ブログ - 201605のエントリ

復讐劇のない日本文化。

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日記
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nakamura 2016-5-31 6:52

 (忠臣蔵)は仇討ちの事実であり、舞台で何度も上演された。主君に対してのものであり、個人に対してのものではない。それに引き換え、アメリカ映画、文学には復讐劇が多い。メルビルの(白鯨)にしろ、映画(ケープ・フイア)にしろ、(危険な情事)にしろ、西部劇にしろ、盛りだくさんである。個人に対してのものが多いが国家的な規模のものもある。ストーリーや内容も執拗で復讐は当たり前だという視点である。

 アメリカは英国から発祥した。英国は資源の貧しい気候の厳しい国であるから海外に居住地を求めた。侵略した。アフリカ、アメリカ、オーストラリアなどいたるところに進出し、植民地にした。異教徒はサタンであり、キリスト教に改宗させなければならない。アメリカ大陸に上陸し、インディアンと戦い、彼らが反撃すれば、加害者の視点を失って被害者になり、復讐を始める。広島・長崎への原爆投下、朝鮮戦争、ベトナム戦争、イスラム教徒・タリバンとの闘いも真珠湾攻撃をした日本への復讐、共産主義への対抗、9,11事件への復讐である。

 その執拗さ・効果的な作戦は狩猟民族・肉食系に由来しているが、現代では経済侵略にテーマを変えた。人権民主主義を標榜し、お互いに経済的に豊かになって幸福になりましょう、と訴えて世界の経済の富を手中に収めようとしている。

 熱しやすく冷めやすい日本人には復讐劇は少ないし、銃の規制もあるから、大量殺人は起こらない。

その意味では平和な国である。復讐はある意味では情熱でもあり、(持続する志)でもある。志を持続させた者の方が勝ちである。

なぜ背広にネクタイなのか?

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日記
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nakamura 2016-5-29 8:01

 ほとんどの日本人男性は公式の場に出ると、背広にネクタイ姿である。何故なのか?不思議に思う。みんながそのようにしてるからであろうが、変人のわたしから見ればあまりに不自然である。そこにまで欧米の価値観、文化が入り込み、グローバリニズムのお手本、忠誠を示しているとしか考えられないし、わたしは反グローバリニズム、反欧米主義であるから従いはしない。

 わたしは外出する時、いつもツナギの作業服の姿である。女友達から、そんな服装は止めなさい、ヤーサンみたいだと噂されているのよ、と忠告してくれる。ある時、福岡教育大学の広場で作業服姿の男子学生が寄ってきた。?あなたも作業服が好きなのですね!僕も好きです!と言って握手を求めて来たので、私も笑って握り返した。首を絞めるネクタイは絞首刑を思わせて嫌な気分になる。ネクタイはマフラーが発展したものだと思うが僕の首にはなじまない。近頃、冠婚葬祭には出会わないが、そんな時にはツナギ姿で通すだろうか?ツナギ服で参加すれば必ず非難を浴びるであろう。

 僧侶が高価できらびやかな和服を着ているのにも腹が立つ。そんな金があるのならご飯を食べれない子供たちに食べさせてやれ、と言いたい。キリスト協会には貧民救済施設があるのに、仏教業界にはない。葬式仏教と非難されている。

 わたしはお寺とは縁を切っている。戒名なんていらないし、葬式もいらない。

哀れみは恋愛に近い。

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日記
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nakamura 2016-5-23 7:21

 K子は一戸建ての家に住んでいたが、三十歳すぎの次男が暴力を振るうので安アパート越してきた。彼は私立大学を出て、自営業に就いていたが人間関係がうまくいかなかった。国家試験の資格を取って就職する、と言い、7年間も受験勉強をしていた。ストレスがたまり、K子を時々、蹴ったり叩いたりしていた。

 70歳のK子は亭主と死別していた。面倒見が良く、アパート住まいを始めても近所の古老たちにおかずを作って持って行ってあげたり、調理ボランティアをしたり、歌謡教室に通ったりしていた。次男は国家試験に合格し、仕事につき、結婚して家を出ることになった。K子は二ヶ月後に、アパートを引き払い、前の家に戻ることにした。

 アパートの隣室は空家であったが、ある日、孤老の男が越してきた。K子の部屋の戸をノックして開け、今度越してきましたのでよろしく、と挨拶し、入浴券を持っているのでいっしょに行きませんか?と言った。彼女は驚き、部屋には風呂があるので行く必要はありません、と断った。日曜日であったので水道屋が休みで、男の部屋の水道栓が開けられなかったのだ。

 男は身の上話を始めた。妻や子から捨てられ、トラックの中での路上生活を始めた。大工をしていたが、老いて、週に二回しか働けない。、トラックの運転席で寝泊りしたが、畳の上で寝たくなったので貯めてたわずかな金で安アパートに入居した。彼女はその話に聞き入った。

