ブログ - 201704のエントリ

別れることの大切さ。

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日記
執筆 : 
nakamura 2017-4-29 9:54

 70年の人生の中で、何百人の人と出会った。ほとんどの人と遠ざかり、別れた。年賀状は20枚しか来なくなった。近頃は遠出が面倒になり、一年間も電車に乗っていないから、新規に知り合いの出来る可能性も低い。

 数十人の女と出会い、交際して、4人から裏切られた。他の男を作ったのだが、彼女らは裏切ったとは考えていない。私がいつまでも結婚に踏み切らないから、他の男に移ったにしか過ぎないと考えているか、私のことなどすっかり忘れているかであろう。後者の方が確かである。

 時々、去った女を思い出し、あれから付き合いが続いていたらどうなったか?と、想像してみるが結局は別れることになったと結論付けることしか出来ない。後悔する時もあるが、別れて正解であったと思う。あの女に家に入られ、居着いてしまわれたらどうなったか?考えたら、怖くなる。金使いが荒く、見栄っ張りで、絶えず人と飲食やおしゃべりをしていないと精神的に不安になる女、実の娘から色気違いと言われ、その娘も不倫をしている女、被害妄想で絶えず人の悪口をしゃべっていないと自立できない女、何が彼女を傷つけたかわからないのにまったく黙り込んでしまう女、などなど、思い返すと気分が悪くなる。

 別れて、良かった、のである。本当に気持ちの通じ合う女と出会う可能性は非常に低いのであるから、孤独人生も良し、である。

 

忘れること、憶えること。

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日記
執筆 : 
nakamura 2017-4-28 21:19

 今朝はパソコン教室に行った。毎週、通い、今月はエクセルの講座だ。今日が最終日で、ゴルフのスコア表を完成させることに取り掛かった。以前に、二度もその無料講座に通い、自分で完成できると思っていたが、表の項目の幅を指定どおりすることでつまずいた。まったく、思い出せない。隣席の男性に尋ねると、彼はわけなく幅を決めてくれた。わたしのパソコンは古いので教室のパソコンのツール・バーが異なり、操作を憶えきれないのだ。

 もとより、私は自分の記憶力の悪さ、頭の悪さを十分すぎるほど知っている。28歳の時、普通免許をとろうとして、教習所に通ったが、車の側方感覚が覚えられず、なんと一年間もかかって免許を取った。筆記試験にも落ち、免許が取れたのは遠縁の者が指導員をしていて、母のコネのお陰であった。

 加齢もあって近頃は物忘れがひどくなってきた。70歳に近づいているのでそれは仕方ないことであるが、憶えてなくていいことを憶えている時がある。英会話教室にも通っているのだが、五十年間まったく使ってもいない英単語をたくさん憶えていることに驚くことがある。英語はイントネーションを耳にするが心地良く、音楽を聴いているみただったので好きであった。

 人間の記憶力というのは不思議なものである。人間関係においても忘れたいのに何時までも忘れられない人や出来事があるかと思うと、忘れてはいけない人や出来事を忘れてることがある。

 でも、忘れることは大事ではないか、とも思う。何歳になっても人生のすべてを憶えていたとすれば脳はパンクしてしまうに違いない。嫌な出来事や嫌な人間のことはすぐに忘れ、良いことばかり憶えるような構造になれば良いのである。AIに期待して脳を取り換えたり、理想の女がAIになって登場する日が来るにちがいない。

 私の人生は(女難)の人生であった、と後悔することがないように。

被害妄想が生む攻撃性。

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日記
執筆 : 
nakamura 2017-4-21 21:19

 私が大学に入る時、法学部政治学科を選んだのは政治の外交関係が社会の人間関係と酷似していると読んだからであった。私は感情の起伏が激しく、人間関係が苦手であり、今でも人から嫌われるタイプである。政治学も人間臭い世界であり、その実態を分析し、知ることで、社会の人間関係のヒントを得られるのではないか、と期待していた。入学時は学生運動の最盛期であり、学園封鎖、ストライキ、リンチ殺人など日常茶飯事であった。

 ひ弱なタイプのわたしは体を鍛えようと考えて、空手同好会に入ってしまった。同好会だからクラブよりは楽だろうと予想したのが間違いであった。血尿が出るほどの練習の後にはシゴキが待っていて、整列させられ、二年坊からみぞおちを十回以上も殴られ、気絶してしまった。一撃必殺の世界であった。自分を逞しくしようとしていたベクトルは完全に崩されてしまった。

