ブログ - 201803のエントリ
(王国会館)に行くと、私は(エホバの証人)の研修生ということになっているし、自分でもそう思う。最初、布教者である神父が私の家を訪ねて来た時、(宗教的な考えには興味があるが、宗教団体には興味がない)と答え、今でもその方針には変わりはないが、(エホバの証人)の世界が少しずつ見え始めたようだ。世界の三大オカルトとして、統一教会、モルモン教、エホバの証人が名を連ねているが、それは多数派の排他性に基づいている。高価な丸い帽子を被り、高価な衣装をまとった宗派、あるいは高価な袈裟をまとった多数派仏教にこそわたしはうさん臭さを感じる。特に日本の(葬式坊主)とはきっぱり縁を切ってさっぱりしている。
今、自分の人生の集大成として、(現代の聖書)の執筆に取り組んでいて、聖書や宗教一般について新しい発見をし始めている。聖書の続きが中世以降書かれなくなったのは、科学の発達に宗教がついていけなくなったからだろうが、創世記があの時代に天地や生物の誕生を書いたと言う事はまさに(神の霊感)によると思う。天才でも書けはしない。
(現代の聖書)は現代科学に根本を求めながら、古代宗教的な考えとの融合を探し、量子力学の哲学に学ぶところが多い。神父に(サタンは神の分身ではないか?)と問うた時、シュレディンガーの猫にみる(死んでもいるし生きてもいる)と言う二項対立、いや二項融合に触発されたからである。(神でもあるし、サタンでもある)と言う論理を適用すれば、神が(ソドムとゴモラ)を滅ばしたり、洪水を起こして(ノアの箱舟)を造ったり、(ハルマゲドン)によって人類を一掃するというサタン的な姿勢が理解出来る。滅ぼすことで、再生を計っているのだろう。
王国会館に行くと、信者達は皆、温厚な笑顔で私を迎え、男は私に、よく来てくださいました、と言って手を握って来る。淫行禁止、の掟があるので女たちは笑顔だけである。そこ一帯には、安らぎ、のオーラがただよっていて、いつも70人近くが聖書に基づく講話を聴き、賛美歌を歌い、アーメンを唱える。皆、清潔な服装で男は背広にネクタイ姿であるがわたしはいつものように作業服姿である。
聖書をすべて読むには一生かかる、と聞いたが、なかなか奥の深さが感じられる。論文とも歴史書とも物語とも言える興味深い作り方であるし、子供にも大人にも理解出来、訴えるにはどんな表現方法が良いのか参考にもなる。
特に私のような孤独な老人を待っててくれるのは、神しかいないようにも感じられる。会館の席に信者になり切れていないような寂しげな老男が見受けられる。数人いるが、そのうち私は彼らと言葉を交え、身の上などを聴いて自分と同じような境遇を知ることになるであろう。
女が男に、好き!と言う場合と、男が女に、好き!と言う場合はかなり内情が異なる。特に、まわりに仲間や知り合いがいる場合に女が発する時、(単に好意をもっているだけ)と言うことが多い。それに気をよくして、抱きついたり、キスをしたりすれば、セクハラだ!、と思わぬ逆襲を受ける。そこで手を引いておけば良いものを、好き!、と言ったじゃないか、などと言って攻めていくと、警察沙汰になったり、有名人の場合はマスコミの恰好のネタになる。セクハラの多くの原因はそんなところにある場合が多い。
女の軽口には気を付けねばならないし、女には絶対に、秘密を漏らしてはならない。女は何でもことごとくしゃべり、私の知ってた女などは、未亡人であったが男とホテルに入ってからの行為の内容を娘や息子にまで得意げにしゃべっていた。そのせいか結婚していた娘は不倫に走っていた。
交通信号の場合でも、黄色になった場合は、交差点の直前でも止まった方が良い。
これも若気の至り、の一つであり、あんなこともあったと懐かしくなる。
神奈川県相模原のボロ・アパートが関東での生活の最後の拠点になるが、10年ほど前に労働組合の関係で出張した時に寄ってみた。会社の寮に変わっていたが、一階の奥の部屋のドアの前に立ってみた。安っぽいベニヤのドアを見詰めていると、ここでもう一度人生をやり直してみたら・・、という想いがこみ上げ、涙が出た。
今から四十年前、臨時工の仕事をしながらその部屋で生活していた。ある日の夕方、仕事から帰って来ると、不思議なことに気づいた。隣の部屋との境の通路に置いていた酒ビン、それは雨のしずくに打たれて汚れていたのだが、綺麗になっていた。ピン、と来た。隣に女が越して来て、拭いてくれたと。