 男は礼を述べて、トラックに乗って出かけると、500円もするイチゴを買ってきて、K子に差し出した。お金がないのだからそんなことはしなくて良い、と言いながら受け取った。男は水道が止まっているので水をくれ、と言い、バケツを借りて入れ、もらって帰った。洋服ケースが必要になったので買いに行くという。K子は来月には戸建ての家に戻るのでタンスはいらないから、男にあげると言い、ソファ・ベットも要らないからあげると言った。男を部屋の中に入れて、二人で運び出した。

 まるで小説の書き出しのような事実であるが、これから二人の関係はどうなるのか?わたしは興味と心配をもっている。深情けの初老女と路上生活をしていた男が隣同士の住まいになったのだ。何かの巡りあわせを思わせる。

 ヨーロッパのことわざに、Pity is akin to love.というのがある。?哀れみは恋愛に近い、ということわざである。

 

人工知能の歌手。

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日記
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nakamura 2016-5-21 12:57

 先日、ステージに立って、歌った。不思議な気分になった。マイクが流す自分の声を耳で確認しながら歌ったわけであるが、自分の声とは違うような声が流れていた。澄み渡った声、と言われる声ではなかった。まさか他人の歌が流れてるはずはない。おかしい!緊張してるのか?と考えてるうちにますます緊張し、喉が狭まり、声が震え始めたのに気づいた。

 観客席を見ると暗く、人の姿もまばらで、死んだような静けさしかなかった。その闇にまた恐怖を覚えた。

 失敗だ!

 自信を持ち、何度も練習した(海の防人ー鳥羽一郎)の歌が台無しになってしまった。楽屋裏の待合室から外に出て公園の空気を吸った。

 数日間、知り合いにそのことを話したりした。皆、歌が上手すぎて、150人の歌を聞いて退屈したし、低音が強すぎて心臓に不快感を与え、気分が悪くなった。

 ほとんどの人がそんなことを話した。

 考え直してみると、音痴だと考えていたある男が上手に歌ったことに気がついた。彼が前回、ステージに立った時、声が弱弱しい上に音階がづれ、わたしに優越感を与えてくれた。そんな人が5、6人はいたのに今回は一人もいなかった。

 音響業者が前回と変わっていた。

 オート・チューンのシステムが入っていた?と、後にわかった。

 上手に聞こえるように機械が音程を操ったのであった。人工音声にちかい歌にアレンジしたのである。人工知能が歌ったのである。虚しくなったが、3、4人は胸にジーンと来る歌い手もいた。しかし、彼らの与える感動も美容整形をされて力が弱かった。

 死なない人間、病気をしない人間、悩まない人間、考え込まない人間、いつも笑顔で幸福な人間ばかりになってしまうであろう。それが(新人類)であろう。もう間近である。

心の美容整形。

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日記
執筆 : 
nakamura 2016-5-16 7:29

 昨日の日曜日は町内の歌謡大会に出場した。口からマイクを離し過ぎたようで、声が響かず失敗だったが、知り合いの歌いぶりを研究し、彼らとも出会えて楽しかった。午前九時半から18時まで150人ほどが歌った。

 (海の防人)を歌い、それは海上保安庁で働く人の心が歌のテーマだった。私は黒のツナギ服を着ていた。知り合いと会うと、まさかそんな格好で歌うんじゃないでしょうね?と言われ、これで歌う、と応えると、白のジャッケトでも着てもっと良い格好で歌いなさいよ、と言われ、あんな格好はバカみたい、と言い返した。ぼくは変わり者だから、と付け加えた。

 わたしは多数派たちの揃いに揃った服装にうんざりしていた。女たちは皺くちゃ顔に厚化粧、派手な色のドレスを着、床に長い裾を曳いて歩いていた。男たちは背広にワイシャツ姿であった。まさにグローバリニズムを象徴し、大量生産、大量消費、みんなの幸福、その思想に載せられている。

 皆、歌い方が上手であった。音階、歌詞のとおりに歌い、バイブレーションやサビを入れ、海の波が揺れるように歌い、歌謡教室の先生の指導の通りであった。始めのうちは興味を持って聞いていたが、途中でウンザリしてきた。これでは(人工音声の歌手)であり、マネキン人形たちではないか?

 NHKののど自慢は長寿番組になっている。農夫が鍬を担いで出てきたり、漁師が網を担いで出てきたりして、様々な仕事、人生、老若男女の心が社会の模様を描いているからである。

 世界で男は背広姿が制服になっている。そのこと自体が他の思想を排除するという考えになっているのだ。北朝鮮をはじめ、数カ国の人々は背広姿ではないがそれもじょじょに消えている。

 

 

 

 まさに美容整形された歌であった。3、4人ほどは心が入っていて、胸にジーンときたが、それ以外は(人工音声の歌手)であった。

舛添知事に公金流用罪を。

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nakamura 2016-5-14 11:20

 都知事の舛添氏が432万円あまりの公金を私的に流用し、一部を認め、返金するという。マスコミに報道されている。前都知事の猪瀬氏も似たようなことをして、辞職している。二人とも政治評論家であり、都知事になる前はテレビや本で権力側をしきりに非難していたが、結局はコインの裏表であった。批判・攻撃する側とされる側は同じ成分を持っていたのである。