 通行人とすれ違う時、どこを殴れば一撃で殺せるかと、狙いを定めるような人間になってしまったし、どこから殴られようとすればどのように先手を打つべきかと考えるようになってしまった。

 なぜ、こんな個人的なことを書くのか?と思われるであろうが、核やミサイルで日米・韓を脅している北朝鮮という特殊な国のことを書こうとしているからである。自分の青春時代とどこか似ていて、理解出来るのだ。北朝鮮は米日・韓の攻撃から自国を守るための闘いだ、と絶えず言っている。一時私は自国を正当化するための詭弁ではないか?と疑っていたが、朝鮮の近代の歴史を振り返ってみればまんざら詭弁ではない、と思う。中国、日本、アメリカに一時占領された苦い経験は日本人には理解しにくいであろう。

 わたしは空手同好会を四か月で辞めた。医者に診断書を作ってもらい、逃げたのであったが、20年間以上、リンチの悪夢に怯えながら寝たのであった。こんな被害妄想が北朝鮮にないはずはない。

 わたしは平和主義者ではないし、戦争はなくならない、と考えているが、北朝鮮と日米・韓が互いに被害妄想ばかりに陥って、相手の攻撃性をますます強めるばかりではなく、歩みよって、開放政策をとり、北朝鮮の国民に金王朝を取るか民主主義を取るか選ばせる方が得策ではないかと考える。

地に落ちてなほ咲き誇る八重椿

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日記
執筆 : 
nakamura 2017-4-8 9:08

 私の家に庭には三十本ほどの椿が華を咲かせている。普通の椿がほとんどであるが、白椿、八重椿も何本かある。八重椿は大きいし、八重になっていて牡丹の花みたいな華やかさがある。不思議なことに椿はすべて花全体がそっくり落ちるのである。普通の花は全体がしぼんだり、花弁が落ちるのであるが椿は全体が落ちて、花弁を空に向けて咲いているように見える。

 不思議なことである。

 昨夜、夜中に目が覚めて、そんなことに考えついて、句が浮かんだが、生物の世界、特に植物の世界は謎と不思議に満ちている。結局は人間や人間社会を中心にした基準でしか見れないとしたら理解できない。彼らも生存を基本にしているが人間以上に賢いのではないか。先日、友達が、(木の幹は雨にぬれないようになっている)と言うので、試しに昨日、雨の中を山歩きしてみたがその通りであった。ヒノキの幹を見るとまったく濡れていなかった。木の葉は傘状に広がり、雨避けをしてると同時に太陽光線がすべて平等に当たるようになっているのである。

近世の闇を破った江戸文化。

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日記
執筆 : 
nakamura 2017-4-2 8:44

 小説らしきものに取り組んでいると、体験や事実などをいかにテーマにデフォルメするか?に悩むことが多い。そこに葛飾北斎の絵や歌舞伎の演技、芭蕉の俳句のなどが思い浮かび、何故あんなスケールの大きい世界が作者に開けたのか?と考える。

 荒海や佐渡に横たふ天の川

という芭蕉の句。海、地域、空とそれぞれ異なる空間が見事に感応しあい、世界を広げている。その作者の心の広さに現代人とははるかに異なる宇宙を感じてしまう。北斎のある絵。右手に小さな富士山が描かれ、左方に大波が波頭を広げて落ちかかっている。歌舞伎では歩く姿一つにさえ、大仰さと繰り返し、デフォルメなどが技巧をこらされていて、観る者を魅了する。ゴッホが浮世絵に感動し、技巧をまねたと言う。ゴッホの絵はシャガールやピカソ、ダリなどの超現実派に移行していくわけであるが、その前にそれが日本の江戸時代において先取りされていたと言う事は驚き以外の何物でもない。

 江戸時代は封建制度の末期であり、幕藩体制の庶民への監視は、絹の着物は着てはいけない、来客に一汁三菜以上を出してはいけない、夜更けに出歩いてはならない、など監視網が張り巡らされ、抑圧されていたが、抑圧の中から生まれた抵抗のエネルギーであろう、その力は現代以上に強かった。

 赤穂浪士の討ち入りは現実を舞台化した最後の炎であったであろう。

 戦後の一時期を除いて現代の文化で後世に生き残るのがどれだけあるであろうか?というより、現代の文化はコピー文化と定義づけられそうに思う。

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