その通りであった。空き室だった隣部屋から話声が伝わり、数日後に女がタオルを持ってあいさつに来た。25歳で、亭主と別れ、三歳の男児を連れていた。
ある夕方、彼女がドアをノックして、訪れた。(これから銭湯に行きたいのだけど、息子の喘息がひどくて連れて行けない。今、寝ているけど目ざめたら自分が居ないことを知って鳴き始めるに違いない。部屋で様子を看ていてくれないか?)と言う。すぐに了解し、部屋に入った。汚れた壁とカーテンのない窓があって、侘しい雰囲気の中で、男児は布団に寝ていた。やがて、目覚めた。母親がおらず、見知らぬ男がいるのを知って泣き始め、わたしを叩こうとした。わたしはなだめながら、すごく不憫になった。
一週間後、女はウイスキーを持って、わたしの部屋に来た。二人で飲んだ。彼女の亭主は新聞販売店を経営していたが、詐欺事件を起こして、服役しているという。わたしは、不憫になった。彼女は電気機器のハンダづけのパートをしながら、男児を保育園に自転車で送迎していた。彼女は嫌がったが、そこで関係が出来た。
もう一人の女は文通で知り合い、週に何度も分厚い手紙を送って来た。その内容は精神を犯された者の寂しい内容で、彼女は25歳であった。被害妄想が強く、精神も分裂しかけていた。三か月もやり取りをしていた後、彼女の父親が癌にかかって入院した。彼女は精神的に追い詰められ、誰からも恐れられて孤立していたので、耐えられず、私の部屋に転がり込んできたのであった。一つの布団に二人で寝るしかなかった。
三か月ほど経った頃、子ずれの女が、生理が止まって妊娠したみたい、と言い、文通の女も同じことを言った。わたしは唖然として、どうしたら良いものかと悩みはじめた。堕胎は嫌いなので産ませるしかなかった。
一か月後に二人の女は、想像妊娠みたいだった、と言い。わたしはほっとしたのであったが、妊娠が事実であったら、私の人生は大きく変わっていたに違いない。
私みたいな無鉄砲な男が70歳まで生きいるのは、ミステリアスとしか言いようがない。何が起こっても不思議ではないのに犯罪者にもならず、一般人の顔をして生きてきた。
若気の至り、でこんなこともやってみた。ストリップ劇場で舞台の上で女と性交をすることで、当時は(まな板ショウ)と呼ばれていたが、なんと鷹揚な活気に満ちた時代であったか?と懐かしく思い返される。今ではストリプ劇場もすっかり減って、北九州市にも福岡市にも一軒しか残っていないし、風俗店もつぶれる所が多く、客に入りも悪いようだ。この三年間、通っていない。
バブルの頃は性産業も隆盛を極め、新宿には奇想天外の店があったが、衰えていった。ストリッップ劇場も消え去るのかと想像するとさびしい気になる。
ストリップ劇場の中は暗く、男の顔ばかりしかない。それが観客席から踊り子の裸を見詰めている視線は、いやらしくはなく、すごく純粋で少年のようであったと思いおこされる。自分を捨てた(仏)のような顔であった。踊り子と男優が舞台の上で実際にセックスを始めると、(そんなことが、毎日,何回も出来て良いな!おいちゃん)と観客が男優に話しかけ、(こんなことはなあ、、兄ちゃん、人に隠れてやるからこそ気持ち良いんだぜ)と男優が答え、腰を動かし始めていた。
(ただ今から、まな板ショウを始めます。ご希望の方は手を挙げてください)
アナウンスが流れると、待ち構えていた私は手を挙げた。
ネグリジェだけをまとった踊り子が舞台の上から、私の手を取り、階段から上げてくれた。
出来るかな?と少し心配しながら、舞台に上がり、ズボンとパンツを脱いでいった。それからは乳をもんだり、吸ったりしながら行為をすすめていったが、どこかおかしかった。勃起はしていたが、力強さがなかったのである。隠れて一対一でやるのとは違って、集中力を失い、観客席の目線の方にエネルギーを取られていたのである。
結局、射精はしたがどこか物足りなさが残った。千葉県船橋と神奈川県相模原市のストリップ劇場でまな板ショウに出た。時々、わいせつ物陳列罪で逮捕される者もいたし、捕えてみれば警察官であった、ということもあった。
セクハラが世間を賑わす今からみれば、なんとも(のどか)な時代であった。