 わたしだって仕事で不正行為をしたことがあったので、非難ばかりをする気はない。上記の二人はほんの氷山の一角であり、誰でも似たようなことを日頃、やっているのだ。ただ、彼らは公的な高い立場にあることが問題なのである。

 都庁の構造、国家の構造を指摘すべきである。法律は権力側が作るのでかれらの都合の悪い法律は作らず、作ったとしても政治資金規正法みたいなザル法しか作らない。公金横領罪は刑法にあるが公金流用罪はない。政治家たちが自分の仕事に意味と価値を持ちたいのであれば、国会で(公金流用罪)を作って、舛添氏みたいな男を刑務所に入れれば良いのである。

人生の初期化。

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nakamura 2016-5-13 20:52

 2日前の5月11日はわたしの69歳の誕生日でした。例年、通り誰も祝ってくれず、自らも大した関心はなかったのですが、物忘れがちらほら出始め、これが進行するとどうなるのか興味が沸きました。保険会社と電話で話している時に次男の名前を聞かれ、頭をひねりながらついに出なかった時はショックでした。一週間後に馴染みの名前がやっと出て来て、落ち着きました。

 テレパシーという言葉が思い浮かばなかった時がありました。超能力という言葉だから、通信を意味するテレがつくはずだと考えると言葉が頭に浮かんできました。今日の朝は小説を書いていて、シュール・レアリズムという言葉を頭の中で何度も捜すのですが出てこず、超現実という意味だから、スーパーという言葉が最初につくがフランス語だから、・・・と迷ってるうちについに諦めました。認知症の出始めた作者が書く小説はどんなものになるのか?面白いかもしれません。サムエル・ベケットは精神病患者の個性的な言い回しを文体に変えて(名づけえぬ者)という傑作を出しています。

 この歳になるまで様々な言動、体験、学習をして、相当な情報量が脳に蓄積されてるわけですから、パソコンの管理のように脳が自動削除をしてるのでしょう。重要度の低いものからやってくれれば良いのですがそうはいかないみたいです。

 三つやることがあれば一つは忘れているみたいです。この流れでいけば物忘れがひどくなる一方でついには自分の名前すら忘れるかもしれません。人生体験も次々自動消去され、幼児退行現象に落ちていくでしょう。近所に同姓同名の男が住んでいました。番地も似ていたので誤配が多く、現金の入った封筒が届かないこともありました。彼も老いていき、認知症にかかり、女を見ればどの女にでも抱きつき、精神病院に入れられて亡くなったという話を耳にしました。本当かどうか確かめはしなかったのですが、自分の未来を見せ付けられたみたいで、苦笑しました。

 最後は初期化されるのです。産まれる前の白紙に戻るのです。

 知らぬは仏、なのです。

 それからの再出発は素晴らしいことです。

お金はエネルギーである。

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日記
執筆 : 
nakamura 2016-5-11 7:29

 サプリメント(栄養食品)のセミナーに参加した時、講師の女は次のように話した。?お金はエネルギーなのです、と。わたしもそのように思っていたので関心を向けた。彼女の夫が会社をリストラされ、借金を重ね、1・・円ほどにもなった。彼女は1から下の単位は言わなかったから相当大きいのであったろう。小学生の息子の作文が彼の机の上にあったので彼女は読んでみた。?昨日、学校から帰って空腹だったので冷蔵庫を開けてみた。何も無かったので氷を出して食べた、と書いてあった。彼女は絶句し、悲しみに押しつぶされそうになった。

 縁があって、サプリメントの紹介販売をはじめた。顔の広い友達が買ってくれ、買ってくれた人がまた次の人を紹介してくれ、その人からの利益も入り、収入はネズミ算式に増え,年間一億円の収入だ、と言う。美顔で高級ドレスを身につけ、余裕のある表情を絶えず見せていた。

 わたしはその話に納得したが、疑問も抱いた。金は確かにエネルギーを与えてくれるが、逆に心配も抱え込むことにもなる。盗まれたらどうしようか?金を貸してくれ、と言われたらどうしようか?などであるし、使わない金はエネルギーがなく、紙切れと同じである。

 ここに一万円の紙幣があったとする。一ヶ月分の米を買うのか、おしゃれをするために洋服を買うかによって価値が大きく変わる。計り知れない価値の差がある。氷しか食べれなければ、何とかして金を作ろうと考え行動して、エネルギーを燃やすのであろう。金欠もエネルギーを与えてくれるのだ。先進国と呼ばれる国、後進国と呼ばれる国があるが、顔を見比べてみると後進国(開発途上国)の人々の顔の方が輝いている。お金は単なる数字で計られるわけではないし、すべてのものの数字には計り知れないものが潜んでいる。

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