ブログ - 20181229のエントリ
先日、近所に住む友人と立ち話をした。彼とは五年近くの付き合いであるが、互いに変人で、自然を愛し、無職の老男であることが共通している。彼は私の政治や、社会、自然に対する考えをかなり取り入れていて、自分が答えようとすることを先回りして、言うようになっている。
高校生が煙草を吸っていたので、注意したら、相手の二人が自分を睨みつけてきて、殴り合いになりそうになった。けっきょく、相手は謝ってきて、その場は収まったが、俺は悪かったかな?と私の意見を求めて来た。彼は日頃はおとなしいが、ちょっとしたことで、カっとなるタイプである。
わたしは気を落ちつけながら、出来るだけ遠回しに話し始めた。以前であれば、煙草くらい吸ってももいいやないか!煙草でも女でもバクチでも一通り、経験しろ。と俺なら、彼らに言う、と答えたであろうが、今は控えめになっている。
そこで考えたのは、今の時代の風潮である。暴力はいけない、煙草はいけない、セクハラはいけない、など禁止事項だらけでエネルギーの発散の機会がすごく失われていっている。裏があるから表があるのであって、裏側を消したら表側もなくなる。
禁止事項が増えすぎると、青年の反抗期さえ、否定される。青年が大人になれない、と言う事になる。老人や大人も含めて発達障碍者が増えているのはその証拠である。反抗期は大事なもので、それを通過しなければ大人にはなれない。わたしは今でも反抗期の盛りであるが、若い頃は刑務所にさえ入らなかったが、精神的な面ではすごく危険な状態であった。それだけ悩み、失敗を繰り返した。そこで、自分の心の内を観察し、本を読んだ。得たものは、反抗期を経験しなかった者以上に多い。
反抗期とは、青年が社会に出る前にぶつかる壁である。学校教育や家庭で教えられることと現実の食い違いに気づき始める時期なのである。大人や社会は、あらゆる面できれいごとを言い、嘘を付いている、詐欺士だ、と直感的に見抜き、そこで、理想を求めるのである。
壁にぶつかりながら、この壁の厚さには勝てない、と諦め、妥協しながら生きていくしかない、それを悟る時期なのである。