ブログ - 202204のエントリ
一粒の麦地に落ちて死なずば、ただ一つにてあらん、もし死なば多くの実を結ぶべし、
聖書のヨハネ伝・十二章二十四節に書いてある。
わたしは農業をやっているので、この言葉の意味するところがよくわかる。スイカやキュウリ、ナスなどを見ていると、母体が腐れ落ちて死ぬから種は外に出、芽を出すことができる。死ななければ母体の中に閉じ込められたまま自ら死滅するであろう。
無機物の石などは死なないから増える必要はなく、他方、有機物・生命体は全てこの聖句の原理にそって生きている。コロナだって死滅する運命にあるから必死に進化して、増えようとしているのである。
一つ前のグログに書いているように聖書は死滅を贖罪とみなし、神に対する罪滅ぼしととらえ、否定してはいない。他方、善悪の木の実を食べたがために死の運命を与えられたといって死を否定的にとらえてもいるが。
そんなとらえ方おいて、プーチンの出現は聖書的な意味を持つのではないか?わたしは彼の破滅を望み、(北のイグアナ)とでも呼びたい気持ちであるが、歴史的にもとらえてみたい。否定的とか肯定的とかではなく、生命界の一つの現象、法則あるいは原理として、また、一粒の麦の聖句にあるような箴言としてとらえてみたいのである。これまで自分が生きてきた人生の中に、奇妙な人間がいて、自分もその一つに当てはまるであろうが、常識や既成概念ではとらえきれない者たちがいて、彼らに光を当てるように。
毎日のニュースでウクライナ戦争を見るにつけ、憂鬱な気分になる。プーチンを殺してやりたい、という意見をよく耳にする。ロシアへの経済制裁によって世界は苦しくなり、自分の生活も困窮していっている。プーチンがウクライナを侵略しなければ、環境破壊というマイナスの要因はあったもののなんとか凌げそうな世界秩序であったのに。
昨日の日曜日は、教会の日曜礼拝だとおもいついて、教会に行った。生命の仕組みの不思議さは聖書の創世記に書かれれいる、と信じている。生物が繁栄し、生き延びるように神は言っているのである。
だが、違うことに思いついて、女牧師に問うた。(先生、数億年前、人類はまだ発生していない時、単細胞の時代がありましたよね?)(はい、知っています)(単細胞であれば争いもなく、細胞分裂で増えていたのに、神はなぜ男と女に別れさせたのですか?)問うと、彼女はまゆにシワを寄せた。(オスとメスに別れたために争いが起こったじゃないですか?)というと、彼女は顔を曇らせたままであった。
どんな組織に入ってもわたしは難しい男という印象を持たれてしまう。
帰宅して、自分の質問を考えた。キリスト教に入信する前であれば、それは競争原理を導入して強いものが生き残るようにしているんだ、と考えていたが、キリスト教はそうではなく、弱いものも含めて神はすべての生物に愛を注いでいる、という考えなのである。ところが、人間は神が禁じていた善悪の木の実を食べたがために、死という罰を与えられた。他方、、ゴルゴダの丘で処刑されたイエスは三日目に生き返り、復活はあり得ることを示唆している。聖書を思いかえすと、ソドムとゴモラ、ノアの箱舟におけるように、そして復讐するは我にあり、と神が言っているように、神は人間を滅ぼすこともあり得るのである。一粒の麦も死なずば、の言葉にあるように死滅することのも意味を見出している。
そして、神に忠実なものだけが生き残る・・、のではないか?
はっきり言えば、神は、死滅は生き残るための必要条件だと考えているのではないか?そうしなければ地球は生命が増えすぎて食料がなくなり、全滅するしかない。
だから、プーチンみたいな悪魔を出現させ、人間を殺させ続けているのではないか?
