ブログ - 20190609のエントリ
若い頃から記憶力も悪かったが、加齢とともにそれが進行している。この日記に打とうとしていた内容をすでに忘れ、思い出すのに苦労をした。この前は、置いていたはずのケイタイがなくなり、どこかに置き忘れたと考え、どうしよかと考え込んでしまった。でも、待てよ、家の中であれば固定電話からかけてみればわかると、考え直しかけてみた。
かけて見ると、どこかで着信音が鳴り始めた。行ってみると、浴室の中であった。電話がかかって来ると予想して置いていたのだが、かかって来ないので放置していたのであった。
でも、忘れるということは、無くなることと同じではないか?と考えた。認知症がひどくなると、妻や夫、子供の識別さへ、出来なくなり、自分が自分であることさえわからなくなるし、過去の出来事も消えていく。これは逆に良いことではないか?まわりが親愛する者ばかりで、過去が良い思い出ばかりであれば良いが、悪いことばかりが残っていれば、苦痛になってしまう。順序として、悪いものから、削除されていけばいいのであるが、どちらかと言えば悪いものの方が腐敗して残りやすい。
パソコンみたいに自分で選別して、消去できるようになれば、素晴らしいし、いづれ、開発されるのではないだろうか。自動消去装置として。
すると、痴ほう症みたいに幸福顔ばかりになるのではないか?