ブログ - 20201001のエントリ
1970年代、東京・東中野にあった文学学校に十年間ほど通った。木造のボロ家であったが、そこがもっともすごしやすい団体であった。勤労学生が通って来て、自分たちの書いた小説を発表し、講師や生徒の批評を受けた。遠慮のない批評がでて、すごく勉強になった。須藤出穂さんが講師の時、あなたの作品は材料に負けている、と言われ、今でも頭に残っている。連続射殺魔の永山則夫が新日本文学賞を受けた時は、殺人犯に賞をやっていいのか?などの議論が出たが、彼の(木橋)を読んで何度も涙した。合評会が終わると、近くの居酒屋に行って酒を飲み、作家にでもなった気分になって和気あいあいであった。車椅子の障がい者がいて、彼が小用をたすとき、仲間がトイレに行って、ペニスを握ってっていた光景は忘れられない。
その学校は埼玉学校を残して、消えたようであるが、やはりあれが昭和の時代だと懐かしさで胸がいっぱいになる・・・。
話は変わるが、今の学校教育は民主主義体制が基本であり、封建時代や王朝時代などは良くなかった、と教え込んでいる。そうであろうか?元禄時代の日本画、葛飾北斎や北川歌麿などのスケールの大きさはその心の大きさなのであり、現代人の到底及ばない世界である。心に平安があるからそんな絵をかけるのであって、コロナ時代には想像もできない世界なのである。
違う時代をもう一度、検証し直さなければならない。
このホームページの趣旨は冒頭に書いているように、腹がへったらったらご飯食べに来ませんか?という簡単な言葉に集約される。が、およそ二十年間の活動を振り返ってみると、残念ながらその趣旨を達成できなかったことを認めざるを得ない。何をやってもダメだった東京生活をひきあげて帰郷し、いろんな団体に入った。労働組合、身体障がい者の会、日本共産党、俳句会、カラオケ会、年金者組合、キリスト教団体など渡り歩いたが、今に至るまで自分の考えにそったものには出会えなかった。
自分の考えとどこが食い違ったのか?ふりかえって考えてみると、どうやら、(共同体と個人主義)というテーマに落ち着きそうである。共同体のなれ合いと灰汁の強い個人主義は相いれないのである。
キリスト教団体では家族集会をやっていて、持ち回りで、家庭に招き、食事会を開いていて、それは、腹がへったらご飯食べに来ませんか?にもっとも近い形であった。が、貧乏人の私に多額の献金を強要したので脱退した。そこでみられたのは個人の生活より、組織の保全であり、どの団体でもそれが中心であるが、キリストはそんなことは認めておらず、貧しい者にはパンをあたえろ、と聖書にも書いている。
労働組合では、NHKとの団体交渉で管理職を攻撃していた。すると、組合の書記の若い男から、中村さん、そんな言い方はしないで部長のいうことを聞いて下さい、と大声で言われ、ショックを受けた。彼はそのことを反省することもなく、自分が退職してから、分会長になっており、上部団体の組合委員長の差し金であったことがいまではわかる。組合のいやらしさもじゅうぶんに知った。
・・・では受給額の格差が大きいので、生活困窮者を組織でたすけてはどうか?困りごと相談、不用品交換など日常生活に密着した活動をすべきではないか?入会を誘うより、会に入らせてくれ、と言われるような団体にすべきではないか?といったが、それは時期早々だと一蹴された。
どの会でも、期待外れの結果であった。
みな、私の考えとは相いれなかった。(行き場がなかったら、うちで居候でもしたら?)というようにはいかなかった。こんなわたしは、実は、利己主義で個人主義の強い男であり、誰からも相手にされず、はぐれ鳥になったのだろう。しかし、コロナ事変を契機にして利己主義・個人主義に疲れ、いやになっているのであるし、それは自分ばかりではなく他の人もそうではないか?と考える。ファシズムの北朝鮮が崩壊せず、ファシズムの中国共産党が世界一になりつるあるこの情勢はあきらかに、エーリッヒ・フロムの(自由からの逃走)であろう。
コロナ後の世界はコロナ汚染の国家対策に始まり、確実にファシズムの浸透を招きそうである。