ブログ - 20210627のエントリ
醜い花は、いないし、醜い動物も川も山も機械も、ない。だが、人間界には美男美女という言葉があるように、顔形に美がが存在し、一生、つきまとうのである。美しい顔、美しい体、美しい生活、美しい政治などすべての分野にかかわっている。
人間社会以外にはない、ということは普遍性をもたないのであろうか?
視点を変えて、美醜の基準がなくなったらどうなるか?である。美を基準にすることがなくなり、その基準から外れた人々に自由を与えるに違いない。今日はどんなメイクで服装で出かけようか?など考える必要がなくなるし、顔が醜い、といって劣等感を持つこともなくなる。
(醜い花は、いない)の小説を書いていて、強く思うのは、人間にとっていかに顔が重要か!いかに支配されているか!であった。さらにその基準から外れた人にとっていかに苦痛であるか!であった。今の時代はほとんどの男女が植毛眉毛で眉をきれいな山形にしているが、わたしはそんなことはせず、爺さん顔で生きていくつもりである。
これは怖い時代である、と思う。テレビの画面など見ていて、自然の眉毛がほとんどない。コロナの緊急事態宣言や小さな出来事にチャチャを入れる風潮を見ていて、異端を排除する傾向が強まっていると思う。こんな時こそ、レアが威力を発揮するのである。
こんな俺のどこが悪いか?である。