を十六枚出し、何が出たか?を書かせるのであるが、十個まで思い出すことが出来、これは行けると読んだ。問題集とはちがう絵が出ると考えていたが、まったく同じ絵であった。
採点を終えて通知表で結果を見ると、92点であった。
これで免許は取れると思い嬉しくなったが、次には教習所で高齢者講習があり、最後に視力の検査をして免許証の交付になる。まだ先はある。
ともかく第一の難関を突破した。
帰宅して正月の飾りものを山に取りに行ったりして動き回ったが、ハイテンションになっていた。生きる力が蘇っていた。教会でキャンドルをやると聞いていたが、自分のかんちがいなのかドアをノックしても誰も出てこなかった。
そこで考えた。自分は洗礼までうけながら神を拝むことをすっかり忘れているのである。なぜだろうか?他の信者たちはどのようにして神を自分の中に入れているのだろうか?
そうだ、神とは特別なものではなく、生命が生きようとする力ではないか?あらゆる生物にみなぎる生命の力ではないか?それは善も悪も関係がない。石川淳の小説・焼け跡のイエスの世界ではないか?戦後の焼け跡の中で汚い少年が盗みをしながらひっしにいきている。作者はそのエネルギーをイエスとみなしているのではないか?
誰が命令するのかわからないのに胃や肺や心臓は動き、ペニスも勃起する。それらすべての総エネルギーが神なのではないか?