ブログ - 20181220のエントリ
ある三十歳の女と知り合ったが、異性としてではない。
僕の書いた小説を読んで、涙が出た、脚本を読んでるように面白い、と言ってくれ、その言葉に心が動かされたのだ。これまでは、三回読んでも何を書いてるのかわからない、小説の書き方という本でも読んで一から出直した方がいいんじゃない、などの酷評ばかりで自信を失っていたのに、その好評だから、心を動かされずにはいられない。その上、彼女は欧米人風の美人でもある。
どんなきっかけで知り合ったか?
それは彼女のプライバシーがあるので書けない。
ラインでやり取りしているが、彼女の顔写真には女友達の顔と二つ並んでいる。これも不思議である。どんな関係なのだろうか?
彼女とは彼女の仕事上で、二年間、毎週、顔を合わせた。食事をしたい、と誘ったこともあるが、曖昧な笑いで避けられた。同時に、わたしは彼女と顔を合わせたくないという矛盾した感情がある。七十一歳の私から見れば、娘に等しい幼さだが、時々、女として、想い、考えてしまう。そんな自分が嫌なのでもある。
単為生殖、というのがある。ゾウガメに見られるように、無精卵が子供を作り、産むのである。さらに、ゾウガメは温度の変化によってメスにもオスにもなるという。女性がオナニーで、想像する相手によって、相手との子供が出来る、ことだって空想小説で考えられる。想像妊娠と言うのが現実にあるのだから、空想に過ぎないとは言えない。
現代の、性の境界を失いかけた時代において、単為生殖の事実は貴重なものである。
独り者の男や女に自分の子供が産まれるなんて、素晴らしいことではないか。
本当の(性の開放)の時代、その幕開けではないだろうか?天動説から地動説に変わったように。
変わり者の自分が異端者ではないことに、なるかもしれない。