ブログ - 20200605のエントリ

生命と物質。

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2020-6-5 6:41

  昨日は,近くの山に車ででかけ、赤土を取って持ち帰り、庭の畑に盛った。チップ農法で失敗し、発育不良になったトマト、ナス、ピーマンなどを植え変えた。汗をかいたが、一つの挑戦になる期待感がわいた。

 チップ農法の先輩であるIさんの畑をまねれば、成功すると考えていたのが失敗であった。自分の畑にチップを入れても、カビがでて発酵するが、腐り、元の土にもどってしまった。彼の畑はもともと山の土であるから違うと考えついたのである。山の土は枯葉が毎年落ちて、堆肥になり、発酵して、土壌菌が枯葉から糖分をもらい、代わりにチッソ、リン酸、カリを長年提供した土にちがいなかった。その原理を畑に応用し、成功すれば、!さんの畑のように枯葉の代わりにチップを載せておくだけで、野菜は一般肥料をまったくやらなくてもいつまでも生育するはずである。

 一般の土は、なぜ、山の土のようにチッソ、リン酸、カリを出さないのであろうか?

 と考えた。同じ土ではないか?と考えたが、成分が異なるのである。山の土は化学的にギブ・アンド・テイクの仕組みが出来て、役割を知っているのだ。それは、養分を出してやれば、成長し、枯葉となって自分たちに返り、自分達に糖分を与えてくれることを知っているからである。まさに、義理人情の考え方である。それは思考であり、意志でもある。他方、人間は野菜は全部食べるか捨ててしまうから、お返しは一般肥料でしかない。人間は消費、破壊するばかりでほんのわずかしか自然に貢献しようとはしない。身勝手なエゴイストである。務めをすっかり忘れている。そこでコロナが現れて、粛清をしようとした、と考えるのは無理なことであろうか?

 今、畑に盛った山の土から、元気な野菜が育てば自分の考えは正しかったことになるし、老いた百姓は山の土で育てれば元気な野菜ができることを知っている。また、物質は生命に似て、育てる方向性と破壊のそれを持ち合わせており、思考力がある。それは超人的なものの意志に動かされているのではないか?その中で、人間の欲望や意志などはすごく弱いものにしか過ぎないのである。

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