ブログ - 201712のエントリ

神は生命力の中にいる。

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日記
執筆 : 
nakamura 2017-12-30 5:48

 今週の木曜日に、エホバの証人の布教者と話をした。彼はわたしに(聖書は実際に何を教えていますか?)という小冊子の中味を音読させ、ページの下に書いてある質問に従って尋ねた。

 「宗教の教師たちがどんなことを唱えたので、多くの人たちは、神は冷たい方だと思うようになりましたか?」

 「悲惨なことが起こると、それは神のご意志だ、(彼らが)言うからです」

 わたしは自分の手に持っていた小冊子のページの中から答えた。

 「そうです。よくおわかりになっていますね」

 彼は満足気に応えた。

 この講習は王国会館の集会においても同じ手法である。

 日本共産党の支部会議、その学習会でも、綱領や中央委員会の報告内容を音読させ、質疑をする。わたしはそこに上意下達の構造を知り、奇妙さを感じる。この町のカラオケ会、障害者の会、年金の会などにも通っているから同じ構造を知った。本来であれば自分の日常生活への疑問や悩みなどが基本でそのことから出発すべきであるが、運営者はいつも御かみの意向を窺うような姿勢(上からの目線)である。

 「神とは地上のエネルギーを総まとめにしたものではないでしょうか?エネルギー=質量×重力、ですよね?」

 わたしは布教者に尋ねた。

 「そうです。その方程式は知っています」

 「地球上で一番重い物は何でしょうか?」

 「・・・・」

 彼は考えた。

 「それは地球なのです。つまり地上で一番強いエネルギーは地球そのもの、つまり自然なのです。あなたたちは人は神の子だと言うけど、人は自然の子でもあるのです。自然も人もそのエネルギーつまり生命力をもらっている。それは守ってくれているとも言えるが、自然が人間の面倒をすべてみてくれるというのではない。人は塵から産まれたとエホバ神が言った。神は塵の一つ一つの面倒を見ているのではなく、全体を見ていて、様々な動植物を作って、生きよ、育っていけ、と言っているのではないですか?」

 「おお、素晴らしい話です。ぜひ、入信して私たちの力になってください」

 別れ際に彼は言い、彼の妻とともに私に(ありがとうございました)と言った。

 女が好き、酒が好き、バクチが好き、な私が入信することも許されることもないであろうが、わたしにとって彼らとの対話は自分の考えを試せることもあって非常にワクワク感の出るものである。出会った布教者が理系に強い者であったこともわたしに知的な収穫を与えてくれている。

 今年はチップ農法を知り、(年金の会)に入り、エホバの証人とも知り合い、親しい友達が出来て、良い年であった。来年はそれが実を結んでいくにちがいない。無農薬百パーセントの野菜を作り、いろんな会の仲間に売り、チップ農法を普及させていき、日本共産党の官僚主義やエホバの証人の教義に改革を与えるかもしれない。

 今年もこのHPを読んでいただきありがとうございました。来年は読者とのやり取りが出来るように考えたいと思います。

永山則夫さんの死刑を弔う。

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日記
執筆 : 
nakamura 2017-12-25 20:22

 わたしと同世代の人は連続射殺魔として彼の名前を憶えているであろう。四人もの警備員をピストルで撃ち殺し、逮捕され、死刑囚として刑務所で生きていたが、20十年前、死刑が執行されたのであった。今日がその日から二十年目であることから鎌田というルポライターが今日の朝刊に、「根は今も」という題で彼の事や今の時代を書いている。わたしは懐かしさと同時に自分の時代が終わったことを感じた。