愛と性を考えた場合、愛があった方が性において、燃える。それは一般的であるが必ずしもそうではない。愛がなくてもすごく燃えさせる女はいるし、愛がなくてもすごく燃える場合がある。これは男でも女でも同じである。風俗嬢がどんな男とでもセックス出来る事に不思議さを覚えた時期があったが、その謎は解けた。それは性欲の力なのである。
(あなたと性関係が出来たら、関係は終わりよ)と三人の女から告げられたことがある。一人目の女はその言葉にかまわず、関係を結び、三年ほど付き合ったが最終的には相手が離れていった。わたしがいつまでも結婚にふみきらず、しつこく性交をしたからではないか?と思う。二人目、三人目の女は性関係に入らずに遠ざかった。
性行為の時、男と女は同時にイクのが一番良いのであり、男女はそのタイミングを合わせようとするが、会わない場合があり、それが別れの原因になる場合がある。さらに、何度イクかの回数もからんでくるから男女関係は複雑になる。男女とも、何度でもイク者がいるかと思えば、一回しかイカない者、あるいはインポ、不感症もいるのである。
それと年齢によっても変わってくる。長い付き合いをしていると、女の性器も変わってくる。男のサイズに合わせるようになったり、出産によって広まったりする。女は生理中を含めその前後一週間は妊娠しないなど、男と女の付き合いはむずかしいことが多い。それを乗り越えて結ばれることは素晴らしいと思う。
女は清潔好きで掃除を小まめにするが、男はしない者が多い。それは女が子育ての本能を持っているからである。現代は夫婦が対等に役割分担することになっているから、掃除をしない男は失格ということになる。不潔な男は嫌われる傾向がある。
しかしこれは人生や社会を俯瞰する、あるいは大局的に見る、と言う目線の違いにもなる。本やCDなどを棚にきちんとしまうよりは、絶えず使う物を近い距離に置いて放置しておくと言うのは合理的な考え方なのである。
目先が遠ければ物事がよく見え、近ければ見えにくいという考え方があり、多くの男たちはそれに倣ってきたが、セクハラとは、まさに目線の近い視点である。近視眼的な男が増え、掃除もまめにやるようになったから、目先の女の体に惑わされているのだ。遠くに目線があれば余裕をもって女と接することができるはずであるが、近いから手が出てしまう。それだけでは済まず、失職、組織の崩壊にまで進むようになってしまった。
女がそんな目にあうことは、ありえない。
力が弱く、受動的な者の方が強い時代になったのである。
直前のブログに書いたように、男と女の誤解は多く、それがセクハラという重大事になることがある。
こんな事がある。男と女が親しくなり、男が(僕の部屋に寄って行かない?)と声をかけ、(良いわよ)と女が了解し部屋に入った場合である。ほとんどの男は女がセックスすることを了解したと考え、その女もその通りの場合が多いが、中にはそれがまったくわからない女もいる。特に未成年の場合が多い。
そこで男が行為に入ると、女は騒ぎ出すが、男は納得してるはずじゃないか?と考え、行為を続行する。ほとんどの女はその激しさにあきらめ、あるいは体が興奮してきて任せてしまう。
これが裁判に訴えられた場合、男が、女は了解したはずではないか!と言い張っても(レイプ)の判決が出されると思う。男はその前に示談金を払おうとするかもしれないが、示談が成立しなければ、判決によって犯罪者になってしまう。会社は首になり、世間からも冷たい目で見られることになる。怖いことである。
女が(部屋に寄って行かない?)と誘って、男が体を求め、女が拒否した場合でも同じ判決が出るであろう。今の時代はセクハラや暴力には敏感だから、裁判官も風潮に従わざるをえない。
男にとっては受難の時代である。
上記のようなことは日常生活の中ではふとした(弾み)で起きてしまう。女が金をとろうとして、計画的にやらればほとんどの男はひっかかってしまう。よほど慎重な男でない限り、(巻き込まれて)しまうから、(気をつけよう甘い言葉と暗い道)なのである。行為の前には(いいの?)と一応、声を掛け、了解の言質を取っておくことが大事であろう。
男ってどうしてあんなにいやらしいのかしらね。女のお尻ばかり追いかけ回して、どうしてかしら?女の子みたいにおとなしくしてれば良いのに。
