ブログ - 20180425のエントリ

己の死にぎわを見届ける日。

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2018-4-25 20:55

  午前9時から午後4時まで身体障害者の会で、カラオケ練習をした。なれ合った老男、老女が5人集まり、菓子を食べたり、お茶を飲んだり、世間話をしたり、ふざけ合ったり、カラオケを歌ったりして過ごしたが、退屈してしまった。もっと真剣みのある組織にしたいと考えているが、古株の役員たちは聞く耳を持たない。

 帰宅すると体は待ち構えていたように、山歩きに、出た。曇り空の下で小雨が時折、降ってきたが、後戻りする気にはならなかった。50分ほど歩いたところで、ペット・ボトルのお茶を忘れたことに気づいた。必ずショルダー・バックの中に持参しているのだが、カラオケ練習ではお茶が用意されているので、要らないと考え、バックに入れてなかったのだ。

 帰宅しようか?と迷ったが、出かけた船は戻ることを知らない。足は石ころだらけの山道をズンズン進んでいくが、それに比例するように不安が頭をもたげてきた。水分不足で脱水症状を起こし、トイレでそのまま倒れ、入院したことがあった。血液が濃くなり、脳梗塞、心筋梗塞を起こしやすくなる。5年前に心筋梗塞を起こして、バイパス手術をしているからその危険性は十分に知っている。

 池に着いた。

 そこから戻り道になるのである。小川の山水を飲もうか?と考えたが、生水はばい菌や寄生虫がいるのでまた、危険性が高まる。額からは汗が出、体の水分は歩くほどに奪われていく。あと、一時間、体は脱水症状を起こさずに、耐えられるであろうか?薬を毎日、十錠も飲んでいるので、頭がフラフラしかけていた。これは脱水症状の初期ではないか?山道では誰とも出会わないから、倒れることは死を意味する。ケイタイも持ってきていない。

 ミカンの木のあるところまで行けば、ミカンを食べて、水分の補給ができるが、あと三十分はかかる。六年前に狭心症の発作を起こしてうずくまった時には傍のミカンの木に手を伸ばして食べ、助かった。頭をしっかりさせて気持ちを強くするしかないが、倒れたらどうしよう?どうも出来はしないではないか。

これまでの生き方の通りをするしかない。

 などと考えて、ミカンの木に着き、酸っぱい実を食べて、難を逃れた。

 帰宅してお茶を飲み、元気が戻った。これまでの人生を振り返り、考えた。

 そうだった。自分の周りの人間、社会、すべてのものが観察と研究の対象ではなかったか?己の死に際さえも。それがあったから生きてこれたのであった。

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