週に3日のアルバイトをこなし、産直店に籾殻を出し、あとは国民年金の金で生きている。昨日もJAのサイロに行って、籾殻を20袋とってきた。ホコリの舞う貯蔵庫ですくい取り、ビニール袋に詰めていく。情けないという気持ちとこれだけとれたという満足感が出る。一袋が300円で出しているので全部売れれば6千円になるのである。その前にはスーパーのコイン精米機に行って、ぬかを二袋、取ってきた。これで600円になる。
時々、脚のスジが痛むのでそのうち歩けなくなるのでは?という不安もある。
まわりの老人たちにも脚を引きづる者が増えており、スーパーに買い物に行くとほとんどがそんな不自由者であることがある。でも今は体が動いているので幸福だと感謝しなければならない。
知り合いに老婦人は脊柱菅狭窄症の手術をしたのは良いが、家の中で転んで背中の骨を折ってしまった。家で治療しながら買い物に出かけることもできず、食材の買い出しにさえ、タクシーを使っている。気の毒だと思う。
彼女は動くことができず、それに娘の不倫事件が加わって、ストレスがたまり続けている。不眠症になり、強い睡眠薬を飲み、狂ってしまいそうだと言って、時々、電話をかけてくるが良いアドバイスはできない。
今の世の中は、コロナによって集会などのふれあいが消え、人間同士の絆が失われていっている。人々の不安は増えるばかりである。それに加えてプーチンの軍事破壊行為が毎日ニュースに出、(人間は人間であることの自信を失ってしまった)。ロシア正教までがプーチンの味方をしているというのだから、救いようがない。
科学が発達し、スマフォで買い物も出会いも職探しも出来る世の中になったというのにプーチンの悪行は、愚行は、何なのか?人間はいつまでも人間であることのお粗末さをひきづっていかねばならないのか?いっそのこと、脳の整形もしてもらって、支配してもらったほうが良いのではないか?
そのうち、その時代が来るに違いない。
高齢者の免許更新を終え、ゴールドの新しい免許証を三日前にもらったときの感動は忘れない。三度も電車に乗って試験会場に通い、認知症のテスト、運転検査、講習、目の検査とそれぞれに不安をおぼえながら通過し、車検も10万円で取ったのに免許の更新ができなければ車もいらなくなるところであった。
写真撮影を終えて、新免許証に,つくづくと老いた自分の顔を見ながら、幸福感に包まれた。それほど老けてはいないが、目の下のたるみが大きくなり、頭髪がさらに薄くなり、眉毛はすっかりなくなっている。金ができたら眉毛を濃くしてみようか?髪も黒く染めてみようか?まわりの老人たちも女もみんなやっているではないか、恥ずかしいことではない。美容整形をやって顔が別人になった女は何人も目につく。だが、顔を検査された時、免許証の顔とまったくちがうではないか?と警察官にいわれたら、整形しました、という言いわけでとおるであろうか?
そこで、安部公房の傑作小説(他人の顔)を思い出した。事故で大やけどをおった主人公、その顔はミミズが這ったように悲惨な姿であった。そこで顔の整形に取り組み、なんとか成功した。そこで別れた妻に会うことにし、会ってみた。相手は自分であることに気づかなかったようであったが、後日、はっきり気づいていた、というストーリーである。
およそ50年前の作品で、評判になったのであるが、作者はノーベル賞はもらえなかった。わたしはとうぜんもらうべき作品であると考え、今でも時々、読み返して勉強させてもらっている。書き出しからフランス文学を思わせるしゃれた文章である。オルガンのペダルを踏むような足取りで階段を歩く、なんて並の小説家には書けないし、二人称によるモノローグ調の文章はとうてい日本人離れし、リアリズムもきちんとおさえられている。
今は骨をけずって顔を小さくできるので、別人に変身できののである。自由自在に顔が変えられ、そのうち体全体も自由に変えられるにちがいない。そして、人間性も変えられるにちがいない。
話は変わるが、一週間前、このホームページを閻こうとしたら、(削除されたのかもしれません。開けません)という表示が出て驚いた。プーチンのことを批判したのでサーバーにやれらたのかな?と考え、仕方ないな、なくなったらそれでも良い、とたかをくくっていたが。数時間後には復旧していて、安心した。
(レア仲間)はわたしの顔である。書き換えはしたくないし、消滅もさせたくない。自分が死ねば誰かにサーバー費用を払ってもらい、いつまでも存続させていたい。他人の顔より自分の顔、である。
