ブログ - 202010のエントリ
この言葉は、十年ほど前は男たちの中で平気で使われていたのです。が、今、ここで書くのはそうとうな勇気を要することになります。真理を究明するためだと考えて、お許しを願いたい。抗議が出れば削除します。
男として、以前からこのタイトルの内容が理解出来ず、女性との関係を持っていました。今は、わかります。女性の体を触り始めた場合、合意のある場合は問題はないのですが、そこがはっきりしない場合に、いやよ、という言葉を女性はだします。そこで踏みとどまれば良いものを、男の性エネルギーはそこから先にすすみ、女性の側は、快感に負けて、いいわ、という言葉に変わる場合がよくあるのです。たぶん、このミスマッチが性暴力ととらえられるのでしょう。
いやよ、という場合、今はいやよ、ここではいやよ、という場合があり、一時的な言葉であり、それから先、二人は深く結ばれることがあります。男が若い場合、そこの判断が正確にできにくいのです。女性から、良いわ、という言葉が出れば、合意したではないか?と考え、後に問題になった場合、合意していた、ということになります。誤解と言われればそうですが、このケースが圧倒的に多いはずです。
老人になったわたしにはこんなケースは全くなくなりましたが、いやよ、という言葉が出れば、その場で、いや、その前から引っ込んでいます。人畜無害な男になりましたのでご安心ください。
杉田議員のこの言葉が、マスコミに不適切だということで取り上げられたことに自分は不信感を持っている。公的な場ではなく、SNSのブログの中でか書かれたことであり、いわば感想に近いものである。なぜ、問題視されるのだろうか?
女性が特別に嘘つきだとは思わないが、そのように感じ取るのは自由なはずではないか?その感想を述べるのは自由なはずではないか?この私のブログでも学術的に分析して正しいと言えるものばかりを書いているわけではなく、感想的なものが多いし、そこに真理が潜む場合があると信じているのでもある。
女性は特別にうそつきではないが、やはり男とは異なる部分はある。例えば、メールのやり取りをしていても、こちらが返事を求めているのに返信せずに放置することが多い。それは特別に大事な要件ではないが、こんな場合、気にかかり、不信感を持ってしまう。男の場合はかならず、返信する。
杉田議員のこのケースの場合、女性を助ける仕事をしているのに非難するようなことを書いたので問題視されたのかもしおれないが、それでも、彼女は言うべきことだと考えて書いたのであろうから、逆にわたしは良いことだと考える。
だが、昨日はこの件で抗議デモが起こり、13万人の、議員辞職要求が集まったという。
東証の機械の故障による取引停止が一段落ついたと思ったら、トランプ氏のコロナ感染が報道された。年末にかけて、時世はあわただしく動き始め、何が起こるか分からなくなった。アメリカの感染率は高く、中国はほぼコロナを制圧しているので、これでアメリカの権威は落ち、中国に経済・政治の分野で追い抜かれることは確実であろう。
その前に、日本の杉田議員の失言?が取りざたされ、与野党が公開の場での内容の説明(謝罪)を求めるまでになった。(女性はいくらでもうそをつけますから)と本人のブログに書いたことであるが、わたしはすごく怖くなったし、マスコミに対する不審をつのらせた。この発言は個人の特定はしていないし、公的な場での発言でもないから、なぜ、追及されなければならないか?わからない。一つのマスコミが取り上げ、話題になると思ったらどのマスコミも野次馬のように取り上げる(この文章でもわたしが知名人であれば取り上げられる可能性がある)のだ。
これはマスコミが自身の首を絞めることになる。それに気づいているだろうか?これで杉田議員が辞職に追い込まれることにでもなれば、言論の自由は死んだことになるのではないか?何も言えなくなるし、書けなくなるのである。
そして、中国の全体主義体制が忍び寄って来るのである。杉田議員のような方言・失言を狙い、記事に持って行く組織があるにちがいない。わたしのこのホームページのクリック数が近頃、三百から五百に増えているのその関連ではないか?と思う。
