ブログ - 20190622のエントリ
ある任意団体の総会が今日、開かれた。2018年度活動経過報告、決算報告、2019年度活動方針、事業計画と一般の団体の総会の項目が順次が読み上げれられ、進められていった。
一般質問の時間になった。
わたしは、会員を増やすためには、勧誘して増やした者に、一人当たり、500円から1000円の礼金を出したらどうか?高齢化による買い物難民が増えているので送迎の出来る者にして貰って、謝礼金を出したらどうか?毎月、食事会を開いて会員の懇親をはかったらどうか?と会員席から提案した。
そこで、支部長から(あなたは副支部長なので提案や質問をすることはおかしい)といわれた。(それはおかしいんじゃないあですか?わたしは一会員でもあるんです!発言の権利はある)と反論した。一般会員の反応を見ると、黙って聞いているだけであった。
それから、懇親会に入り、ビールを飲み、盛り合わせを食べた。隣の席の男と話を始めると、(やはり、執行委員が提案や意見を言うのはおかしい。そんなことをすれば何のための執行委員なのかわからなくなって、構造そのものが崩れてしまうではないか)と言われ、わたしは実情を理解しながら、構造主義の実体を感じ取ってしまった。
やはりそうであった。(構造そのものが権力である)と構造主義は述べているが、集団の中の配役を決め、秩序を作るのである。立ってる場所をはっきりさせ、それが階層になり、壁で仕切る。お城が出来上がり、反抗を封じ込める。一般企業においても労働組合の幹部を管理職に登用し、経営側に立たせるのと同じである。
配役を変えることで組織を自由自在に操ることが出来る。
社会においても貧乏人の子は一生、貧乏人であるし、金持ちは一生金持ちである。世襲制が階級制度を支配している。だれがその構造をつくるのであろうか?聖書の創世記の禁断の木の実においても神、アダムとイブ、蛇と配役は固定され、神が蛇になることも、アダムが神になることもない。そんなことになれば、先ほどの言葉にあるように構造が壊れ、劇はなりたたなくなってしまう。
配役づくりは神の意向かもしれない。植物を作り、動物を造られた方であるのであるから。
私の意見はやはり、構造を壊してしまうが、壊さなければ改善も改革を起こらず、同じことを繰り返す、堂々巡りの集団におちいってしまうしかないと、思う。この配役の仕組みが様々な弊害を生むことになる。