ブログ - 202111のエントリ
昨日、大手スーパーでの買い物かごの整理のバイトを三時間やり、今日は仕事はない。ほっとした気分になり、今日は野良仕事をすることもも街に出かけることもできる。三時間拘束されたおかげで自由のありがたさがわかる。三時間の労働のために体力の保存を考え、仕事に出るまで部屋の中でじっとしているのである。
仕事前、店では障害者の仲間とも出会い、会話も交えた。ヘルストロンの講習もやっているので、電気にもかかり、馴染みになったキャッチセールスの若い女ともしゃべった。仕事がひまになると、レジの女とも初めて、しゃべった。店内や駐車場のカートをあつめ、手で押して、運んだので、体が温もった。
面白いことに気づいた。正面出入口の壁に掲示板があって、お客様のご意見欄になっている。よく読むと、いろんなことが書いてリ、時々読むようになっている。
(レジの背の高い女が台の上に肩肘ついてうわさ話をしている。仕事中にそんなことをして良いのか!)
(まことに申し訳ありません。厳重に注意しました)
と店長の言葉。
彼女は背が高いのですぐにわかり、雲の上の景色はどうですか?といつか聞いてやろうと思っていたが、投書のことは知っている?とレジの女に聞くと、知っていると言い、よく考えると一週間も店で顔を見せていないことに気づいた。気まずくて来なくなったのか?と考えると気の毒になった。
(警備員が店内を回っているが商品を見てるばかりで万引を探してはいない。弁当が半額になると待ってたように買っている)
(申し訳ありません。仕事をきちんとするように申し伝えます。半額商品はとうぜん、お客様が優先です)
店長。
警備員はいつも三名いるが、昨日は一人しかいなかった。
(駐車場でカートをガラガラ引く音がうるさい。おれに嫌がらせをしてるのか?)
店長(舗装が悪くて荒い音が出て申し訳ありません。舗装をし直します)
(買い物かごの整理の男が客室ロビーの椅子に座ってサボっている)
店長(とんでもないことをしていますね。厳重注意します)
仕事をはじめたころ、先輩から、仕事は要領よくやらないかん。ひまになったら見つからんようにそこに座って休めばいい)と言われた。
指摘されたのは自分であったのだ。
犬も歩けば棒に当たる、とはよく言ったものだが、あたった棒を集めていけば小説になるのだ。
夢の中に、居た。
大都会のごみごみしているようで整然とした町並みであった。銀天街には商店が歩道をはさみ、きれいな飾り物が賑わい、晴れ晴れした通行人が行き来している。自分はなにか探しものをしながら、不安げに歩いていた。見知らぬ街で、景色も人の顔も定かではなく、活気に誘われながら、いつも落ち着かなかった。
尿意を催して夢の中から抜け出していた。、布団から起き上がり、トイレに行った。夜中に三度はトイレにいくようになっていて、その都度、夢は中断された。
布団の中に戻ると、ゆめのつづぃきが待っていた。
自分は街に遊びに来たのではなく、新幹線に通じる沿線の駅を探していた。新幹線の切符は持っているつもりであったが、財布の中には見当たらない。何時の出発であったのかもおぼえておらず、もしかすると出発に間に合わないかもしれない。
相棒の男がいるはずであったが、見当たらない。
駅らしき建物の跨線橋がすぐそばに見えた。駅に着けば、そこから先は東京駅まで電車が運んでくれる。
また、尿意を催し、布団から起き上がろうかどうしようかと考え始めた。
相棒の男はどこに消えたかわからない。あまり相手にできるる男ではなかったので同行させるべきではなかった。自分は生まれ故郷に一日かかって帰郷するのである。
思い切ってトイレに行き、小用を済ませた。
五十年まえ、東京で生活していた頃、新幹線の切符を持っていながら、出発時間に遅れて乗らなかったことがあった。また、夢の中に戻っていた、駅を見つけ、ホームに立っていたがなにか変であった。線路に乗用車が走り、人も歩いていた。こんな状態で電車は走れるのだろうか?
そんな事を考えながら目覚めると、窓の外は明るみ、朝が来ていた。
寝床の中からそばの山が見えるではないか・・・。生まれ故郷の山である。
自分は四十年前に、すでに生まれ故郷に帰っていたのであった。
夢は好きである。もう一つの世界であるが、またもとの現実に戻ってしまう。
四、五歳の頃の夢はちがっていた。当時は隣近所の友達の家にしょっちゅう遊びに行き、かくれんぼうやお医者さんごっこをしていた。友達の女児の尻にしがみついていた記憶がある。
ある夜、布団の中で眠っていていて思い出し、その子の家に行こうとした。すると体が起き上がり、そこに行っているのであった。女の子を押入れの中に見つけ、しっかりと抱きついていた。
いい気分で目覚めると、パンツがぐっしょり濡れていた。女の子の家に行き、抱いたことが体験として残っていた。
夢の中で生き、自分の意志で動くことが出来たら、それはもう一つの人生である。現実と夢と2つの人生を持つことが出来たらどんなにすばらしいか?と思う。だが、現実と夢は決して交われない平行宇宙だと言われているが、そのうち自分の意志で夢をあやつる日が来るかもしれない。その日はあの世に旅立つ日であろうが・・・、その日を待っているのである。
チップ農法に失敗し、枝チップ(木の枝を粉砕したもの)は玄関そばに積み上げられたままになっていた。業者が二トントラックいっぱいにして運んでくれたものなので、量が多く、門扉を塞いでいたが、処理する時間がなくて放置していた。二年間もその状態にしていたので枝チップは腐敗し、堆肥になりはじめていた。そこでその堆肥を玉ねぎを植えた畑に入れることにした。スコップですくってバケツに入れ、運び始めると意外なものが堆肥の中から現われた。カブトムシの幼虫であった。
初めて見る幼虫は奇怪な姿で、手の親指ほどにも大きく、体を曲げてじっとしていたが、小さな脚をもじもじとうごめかし、叩き起こされたことに怒っているようであった。ここ数年、この田舎町でカブトムシやクワガタムシなど見たこともなく住んでいることも知らなかったし、わたしの家に訪れていることも知らなかったのであった。廃材の中からカミキリムシやカブトムシの幼虫が出てくることは知っていたがまさか我が家から出るとは思いもしなかった。
夜、わたしが眠っている間に親虫たちは交尾して、卵を産み付けていったのだろう!
