ブログ - 20190704のエントリ
ほとんどの事件は加害者側が、悪い、という視点に基づいている。確かに、その場合が多いように見受けられるが、果たしてそうであろうか?幼児虐待、セクハラ、パワハラ、暴力、殺人などは深く探っていくと加害者側の、意志を超えた衝動が浮かび上がってくる場合がある。加害者であっても社会や時代の傷を持った被害者であり、その被害の深さが加害の激しさに比例してる場合がある。そこをマスコミや裁判官は見ようとはしない。
意思を超えた衝動、魔の瞬間、というしかないものが人生には訪れ、誰もそれから逃れることは出来ない。私の人生を振り返っても思い出されることだけでも十件以上はある。かすり傷ですんだが致命傷になったかもしれず、刑務所に入るか死んでいたであろう。
加害者側も癒され、救われなければならない、これは宗教の役割になるかもしれないが、国や社会にはこの視点が必要である。人間はいつ加害者になるかわからない、不安定な不完全な存在なのである。