ブログ - 20211212のエントリ
贖い、というタイトルで小説を書いたが、二度とも文学賞に落ちた。ただ、最後までブレずに書いているので、わたしはこの作品を推薦したい、という評価をもらい、書き直しを始めている。そこで、贖い、という言葉は日本人には馴染みの薄い言葉でもあるので、磁場、という題に変えた。その言葉は作品の中では第二のテーマにもなっているので書き換えることはそんなに難しくはないと考えていたが、もう一度取り組んでみると意外な発見があった。というより、自分が忘れかけていたテーマにまた出会ったというべきかもしれない。
不倫事件で、寝取られた男は暴力行為に走り精神病院に入り、出れなくなる。女は身ごもってしまい、不倫現場に放火し、子連れで心中する、という悲惨な作品であり、わたしも登場している。不倫の際、その現場は磁場のようになってしまい心や理性の入り込む余地がなかったということがテーマであり、「磁力と重力の発見」という本を図書館から借りてきてまた、読んでいる。
主題が深まり、生命は誰の指示で生きているのか?という壮大なテーマが現れ、こんなボンクラ男に取り組めるはずはないと考えるが、難しければ難しいほど取り組みがいがあることも確かである。小説であるから評論のようにそのまま表現するべきではない。そこが難しい。
磁石には霊魂がある、とタレスがいったように古代ギリシャにおいては、物質には霊魂がこもっていると考えられていたが、科学の発展とともにそんなことは打ち消され、今は精神と肉体・物質ははっきりしない状態である。ただ、脳内物質によって精神状態が変わることははっきりしているので、精神は物質の作用である、というけつろんにたっするはずである。
だが、それはだれが指示をしているのか?となると、もう一度、難題に出会ってしまう。心臓はなぜ動くか?を検索してみると、化学反応で動悸が現れる、とのっているが、なぜ化学反応がおこるか?はのっていない。信仰者であれば神仏をもちだすであろうが、コロナに負けた宗教界に救いは求められないと思う。
ただ、誰が動かしているのか?その指示者がはっきりすればそのものが神の地位を得ることになるであろう。それは自然が動かしているのではないか?と思う。水が蒸気になり、雲になって雨を降らす、種が土に落ちて芽を出すことなどに見られるように自然力が動かしているということではないか。また、地球が引力を持って地上のものものを支え、地球の回転力が生物に生命力をあたえているのではないか。そう考えると自然力こそ神であり、誰も打ち消すことは出来ないのである。