セクハラ被害にあった女はこんなふうに思っているにちがいない。わたしは男の立場から言うのだが、男が女みたいにおとなしくて、異性の出方を待つようになったとしたら、出生率も大幅に下がり、老人大国への距離が短くなるにちがいない。男の体と性行動は狼として造られており、女に向かって突進するようになっている。性器の構造において、♂から♀へは入れやすいが、♀から♂へは入れにくいのである。
セクハラの一般的なケースは次のような例が多い。ある(会)に亭主持ちの色っぽい女がいる。顔立ちが可愛いだけでなく、身のこなし方もグズる振りをしたり、肩を振ってイヤイヤをしてみたり、笑顔もかわいらしく、銀座のクラブのママをしてたような日本女の魅力に富んでいる。仲間の男がそばに寄ると、相手に顔に顔を触れるほど近づけ(あなたって顔が素敵ね。ほれぼれするわ)と褒め、笑顔でじっと見つめる。ある時、男は寄って来られた時、彼女が自分に気があるのかと勘違いして、思わず、彼女の胸に手を伸ばして、胸に触ってしまった。(それはセクハラよ)と彼女は小声で言い、男は思わず手を引いた。実は彼女はほとんどの男たちにそのように媚びを売るのであったが、媚びてるとは考えておらず、自然の行為なのであった。
男は彼女が帰宅する時、駐車場について行って、陰で彼女を抱きしめてやりたいと考えているが、実行すればセクハラになるにちがいない。女が男に気のあるようなそぶりを見せ、男がそれに引っかかるとも言えるが、そのあたりが微妙な部分である。動物でもそうであるが雌は雄を引き寄せるためにフェロモンを出したり、甘え声を出したり、いろんなことをする。男はまさに(誘惑されて捨てられて)なのである。
これは五十年前に流行った防犯キャンペーンの言葉である。女に対して、男の甘い言葉と暗い所に気を付けようと言う、と言うのであるが、今やそれは男に対しての防犯キャンペーンに変わった相がある。アメリカのある映画会社が幹部のセクハラ行為で他の会社と取引が出来なくなり、倒産したという記事が新聞に載っていた。
確かに男はわたしも含め、女に対して酷いことをしてきた。電車の中での痴漢を始め、女を部屋の連れ込んでレイプまがいのことをしてきた。ところが、女は(いやよ、いやよ)と言いながら、(好いわ、好いわ)に変わっていくので、それならなぜ最初から(好いわ、好いわ)と言わないのかと訝しく感じたりした。心は拒否していたが、体が快感に酔い、負けてしまった、と今は理解出来るが、女には男には理解出来ない部分が多くある。
そこで、セクハラが起こるのである。
女の手を握りたい時、キスをしたい時、そのつど許可を得なければならないのであろうか?そんなことをすればムードが壊れるし、気分も遠ざかってしまう。そんな行為は体のベクトルが一方的に進むのであるし、女が好きな男であれば許可を取る必要もないのである。拒否されれば嫌われていることがわかるが、拒否をされればされるほど男の体は燃える場合がある。
女は男を持ち上げるために、(好きよ)(イケメンね)(優しいのね)などと軽口をたたく場合があるが、これをそのまま受け取ってはいけない。(好きよ)というのは(愛してる)ではなく、単に好意を持っているだけの場合が多い。真に受けて、手を握ったり、抱きついたりすれば(セクハラ)と騒いで、自分が相手をその気にさせてしまったことには気づかない。女がミニスカートをはくのは男を誘惑しようとするつもりではなく、恰好が良いからと言う理由なのである。(猫女)なのである。ニャーと甘えるように鳴きながら、寄って来ると爪で引掻く猫なのである。男にはそんな傾向はないから、わからないのである。
民間企業も女子社員を増やせば、セクハラをされることはあっても、することは減るからその方が安全かもしれない。
男が身を護る方法は、嫌われたら絶対無理強いをしないことであるが、女のほとんどは被害妄想が強く、過剰反応、ヒステリーを起こす場合がある。触ってもいないのに触ったと良い張り、つけてもいないのにつけ回している(わたしは陰で言われたことがある)と言い、第三者は判断に迷ってしまうことがある。
(触らぬ神に祟りなし)という言葉があるが、世の中には男と女が居る以上、女と関わらなくては生きていけない。女に対して極端に執拗にならない限り、騒いだりはしないが、女は被害妄想が強いことだけは知っておく必要がある。
気をつけよう甘い言葉と夜の道、である。