ブログ - 20190627のエントリ
この文章は10年ほど前に書いていて、同じことは書きたくないが、やむにやまれぬ気持ちで書いている。この十年間、わたしは本を全く買っていない。貧乏であることもあるが、買いたい本がないので、図書館で借りている。趣味で小説を書いているので、作家たちがどんな文章を書き、どんな作品を書いているか?には、大いに興味があるが、・・賞受賞作品、ベストセラーの作品など、立ち読みしてもすべて失望させられ、本当にベストセラーなのか?・・賞受賞なのか?ノーベル賞候補の作家なのか?首を傾げてしまう。
出版業界には発行部数と実売り部数の二つがある。表に出るのは発行部数だけで、本は倉庫に眠ってる場合がある。それは確かに、・・書店で何冊売れたことは事実であろうが、一般の読者が読みたいから買ったのか?あるいは出版社の取引会社が割り当てられたのか?関係を有利にするために買ったのかはわからない。ある団体が内部告発をされてそれが広がるのを防ぐために買い占めたのか?それらは表面に出ない限りわからない。
それにもう一つ不思議なのは、本の値段の決め方である。文学書は芸術作品であるのに、活字で複製されているために、他の芸術品みたいに値段がとび離れてつけられることは無い。ほとんどはページ数や活字の数である。
ここに問題がある。編集者が作家に執筆を依頼する時には、およそ何ページくらいでこれくらいの大きさで出版したいと注文つける。作家はそれに従って、出来るだけ、多くの活字にしようとしし、値段を高くしようとするであろう。水で薄めたようなものが出来、作品という位置から離れていってしまう。買うに値しないものが出版されていき、多くの読者の失望を買うが、関連会社に割り当てられ発行部数は多いのである。
文学書以外でもそうである。テーマ以外の文章は出来るだけ、簡略した方がいいのに、すごく長ったらしくして、テーマに入る前に飽きてしまうものが多い。
本来の芸術作品の位置に戻って、良いものは値段高くし、それ以外は安くした方が書く側も良質の作品を書くはずである。1980年ころまでは良質の作品が多かったが、近頃は、悪貨が良貨を駆逐している、としか言えない。