 永山さんは当時、青森から集団就職で上京し、底辺の労働をしていたが、19歳で無縁の人を殺した。事件は大きく報道されたが、彼は独房の中で多くの本を読み、貧乏が自分を殺人に走らせたと考え、評論(無知の涙)や小説(木橋)を書き、(木橋)は新日本文学賞をとった。わたしは大学卒業後、臨時工の仕事をしていて、東京・東中野にあった新日本文学学校に通っていて、(木橋)の合評会に出ていた。(殺人者が文学賞をもらう資格はない)と生徒からの意見があった。わたしがその作品を読んだ時、何と拙い文章であろうと反発を覚えていたが、読み進むうちに作者が独房の中で故郷を思い、母親と駅員の不倫の現場など思い出して描く熱意に心を打たれた。子供の描く絵と同じく、拙ければ拙いほど作品は生き、輝きを放っており、わたしは殺人者であるから書く資格はない、とは言い切れないと考えた。

 彼が賃金奴隷であったのであれば、私は受験奴隷であった。どちらも青春を時代に売り渡し、幸せではなかった。ある時、私がビルの建設現場でコンクリート破片や木の屑を集める仕事をしていた時であった。仕事を終え、飯場で夕食を済ませて、ある部屋の前を通りかかって、驚いた。大広間に四十人近い子供がきちんと並んで寝ていたのであった。何事かわからず、関心も消えて通り過ぎたが後になってわかった。集団就職で上京し、建設現場で働いていた中卒者たちが早めに寝に就いていたのであった。遊び盛りの彼らが3K(きつい、汚い、危険)の仕事をしていたことに思いついて、わたしは胸を打たれていた。

 永山則夫さんはその子供たちの中の一人であったのだ。(無知の涙)の中で、貧乏が自分を殺人に走らせた、と書いていたがわたしは理解出来ず、言い訳だと考えていたが(木橋)を読んでの感動は忘れられなかった。

 ルポタイターの鎌田さんは大学卒業後、トヨタ自動車に季節工として入り、自動車組み立て労働をしながら、(自動車絶望工場)を書いた。わたしは日産自動車に季節工として入り、自動車組み立て労働をしながら世に出ない小説を書いていた。

 

 

スマホは聖書になった。

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日記
執筆 : 
nakamura 2017-12-23 22:55

 昨日はSさんから電話が入り、13時にいつもの衣料品店の駐車場で待ち合わせ、車の中で論議をすることになった。論議、と言っても彼にとってはエホバの証人の布教活動なのであり、私にとっては、宗教及びエホバの証人の研究である。わたしは(人間や神の行うことは間違いが多く、AIが神になりますよ)と訴えるつもりであった。

 Sさん夫婦は約束の時間に駐車場にやって来た。わたしは後部席に乗りこみ、Sさんと隣り合わせに座った。彼は聖書の内容の全体を知るためにはこの本が良いのです、と言って(聖書は実際に何を教えていますか)と言う本を私に開かせ、第一章から朗読することを求め、わたしは読んでいった。日曜礼拝と同じように、下段に質問と答えが用意されていて、答えは読んだ文章の中に書いてあるのだった。彼は質問し、わたしは答えたが、(神に関する真理とは何ですか)などの質問に対しても(求めつづけなさい。そうすれば与えられます)と言ったようなありきたりの答えしか書いていない。

 わたしは言った。

 「モルモン教は一夫多妻を行うが、あなたたちの宗派はそれを淫行と言って否定している。同じキリスト教で使っている聖書も同じなのに何故そんな食い違いが起きるのか?」

 「モルモン教徒は聖書を読んでいないからですよ」

 「物理化学の法則や方程式にはそんな間違いは絶対に起こらないから、わたしはそちらの方が真理だと思います」

 私の言葉に彼らの反論はなかった。

 「聖書に法則や方程式は無くても金言やしんごんじみたものがあればそれは真理でしょう」

 私は言い、(求めつづけなさい。そうすれば与えられます)と言う言葉は(求めよさらば与えられん)と言う言葉で記憶していたことを思い出した。

 電車の中でも、待合室でも歩きながらでもスマホを見ている者が多数を占めるようになっている。(金欠病で苦しんでいますがどうすれば良いでしょうか?)と打ち込めば、(働いてみますか?どんな仕事が希望ですか?)と返事が返り、仕事を探してくれるだろうし、(一人ぽっちで寂しい)と打ち込めば出会い系サイトを紹介してくれるであろう。

