ブログ - 20160404のエントリ
昨日の日曜日は(遠賀川フエス直方)を見に行った。遠賀川の河川敷で行われ、一万二千人の観客が集まり、わたしもライブ・ショウに酔った。若者たちの歌やダンスなどの驚くほどの変化、エネルギーに圧倒された。特にROWSHIの表現(語り音楽)には感激し、何度も涙した。彼は直方の出身で、少年の頃は暴走族でもあり不良であったが10年前からはその経験を糧にして、自分の人生を語り、歌い、叫び、演説し、告白し、祈り、懺悔し、希望をつぶやき、箴言を言い、彼の人生をショウにして、まさに教祖のようであった。多くの若者たちがステージを仕切るフェンスに駆け寄り、手を振り、言葉をかけた。その表現形式は歌や詩や小説などの形に囚われず、自由自在に即興的に歌いしゃべっている感じがして、新鮮な刺激を与えてくれ、わたしの小説のヒントにもなった。形式に囚われなくても良いのだと考えた。自分がいかに今までの小説概念に囚われていたか、文学世界の概念によりかかっていたかの反省にもなった。凄く良い経験あった。鳥羽一郎さんが歌い、無料であるということが参加した理由であったが、思わぬ収穫を得た。
筑豊という地域に関してわたしは差別と反感を持っていた。生活保護の受給率も日本で一番高く、暴力団も多く、市営住宅の上の階から冷蔵庫を投げ落とすなどという噂やその他さまざまな悪のイメージを持っていたが、それは単に貧困が生んだに過ぎないことがわかった。石炭産業で栄えていた地域が石油の出現のために産業自体が消滅したわけだから、住人たちは貧困に喘ぎ、家庭も壊れ、悪が育っていったのだ。
だが、貧困や悪はエネルギーを生んだのだった。そのフェスタには筑豊出身のアーチストが何人も登場し、ステージの上のアーチストたちは(おー、そこのお前、来てくれたな!)などと声をかけ、地面にビニールをひいて座っていた観客たちはすごく盛り上がった。
アーチストや実行委員会の方たちに感謝し、お礼を述べたい。