ブログ - 20180409のエントリ
来月の11日で、71歳になるが、認知症が絡んできたのか、青春時の記憶さえあやふやになりつつある。が、女との思い出は鮮明である。中でも、私を男にしてくれたるり子さんとの出会いは一瞬前の出来事のようにはっきり・子細に憶えている。
彼女の名前はどんな字だったのか知らないが、大学時代の善友(悪友でもある)に教えてもらったことがわたしの良い思い出、そして、性の手ほどきになった。
H君はわたしとちがって人間関係も器用で、頭も良く(現在、ある地方会社の社長をしている)、女には不自由せず、当時は東京・上野のガソリン・スタンドで給油のアルバイトをしていた。そこで馴染みになった客から、るり子さんのことを教えてもらい、数度通った後、おすそ分けを友達にしてくれた。その中の一人がわたしであった。
わたしは電話を持たなかったので、公衆電話から彼女に予約をとった。(斎藤と言いますけど、今日の都合はどうでしょうか?)偽名を使い、たったそれだけの言葉にわたしはすごく緊張し(これからアレが出来るというだけで)た。どもって言葉が上手く出ない上に、女にもてないわたしにとって必死であった。
上野駅の暗い地下通路をくぐり、駅の外に出ると、もう興奮していた。昼過ぎであったが、彼女の住む木賃アパートまでの10分ほどの距離がすごく長く感じられた。きっかり、2時と時間を決めていたのだが、他の客の男とガチあったりしないだろうか?とか、上手くできるだろうか?とか気の弱いわたしには遊びではなく、重荷になっていた。
木賃アパートに着くと、一階の左側の部屋には管理人らしい婆さんがいつも座っていて、私の方を少し見て、後はソッポを向いた。彼女はやりて婆さんみたいで、るり子さんが昼間から布団をひいて、若い男を毎日、待っていると言う事を知っていたのだろう。廊下はすごく広く、二階への木の階段も幅が広かった。アパートの住人たちは皆、仕事に出払っていて、アパートは静かであった。
わたしは靴を脱ぎながら、少しずつ落ち着いていった。それから、一階の奥に歩いて行った。るり子さんの薄いベニヤの引き戸のそばには、新聞紙の上に置かれた魚の煮つけが甘い匂いを醸し出しながら、わたしを待っていた。アメ横が近くにあったせいか、タイの煮つけなどがよくそこに置かれていた。
ノックをし、かすかな返事を耳にすると引き戸をゆっくり引いた。中は雨戸が閉められ、真っ暗であった。居間の畳を踏むと、床が抜けそうで、足がぐらつき、心もぐらついていた。
布団の位置を確かめると、シャツを脱ぎ、ズボンを脱いでいったが、畳はまだ、不安定であった。
(どうしたの?酔っぱらっているの?)
るり子さんの声が布団の中から送られてきた。
(そんなことありません)
と言いながら、掛布団をめくって、中に入った。彼女はスリップ一枚の姿でわたしを迎え入れてくれた。おもむろに彼女の体をまさぐり、上に乗った。
(出したり、入れたりするのよ)
初めて抱いた時、そのように教えてくれ、何とか性交が出来るようになっていた。コンドームをしなくてもいい、と言ってくれた時もあり、彼女はすごく優しかった。
帰りには三百円を出したが、これでラーメンでも食べていったらあ?と、半分返す時もあったし、わたしと毎日、こんなことをしない?と同居を匂わせたこともあったし、他の男とアパートの外を歩いているのを見たこともあった。
セックスを終えて、ズボンをはいていると、タンスの上で休んでいた飼い猫がいきなり床に飛び降りてきて、驚いたこともあった。
大学を卒業しても、3、4年、通った。
ある時、彼女が帰る私を見送ってくれたことがあった。引き戸から現れた彼女の顔は40歳に近かったが、あどけなさの残る可愛い顔であった。
今でも忘れない・・。