ブログ - 20190617のエントリ
昨日の日曜日、二週間ぶりに教会に行った。いろんな会の行事が続いて行けなかっのだが、みな、体でもこわしたんじゃないか?と思って心配してた、言ってくれた。(花の日訪問)で家に行って、手紙を投函したの、と女信者が言い、わたしはポストに無かったと、答えた。ある人物が持ち去った、とわたしは判断し、事情をうちあけた。たぶん、その人物はこのブログを読んでいるに違いない。
賛美歌を五度、歌い、聖書を読み、神父の話を聞き、信者達と談笑し、良い一日だった。(皆さん、何かありませんか?)と最後に神父が言った時、わたしは用意していた質問をしようかしまいか?と迷った。誰も質問せず、神父が切り上げようとした時、手を挙げた。
「唐突な質問だと思いますが」と言って、神父の顔色を見、「創世記には神が天地を作り、生命を作ったと書いてありますが、進化論はそうは書いていません。進化論にたいして、どう思われますか?」と言った。
中年の神父は平静な顔で、「宗教の見方の見方のちがいでしょう」とこたえ、わたしは自分の考えと同じであることを知った。その答えを予想していたのであった。
以前関わっていた宗派は、進化論はまちがっている、聖書の方が絶対、正しいと主張していた。考え方に柔軟性がなく、すごく硬直し、輸血問題、でマスコミを騒がせた。わたしは彼らの言ってることが正しい?と考えていたが、宗派によって聖書への見方が、こんなにも異なるのである。先ほどの神父は、聖書に書いてあることは事実ですか?と以前、訊くと、聖書は物語的に書いてあります、とこたえ、わたしは同感していた。
ようするに、宗教と科学は異なる宇宙の中にいるのである。視点が異なるのである。宗教は神や仏を持ち出し、科学はエネルギーや数式を持ち出すが、実は同じことを伝えようとているのではないか?
量子力学では多次元宇宙を述べている。人間は自分の感知できるものにしか存在を認めないが、感知できなくても存在しているものはたくさんある。電波や超音波など限りなくある。だから、神は、神の宇宙にいて、私たちは一般的な状態では感じられず、知れないのであろう。それは霊界とも言うが、人とは平行宇宙の状態なのであり、信仰によって近づき、交われるのではないか。
神はあなたたちを愛しておられる、とキリスト教は述べる。わたしは、始めの頃は理解出来なかった。自分なりに解釈し始めた。自然治癒力を持ち出してみよう。手が傷つき出血すれば、何もしないのに血小板が活動しはじめる。出血を止め、傷ついた部分は塞がれていく。創世記で、人に、生きよ増えよ、と書いてあるのは、神の力が働いて治癒をしている、あるいは体の物質の化学反応によって、治癒のベクトルがは働いているのであろうか?
興味の尽きない命題が私の前に現れている。