ブログ - 20210426のエントリ
大学の法学部政治学科に入学したのは、政治に興味があったからであった。その世界の人間臭さ、特に外交の分野における国際関係は人間社会における人付き合いと同じで興味をそそられ、そこから学ぶものを探していた。そんなわたしは人間関係が不得意で、通信簿にはいつも協調性に欠ける、と明記され、引きこもりの性格と短気の混じった変わり者であった。
70年代、80年代の大学闘争の影響をうけ、このホームページに書いているように原始共同体に夢を抱くようになり、政党を結成したいと考えていた。帰郷してからは海老津駅南開発反対運動に加わり、訴えや署名活動をしたが、町議会の評決で負け、政治と民意の実体を見せつけられた。
この前、ある県議員と出会い、ゆっくり話したいと考えながら、つい日々の生活に追われている。その県議員は県民とのパイプ役になるというスローガンを持っていて、それについて意見を聞きたかったのであった。(さも立派なスローガンのように聞こえるけど、はっきり言ってあなたは県民の小間使いのような仕事をするのか?こんな政策こんな政治というのはないのか?海老津駅南開発反対の時、あんたは町会議員だったけど、開発の賛成に回り、結果的に20億円の予算をどぶに投げるようなことをしたじゃないか?その反省はないのか?)と聞いてやりたい。たぶん、(これからあの道路の周辺には家が増え、結果が出て来ます)など言いわけすることは目に見えている。
ここで問題にしたいのは、票をとるための政治スローガンのなか?自分の信念なのか?ということであるが、政治家になるには票をとらねばならず、民主主義のシステムというのはその入り口からして、自分の信念とのずれが生じるようになっている。だから、ほとんどの政治家は信念から遠ざかり、国民の目先の生活、利益に追従してしまい、本来の国づくりから外れてしまうのことになるのである。国民が目先の利益より将来の夢にかけるようにならなければ堂々巡りになってしまう。環境問題にしてもそうである。目先の生活、利益しか考えなかったから自然を破壊していったのであり、それを元に戻そうとして温暖化防止につとめ、それは政治のやる仕事になるのである。