堆肥をほったのはまだ五十分の一くらいで、十匹も出てきたので数百匹がまだ眠っているに違いなかった。掘り出した幼虫は玉ねぎ畑の堆肥の中に埋め、目印に小さな竹棒を立てていった。さて、この幼虫をどうしようか?と考えた。小学校に持っていって子どもたちにプレゼントするのが一番いい。と思った。
来年、玉ねぎが実をつけて大きくなり、収穫する頃、カブトムシも蛹から孵化して、真夜中になるとそばの金比羅山に向かって飛び立って行くに違いない。果報は寝て待て、である。
(贖い)という小説をかきあげて、自費出版系の出版社に送ったところ、最後までブレずによく書き上げられている、との評をもらい、180万円で出版しませんか?という誘いがあった。自費出版をする気はないので、返事はしなかったが、評の中で、欲を言えば人物の造形が弱い、とあり、その言葉が強く印象に残り、書いた作品を思い起こすと、やはり弱い、と思った。
自分の思い込みで、主人公は鏡のようなもので登場人物や社会を公平に映し出さなければならない、との先入観を持っていたので、泥臭い性格の部分はきれいに洗って造形しようとして書いたのであった。そこが、人物の造形に弱いと指摘されたのだと理解した。
二人の個性的な男がわたしのそばにいる。一人は三十年間も精神病院の閉鎖病棟に入っており、もう一人は時々、わたしの畑に父親といっしょに耕しにくる。昨日は約束しながら来ず、電話もかけてこなかた。ぐうぜん、スーパーで会い、問うと、父親の具合が悪かったから来れなかったすみません、とわびた。電話でも何故入れないか?おれは待っていた、といったが、彼が約束を守らなかったことは以前にも二度はあった。
なぜこんなことを書くか?というと、閉鎖病棟の男と彼が非常に似ているからである。二人ともどんな仕事をやっても長続きせず、友達も女もいない、自力では生きてはいない、他人への批判や攻撃は鋭くするし、暴力も振るう、趣味もない、生きても意味のない男と言うべきだろうが、わたしは自分を振り返りながら、ちがう視点を持っている。こんな人物こそ小説の中に登場させて存在感をしめすべきではないか?ということである。
そんなことを考えながら、もう一度、(贖い)に取り組みたいと思う。小説の中には、閉鎖病棟の男のかつての女が登場し、その女と作者であるわたしとの絡みがあり、凄まじい?ラストに進むからである。このホームページに掲載することも考えている。
傑作小説の主人公や登場人物はその時代を現しているから、上記の二人の男だって今の時代を象徴しているのである。
書き始めた小説(醜い花は、いない)が、前進できず、迷っていた。もとより、才能などはなく、好きで書いてただけであるが、文学賞の一次予選にも落ちていたし、書く意欲も衰えてきているのがわかる。なぜなのか?と考えると、あることがわかった。それは、小説らしく書こうとする姿勢が原因だった。いろんな名作を読みながら、真似をしようとしていたのであった。
(レア仲間)というこのホームページにしてもそうであろう。ちっともレアじゃなと言われたこともあった。まだ自分という男の変態ぶりを書ききってはいないし、それはそこに(希少価値)が求められているからである。だから容易に踏み込めないのである。
そこで、梅崎春生の(贋の季節)という小説を思い出した。これまで相当な数の小説を読みながら、強く印象に残っている作品である。読み返してみると、さすが小説家だな!と感動するところを改めて発見した。戦争前のある曲芸団(サーカス一座)が舞台になっている。いろんな曲芸師をかかえて、旅から旅へと興行をして回るが、客の入りは悪く、倒産寸前である。そこには芸人として力持ちの男や猿や馬やオットセイなどがいるがどれとして冴えないものばかりであった。主人公の男が、老いた猿に洋服を着せてみては受けるのではないか?と提案する。老いた猿はなんの芸もできず、目の前のハエをつかもうとしたり頭をかいたりするばかりでムダメシを食っていた。洋服屋を呼んで、背広を団長が注文し、金貸しから借金をするがびっくりするような額であった。ところが、洋服屋が出来上がった背広を猿に着せると、猿は驚いて、逃走するという結末である。
人間なんて洋服を着た猿にしかすぎない、という作者の訴えがわかりすぎるほどわかる。これが作品なのである。(醜い花は、いない)は奇形顔の男が、その顔は生まれつきのものだと、からかわれ、友達が言ったその老婆を障害者の会から追放し、また、奇形顔の男はある女から救われる、という筋立てであるがこれを変えようと考えた。ハッピイエンドを狙ってはいけない。奇形顔の男は見世物小屋に引き取られ、いろんな出来事に会いながら、奇形とは何なのか?という結末に持っていくべきだと思い直した。