 エホバの証人たちがいつも聖書を持ち歩き、不安や疑問があったら開いて相談や助けを求めるように今はスマホが聖書になってきている。

 「やがて、AIが神にとって代わりますよ」

 私が言うと、「AIもけっきょくは人の造ったものです」

 Aさんは応えた。

 「パソコンやスマホは正確に打ち込めばほとんど間違いなく答えてくれる。知性が純粋培養されたものですよ。だから人間を超えていきます」

 わたしは言って、それが神になっていく、と信じた。

 

愛さえなければ。

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2017-12-8 13:31

 この言葉は三島由紀夫の小説(愛の渇き)に出てる言葉であるが、わたしは若い頃に読み、今でも心に強く残っている。

 昨日、近所のA君宅を訪れた。彼はその前に私の家を訪れたが、わたしが不在だったので家に戻ったと言う。彼は週に一度はわたしを訪れて、愚痴をこぼす。この町の人間はすっかり表情を失ってる、若い頃はみんな元気があったのにとか、老いた母の足腰が立たなくなって心配だ、下の世話が大変だとか話し、私も身障会やカラオケ会、年金の会、パソコン教室に行った時の出来事を話す。二人とも孤独で、金がない、世の中を批判的に見ていることが共通している。

 彼の貧しい家に上がると、コーヒーを入れ、石油ストーブで焼いた芋を出してくれた。母親は84歳で、奥の間に寝ていて、(お母さん!起きなさい!ご飯、食べてないやろがね)と彼は声をかけ、古いアルバムを開いてわたしに見せてくれた。モノクロ写真がほとんどであったが、酒屋をしていた母親の実家の叔父や叔母たちが純な笑顔でわたしを見返していた。わたしはその時代を知っていたので、彼の今の人は表情がない、という言葉に同感し、写真で以前の日本人を感じるたびに私は強く胸を突かれた。彼の父がカメラを持っていたせいであろう、彼の幼少時の写真はわたしのそれの十倍くらいはあった。

 彼が毎週みたいに撮った母親の写真がアルバムに入っていて、わたしはその愛情の深さに驚いた。自分の恋人にでもそこまでする男は少ないであろうが、彼は女には関心がなく六十歳過ぎても独身である。母親が恋人以上の女なのであろう。

 わたしは自分の母親が寝たきりになった時、別の家に住んでいたこともあって週に一度も訪れなかった。

 母は孤独死してしまった。母はどこか遠ざけたい人であったが、死に目に会えなかったことが悔やまれた。

 A君にとって母親が起き上がれないことがよほどショックだったのだろう、時々、涙ぐんだ。昔の家庭の出来事を話し、何度もに母に声をかけて起きるように呼び掛けた。

 (中村さんが来とるんよ!あ母さんは中村さんのお母さんと町営の風呂によう行ったやない!)

 彼は立ち上がり、母親のベットのそばに行った。

 わたしもついて行った。

 母親はベットの中にうつ伏せに寝ていて、起き上がろうとしていたが起き上がれないのであった。

 わたしは白髪のない黒い後頭部を見た。

 そこで軽いショックを受けたが理由はわからなかった。

 一日たって、わかった。

 私の母が孤独死し、医者が検死をしてる時、わたしは母のベットに行った。体が五倍くらいに膨れ上がり、顔も別人に見えた。わたしは立ちすくんだまま、後頭部の髪の生え際のうねりを見て、母であることを確認したのであった。

 その生え際がA君の母親のそれと重なってよみがえったのだ。

 愛さえなければ苦しまずにすむが、愛があれば苦しみも減るのである。

 A君の母親のことが心配になり、(俺に出来る事があったらしてあげる)と言うと、彼は私の手を握って、また涙ぐんだ。彼の身内も死に絶え、遠方に散っていて、頼る者がいないのである。趣味も山歩きと酒を飲むことくらいしかない。

 母親の事より、A君の取り乱した精神状態が心配なのである。

 家に入れて、一緒にご飯を食べたりしゃべったりすることになるだろうが・・。

 

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