今日のニュースは、ロシアが軍の進攻先をウクライナの首都から東部に変えた、それでアメリカはウクライナへの武器援助と情報の提供を強めるという報道であった。これまではプーチンは悪魔みたいなやつでロシアは暴力団に劣らない国だと思っていたが、ではアメリカはどんなことを意図し、どんな作戦をもっているのか?という疑問にぶち当たった。するとよく見えてきた。アメリカはロシアとの直接な対決は避けると言いながら、ヨーロッパや日本などの国を巻き込み、経済制裁でロシアを包囲しているのである。第二次大戦の時、日本やドイツに経済制裁をくわえたことと同じである。現在、アメリカはウクライナへの武器援助もしているのでアメリカの軍需産業は大儲けで、アメリカの株はコロナによる損失を取り返している。他方、日本は北海道をロシアから取られるのではないか?尖閣列島を中国からとられるのではないか?という恐怖を持ち、共産党も含め、軍備は必要だ、という考えに傾きはじめた。こうなると核保有に傾くのとも時間の問題である。
アメリカは軍事侵略は止めたと言いながら、ロシアがその代理をやってくれてている。自ら手を汚す必要がない。
ロシアの崩壊は目に見えているので、プーチンを暗殺する必要はない。アメリカに家族ともども亡命させ、ロシアの獄中にいる民主勢力を釈放させて、傀儡政権を樹立させれば良い。そこでロシアはアメリカの一部になってしまう。
中国も北朝鮮もアメリカには勝てないから、そのうちロシアと同じ轍を踏みそうである。アメリカ帝国主義の復活である。
こんな文章をロシアで書けば、逮捕されて、勾留されるであろうが、幸いにして日本はまだ人権・民主主義国家である。ロシアの侵略戦争を毎日ニュースで見るにつけ、ウクライナ市民への殺戮行為に唖然として恐怖に襲われる。自分みたいな貧乏爺さんがアルバイトをしながら細々と生きている生活など、幸福で天国にいられる気分になる。高層マンションや建物などがあれだけ破壊されて、あの跡はどうなるのか?きれいに解体して、建て替えるしかないであろうがその仕事は想像を絶するほどの大変さである。誰がするのか?破壊したロシアがすることになるであろうが、その前にロシアは崩壊するであろう。
プーチンだって、その事は考えているであろうが、それにしてもこんな男が出現したことに驚きと恐怖をおぼえる。聖書を学び読むようになって、聖書を通して考える癖がついた。いろんな読み方があるし、膨大な量なので死ぬまでに読破できるかどうかわからないが、自分なりの考えをしている。聖書には御使い(神の使者)やサタンがでてくる。善悪の木の実でイブをかどわかした蛇も、そして、サタンも神の御使いなのである。神が蛇に、イブが善悪の木の実を食べるように仕向け、イブがそれに従ったために神は死ぬ運命を与えたのである。
そのことから考えると、神がプーチンをかどわかしてウクライナ人民への破壊行為をさせ、人間を試しているのではないか?と考えた。なにをためしているか?というと、聖書にも書いてあるように、汝、殺すなかれ、淫行をするな、と告げているのにこれまで人間はその御言葉を破ってきたので、初心にかえり、御言葉に従え、といっているのではないか?従わなければ全滅させて違う種に地球の支配権を与えるぞ、と言っているのではないか?
自分は近視眼的思考になっているようだ。プーチンのウクライナ攻撃をテレビで毎日見せつけられ、コロナの報道が退いていくと、出番が変わってしまった錯覚をおぼえてしまう。コロナはプーチンの弟になってしまったわけではなく、日本では相変わらず毎日何十人もの人を殺し、入院させている。
両者は(悪)の権化に見えるがじつはそうではない。どちらも必死に生き、自分の役務をはたしているのであり、それはわたしたちと同じなのである。コロナは生存のために他の生命の中に入って、RNAをコピーし続け、結果的に生命の組織を破壊してしまっているし、プーチンは2年後の大統領選のために領土を拡張し、市民まで殺しながらその実績を作りたいだけなのである。彼は自分に都合のいい情報しか諜報部から与えれれていないと推測されていたとしても、ウクライナ攻撃の戦費に毎日十兆円もの金が使われ、そのうち国家が破産するという考えがわかないはずはない。
彼がスパイ組織の出身で、これまで何人もの敵を殺してきて、ヒットラーに劣らぬ殺人狂になってしまったとは考えたくない。が、この戦争の全体が見えなくなっているとすれば世界破滅の恐怖に襲われてしまう。
ここでわたしたちは(悪)とはなにか?にもう一度、着眼しなければならない。自分がなにをやっているのか状況の全体が見えないくせに、ひたすら破壊に励む、(この男)ではないか?それは彼だけではない。アメリカだって十年前までは核を隠しているといってフセインを殺し、さらにビンラディンを殺し、国を破壊したのではないか?
プーチンは我々の反面教師である。