ブログ - 20211218のエントリ
以前、ある宗教団体の信者たちを本部に送迎するアルバイトをやっていた。本部の教会に着いて、講話を聞き、その内容が今でも記憶に残っている。
働くとは、傍(はた)の者を楽にさせることですよ、と男の講話者は言った。
今、自分はスーパーのカート整理のバイトを週に二日ほどやっている。昨日も寒い小雨の中、バイクで行った。仕事の日は農作業も散歩もせず、体力を温存することにしている。三時間の労働であるが、休憩無しで、店内や駐車場を行ったり来たりする。心臓のバイパス手術後に日に十錠の薬を飲んでいるせいが頭がふらつき倒れそうな不安をおぼえることがあり、大丈夫だろうか?といつも心配する。無事にやり終えると、出来た!という自信と翌日からの休みに心が踊ってくるのである。
一年間も働いていると、店内で働く人の姿や気持ちもわかってきた。レジの女、掃除のおばさん、警備員、店長などが自分の仕事を手伝ってくれるのである。昨日は暇だったが、レジの女が買い物かごを重ねてくれ、掃除のおばさんが駐車場のカートを後ろから押してくれたし、警備員も放置されているカートを拾ってくれた。おれの仕事だから、余計なことはしないでくれ、と最初は思っていたが、そうか、ここは共同体だな、みんなが助け合ってる、と考えるようになった。一ヶ月前から、電気治療器の拡張販売をやっている女の子も目についたカートを拾ってくれるのである。これまで経験した仕事は人の持ち分には手を出さないルールがあったが、それのゆるい世界があったのである。新しい発見であった。
精米所に行って、もみ殻を袋に詰めていると、後に取りに来た人が自分が詰めるのを手伝ってくれる。知らない人でもそのようにしてくれる。嬉しいことである。でも、こんな良い国民性を持っているのになぜ自殺者が世界一なんだろうか?これはもしかするとその助け合いの裏目ではないか?とも思う。また、一つ小説が書けそうな気がする。