ブログ - 20201018のエントリ
日本人はおよそ八十年前、太平洋戦争でアメリカに惨敗して以来、日本精神をすっかり失い、アメリカの被占領国になったままであるるが、こんな国は珍しい。当時の超国家主義・軍事体制が国民に天皇崇拝を強制し、死の美学や神道、武士道などを利用して洗脳し、神風特攻隊を生み、数百万人の国民を犠牲にしたので、日本人は日本精神を徹底的に否定し破壊したのである。
今では民主主義体制のもとで平和・非暴力を唱え、物質的な快楽に酔っているが今回のコロナ事変(革命)で大きく変わらざるをえなくなっている。どのように変わるか?と言えば、自然回帰だと思う。家庭菜園づくりがはじまり、若者は田舎の山を買い求めはじめたのである。
この流れは自然を神とあがめる神道の方向であろう。キリスト教は一神教であり、自然は神がつくり、人はその管理をして楽しく生きていきなさい、と説いているが、その排他性、人間中心主義が弊害をうんでいる。戦争を絶え間なく起こし、環境破壊をやったあげく、食糧危機におちいり、コロナを森から追い出して、人間に敵対させたその罪をどのように考えるのか?ローマ法王にたずねてみたい。
多神教で自然を神とする神道の時代がやって来るにちがいない。
今日の毎日新聞の人生欄で、高橋源一郎さんが答えていた。21歳で息子に自殺された母親に対し、息子の自殺はたいへんなことだったですね、という言葉から気を落とさないようにと励ましている。大学
名誉教授である彼は自殺を認めるような文章は絶対に書けないし、それは今の時代において著名人たちのとってもタブーなのである。
自称・作家のわたしは少し違う観点からとらえている。
そこで、深沢七郎の小説、(楢山節考)を思い出す。書き出しはすごい!の一言である。姥捨て山に自死をしにいく、おりん婆さんが、今日は楢山詣りに行ける日だと、楽し気につぶやくのである。どんな天才的作家でも書けないし、考えつかないが、これは深沢氏の感情が移入され、彼にしか書けない文である。それから先も読んでいて、悲惨さはまったくなく、すらすらと読めて、その後に深い感慨に陥る。
この世から消えるのではない。ちがう世界に旅立つ、と考えれば、そこにはたぶん、極楽浄土の考えも移入されているに違いないが、楽しい気分になれるであろう。そんなことを書けば危険思想としてすごいパッシングを受けるに違いない。
さて、この世はどのように動いていくか?十年後に、この世から卒業予定の自分は見極めたい。
卒業できずに留年することだってありえるが、それはそれで良いことである。
夢や妄想、酩酊、薬物乱用、臨死体験、信仰だってこの世からのタイムスリップであり、わたしたちは日常的に経験しているが、本格的に異次元世界に行くのである。どんな世界なのか、戻って来た者はいない・・。最初で最後の冒険が待っている。