ブログ - 201907のエントリ
頼んでもいないのに、陽は出て、顔を、窓辺からこっそり覗き込み、
意思はないのに目が覚め、わたしは生きていることを知る。
そろそろ、そんなかくれんぼみたいなことは止めてくれないか?
ぼくの意志でいつも訴えているのだが、何故、意志は通じないのであろうか?日常生活では意志通りに動いているのにこんなことになると、意志はどこかに逃げてしまう。
腹がへったり、美味しかったり、するのは何故なのか?生きることを命じている超自然的なものがいるからだ。信者はそれは神というが、祈りで、命令を取り消すことは出来るのだろうか?
そんな宗教があれば入ってみたい。
こんな書き出しで、小説を書いてみたい。
これはある小さな任意団体での出来事であるが、日産自動車のゴーン旧会長にもみられるような大問題になる(芽)でもある。
会計を担当していた老人が88歳になって、続けることは負担が多すぎる、ということで私が変わらせられることになった。わたしはエクセルが少しは出来るので、会計簿の仕様を計算しやすいように変えた。年間の合計だって、オートサムで一秒もかからないのに、前任者は数百枚の領収書の合計を電卓ではじいていた。2019年度の四月分から交代するということで、私は今年度分からの会費を合計して出し、繰越金の現金と照合して、変わるつもりであった。
ところが、会費は前納で払ってる人がいて、前年度の収入に入っていたのであった。自分のはじいた金額とダブってしまっていた。私も前任者もおどろき、途方にくれた。結局、私は前任者にダブった人を出納帳から探し出してくれ、自分は、支払い済み、と入力するから、と言ったが、彼は大変なことだ、と言って応じなかった。出納帳の通りに入力していけば良いじゃないか?といったが、そこは、収入、支出の区分けがしてあり、上納金や行事費などの区分けがないが、オートサムで計算が出来ないと考えた。
彼に、ある催事の助成金を支部長は出す、と言っていたので、その話をすると、そんなことはこれまでしたことがない、と言った。わたしが主宰したものであったが、数千円の赤字であったのだ。ちがう話になって、総会の食事代の領収書はどこにある?と訊くと、いつまでもごそごそ探し始めた。私は、嫌になって、帰宅した。
その話を支部長に電話すると、今度の執行委員会で、議論をしようと言う。
6人の執行委員はたぶん、賛成・反対のはっきりした返事をしないであろう。それに、前任者は私生活の金と団体の金を一緒にしていたのであった。
ここで、組織の浄化作用が問われることになる。
会計を明朗化するには発足当時にまで遡らなければならない。国をはじめ、いろんな組織・団体が不祥事や不正を繰り返すのはそこにある。結局は革命を起こし、ご破算にしないと、解決しないという、それが真理である。
ほとんどの事件は加害者側が、悪い、という視点に基づいている。確かに、その場合が多いように見受けられるが、果たしてそうであろうか?幼児虐待、セクハラ、パワハラ、暴力、殺人などは深く探っていくと加害者側の、意志を超えた衝動が浮かび上がってくる場合がある。加害者であっても社会や時代の傷を持った被害者であり、その被害の深さが加害の激しさに比例してる場合がある。そこをマスコミや裁判官は見ようとはしない。
意思を超えた衝動、魔の瞬間、というしかないものが人生には訪れ、誰もそれから逃れることは出来ない。私の人生を振り返っても思い出されることだけでも十件以上はある。かすり傷ですんだが致命傷になったかもしれず、刑務所に入るか死んでいたであろう。
加害者側も癒され、救われなければならない、これは宗教の役割になるかもしれないが、国や社会にはこの視点が必要である。人間はいつ加害者になるかわからない、不安定な不完全な存在なのである。