月明り窓辺たずねて夜もすがら
こんな句がでる世の中を望んでいる。
1970年代、東京・東中野にあった文学学校に十年間ほど通った。木造のボロ家であったが、そこがもっともすごしやすい団体であった。勤労学生が通って来て、自分たちの書いた小説を発表し、講師や生徒の批評を受けた。遠慮のない批評がでて、すごく勉強になった。須藤出穂さんが講師の時、あなたの作品は材料に負けている、と言われ、今でも頭に残っている。連続射殺魔の永山則夫が新日本文学賞を受けた時は、殺人犯に賞をやっていいのか?などの議論が出たが、彼の(木橋)を読んで何度も涙した。合評会が終わると、近くの居酒屋に行って酒を飲み、作家にでもなった気分になって和気あいあいであった。車椅子の障がい者がいて、彼が小用をたすとき、仲間がトイレに行って、ペニスを握ってっていた光景は忘れられない。
その学校は埼玉学校を残して、消えたようであるが、やはりあれが昭和の時代だと懐かしさで胸がいっぱいになる・・・。
話は変わるが、今の学校教育は民主主義体制が基本であり、封建時代や王朝時代などは良くなかった、と教え込んでいる。そうであろうか?元禄時代の日本画、葛飾北斎や北川歌麿などのスケールの大きさはその心の大きさなのであり、現代人の到底及ばない世界である。心に平安があるからそんな絵をかけるのであって、コロナ時代には想像もできない世界なのである。
違う時代をもう一度、検証し直さなければならない。
このホームページの趣旨は冒頭に書いているように、腹がへったらったらご飯食べに来ませんか?という簡単な言葉に集約される。が、およそ二十年間の活動を振り返ってみると、残念ながらその趣旨を達成できなかったことを認めざるを得ない。何をやってもダメだった東京生活をひきあげて帰郷し、いろんな団体に入った。労働組合、身体障がい者の会、日本共産党、俳句会、カラオケ会、年金者組合、キリスト教団体など渡り歩いたが、今に至るまで自分の考えにそったものには出会えなかった。
自分の考えとどこが食い違ったのか?ふりかえって考えてみると、どうやら、(共同体と個人主義)というテーマに落ち着きそうである。共同体のなれ合いと灰汁の強い個人主義は相いれないのである。
キリスト教団体では家族集会をやっていて、持ち回りで、家庭に招き、食事会を開いていて、それは、腹がへったらご飯食べに来ませんか?にもっとも近い形であった。が、貧乏人の私に多額の献金を強要したので脱退した。そこでみられたのは個人の生活より、組織の保全であり、どの団体でもそれが中心であるが、キリストはそんなことは認めておらず、貧しい者にはパンをあたえろ、と聖書にも書いている。
労働組合では、NHKとの団体交渉で管理職を攻撃していた。すると、組合の書記の若い男から、中村さん、そんな言い方はしないで部長のいうことを聞いて下さい、と大声で言われ、ショックを受けた。彼はそのことを反省することもなく、自分が退職してから、分会長になっており、上部団体の組合委員長の差し金であったことがいまではわかる。組合のいやらしさもじゅうぶんに知った。
・・・では受給額の格差が大きいので、生活困窮者を組織でたすけてはどうか?困りごと相談、不用品交換など日常生活に密着した活動をすべきではないか?入会を誘うより、会に入らせてくれ、と言われるような団体にすべきではないか?といったが、それは時期早々だと一蹴された。
どの会でも、期待外れの結果であった。
みな、私の考えとは相いれなかった。(行き場がなかったら、うちで居候でもしたら?)というようにはいかなかった。こんなわたしは、実は、利己主義で個人主義の強い男であり、誰からも相手にされず、はぐれ鳥になったのだろう。しかし、コロナ事変を契機にして利己主義・個人主義に疲れ、いやになっているのであるし、それは自分ばかりではなく他の人もそうではないか?と考える。ファシズムの北朝鮮が崩壊せず、ファシズムの中国共産党が世界一になりつるあるこの情勢はあきらかに、エーリッヒ・フロムの(自由からの逃走)であろう。
コロナ後の世界はコロナ汚染の国家対策に始まり、確実にファシズムの浸透を招きそうである。