ブログ - 20190714のエントリ

デジタル社会の宗教。

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2019-7-14 9:27

  一年前までは、キリスト教の某教団に通っていた。そこが初めて聖書を学んだ教会であったので、教団の書いている解説書や信者の話すことをそのまま信じるしかなかった。そこでは、壇上から神父が解説書に書いてある質問をし、信者の幼児までが手を挙げて、解説書に書いてある通りの答えをした。

 どこか、ヤラセ、くさい気がしたが、聖書の奥深い真理を感じたが、教団のやりかたが、神にではなく彼らの方にひっぱろうとする傾向が見えた。信者たちは人生を奉げても神に尽くし、布教活動を毎日、行っていた。聖書に書いてあることはすべて事実であり、進化論は間違っている、生命の謎を解けはしないではないか?と繰り返し、挑んでいた。活動は徹底的にデジタル化され、全世界の教壇で同じ解説書を読み、スマフォには聖書の全文はおろか、スケジュールや講演内容、質問も出来るようになっている。講演内容も教団が事前に準備しているもであった。だが、信者に神についての質問をすると、聖書を開くが、書いてないことは答え切らず、神に聞いて下さい、と言う。だが、信者たちの顔は輝き、この世は天国だという笑顔を絶やさない。

 わたしは一年前から、伝統的な教団に通い始めた。

 聖書に書いてあることは事実ですか?と神父に問うと、それは観点が科学と異なるだけで実は同じことを言ってるのですよ。方程式で現すのか、言葉で表すかの違いです、聖書は物語的に現しているのです、と言い、わたしは眼から鱗が落ちたように、すっきりした。

 あいまいで対立する聖句もある、これがアナログなのであり、デジタル的にすすむことは、実はファシズムの傾向である。すべての宗教にデジタルが入れば、まちがいなく、(世界統一教会)が出来るであろうし、始めに書いた教団は、異なる宗派を間違った宗教、サタンと呼んで排斥しながら、まちがいなくその道を歩んでいると思う。

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